No.001
坂口安吾「日本文化私觀」

 安吾のこの有名なエッセイを最初に讀んだのは中學生の時だつたと記憶する。その時は意味がよくわからなかつた。二度目は大學生の時、この時は理論になつてゐない傳統主義的な氣分から反撥を覺えた。その後も一度ぐらゐは讀んだかもしれない。今囘、久しぶりに讀み返してみて、讀書體驗としては一番面白く讀めた。一つには安吾が何を書いてゐるか、概ね理解できたからであるが、知的な理解といふ面だけではなく、安吾の心の動きを知り、安吾ならではのリズムのある文體を存分に味はふことができたからである。

 「日本文化私觀」が發表されたのは大東亞戰爭戰時中のことである。隨分思ひ切つて日本主義を批判してゐるとも讀めるので、文學史的には文學的抵抗の一例と位置づけられてゐるのかもしれない。昭和十七年初頭と言へば、まだ戰況は惡くないので、それほど暗い時代でもなかつたであらうが、必要と實質に基づけと合理主義を説いてやまない安吾の論理は、當時支配的になつてきてゐた合理主義を見失つた精神論に對するアンチテーゼではあつたらう。

 戰爭中に書かれたものだが、私にはこのエッセイは國家が戰爭を遂行してゐる時代と直接關聯づけて論じる必要はないと思はれた。また、發表當時より戰後の燒け跡で熱く讀まれたさうだが、そのことの意味は勿論あるのだらうけれど、敗戰の状況に關聯づけるべきものでもないと思ふ。この文章はもつと本質的な、日本の近代についての安吾の意識を表したものと讀むべきである。

 「日本文化私觀」は「僕は日本の古代文化に就て殆ど知識を持つてゐない」といふ文から書き起こされ、「それが眞實の生活である限り、猿眞似にも、獨創と同一の優越があるのである」といふ文で結ばれてゐる。文學作品において書き起こしの部分はしばしば重要な意味を持つ。同樣に、結びの部分も重要な意味を持つ。この二つの文を念頭に置いてエッセイ全體を讀むことによつて、見えてくるものはどのやうなものだらうか。

 安吾はこのエッセイで、歐米化の中で傳統文化を見失ひ、滑稽な猿眞似の生活を送つてゐる日本人の姿を描いてゐる。しかし、たとへ滑稽であらうと俗惡であらうと、やむにやまれぬ必要と實質に基づいた文化にこそ意義があるといふ考へ方から、近代日本の文化的空虚を觀念的に日本精神を唱へることで埋め合はせようとする言説に對しては、批判的な立場に立つてゐる。單に自嘲的であつたり、自分を高いところに置いて日本のことを嘆いて見せたりするやうな態度は、安吾からは遠い。「日本文化私觀」は、近代日本の文化的空虚の中で、安吾が實質ある文化を求めた切實な思考の過程を表現したものなのである。

 このエッセイでは、自らの傳統を忘れて歐米化に汲々たる日本人の有り樣を嘆き、日本人に日本の傳統を説くブルーノ・タウトやジャン・コクトオといふ西洋人が槍玉に上げられてゐる。安吾の言ひたいのはかういふことであらう。日本は歐米に滅ぼされぬために傳統をかなぐり捨て、近代化したのである。すなはち、やむにやまれぬ必要と實質に應じて歐米の猿眞似をしてゐるのである。古い日本を滅ぼした當の西歐の文化人が、日本人に向かつて傳統の大切さを説くといふことが、安吾には癪に障つたのであらう。これは、西歐化した土人が、傳統的な生活樣式や文化の價値を西洋人から説教されて、腹を立ててゐる圖である。

 このエッセイを、單に傳統文化が空虚であることを正當化し、傳統文化輕視の立場を補強してくれるものとして讀むのは、間違つてゐる。そんな安易な自己肯定や文化的現状に安住してよいといふことを説いたものではないからだ。安吾は、生活の必要から遊離した傳統文化の形式主義的な享受の在り方の貧困を嚴しく批判しながら、同時に、「無論、文化の傳統を見失つた僕の方が(そのために)豐富である筈もない」と述べることも忘れてはゐない。

 安吾は、傳統文化の持つ美や貫祿を認めてゐないわけではない。傳統文化がクールだと感じる瞬間について語つてゐる。「然しながら、傳統の貫祿だけでは、永遠の生命を維持することはできないのだ。(略)貫祿を維持するだけの實質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。問題は、傳統や貫祿ではなく、實質だ」と言ふのだ。

 それではその「實質」とは何か。それを考へるために、安吾の美についての思想を見よう。安吾の實質論は、その美學にも一貫してゐる安吾思想の根幹だからである。

 このエッセイで安吾は、求道者のもの、權力者のもの、藝術家のもの、生活者のものに分けて、それぞれの性格に應じた、それぞれにとつての美の形を考へてゐる。芭蕉や良寛のやうな求道者にとつての美は、絶體を希求するがゆゑに、現象界に絶對のものはあり得ないといふ立場から由來する、無きに如かざるの精神に基づくものである。安吾は彼らを「精神の貴族」と呼ぶ。秀吉のやうな權力者にとつての美は、最大の豪奢を求める狂的な慾望の表現である。藝術家にとつての美は、權力者ほどの豪奢を實現しようとするほどの器のない者たちの、卑小な慾望の表現である。生活者にとつての美は、生活の中の切實な悲願に結びついたものである。安吾は、それらを貫通するものは「實質」であり、實質を與へるのは他でもなく「人間」であると言ひ、四者四樣の美に共感し、愛する。

 安吾の言つてゐる必要や實質とは、人間の主體的な、切實な、本當の慾求に基づいてゐるといふことであらう。「俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまゝ小なるまゝの各々の悲願を、まつとうに生きる姿がなつかしい。藝術も亦さうである。まつとうでなければならぬ」と安吾は言ふ。少し長いが、このやうな思想に基づいて、安吾が文學について語つてゐる部分を引用しよう。

《美しく見せるための一行もあつてはならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、たゞ、そのやむべからざる必要にのみ應じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫たゞ「必要」のみ。さうして、この「やむべからざる」實質がもとめた獨自の形態が、美を生むのだ。實質からの要求を外れ、美的とか詩的とかいふ立場に立つて一本の柱を立てゝも、それは、もう、たわいもない細工物になつてしまふ。これが、散文の精神であり、小説の眞骨頂である。さうして、同時に、あらゆる藝術の大道なのだ。》

 そして、安吾は自らの文學美學を「不要なる物を取去り、眞に適切に表現されてゐるかどうか」にあると述べる。實は、文學や藝術と、生活を含む文化總體とを、必要と實質といふ概念のみにて一緒くたに論じることはできない。このエッセイではそこが混同されてゐるところがあるが、安吾の日本主義批判の眼目は、人間の慾求と生活の必要から遊離した、飾り物的な傳統文化の享受に見る形式主義に向けられてゐて、それは、近代化の中で、その必要と實質から遊離した傳統や國民性を唱へる欺瞞への批判とも重なる。「傳統とか、國民性とよばれるものにも、時として、このやうな欺瞞が隱されてゐる。凡そ自分の性情にうらはらな習慣や傳統を、恰も生來の希願のやうに背負はなければならないのである」。

 安吾の傳統文化の語り方は、戰後から現在に到る日本人の傳統文化論の一つの型を提供してゐる。しかしすでに述べたやうに、安吾の傳統文化論は、傳統文化が空虚であることを正當化し、傳統文化輕視の立場を補強してくれるものとして讀む安易な自己肯定にも利用されやすい。注意深く讀めば、安吾が自信滿々で物を言つてゐるわけではないことがわかる。傳統を見失つてゐることを素晴らしいと思つてゐるわけでもない。自分を含めた日本の文化人にろくな奴がゐないといふことも知つてゐる。傳統を捨てて表面的に歐化しながら、ヨーロッパを眞面目に學ばうともしない。「日本々來の傳統に認識も持たないばかりか、その歐米の猿眞似に至つては體をなさず、美の片鱗をとゞめず、全然インキチそのものである。(略)かゝる文化人といふものは、貧困そのものではないか」。歐化が滑稽であることも知つてゐる。しかし、輕薄な文化人はともかく、滑稽であれ何であれ、日本人にとつて近代化は不可避なのであるから、開き直つて、主體的な本當の慾求に基づいた生活と文化を作つて行くこと、安吾はそれが日本人にとつての「健康」であると言ふのである。

《即ち、タウトは日本を發見しなければならなかつたが、我々は日本を發見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失つてゐるかも知れぬが、日本を見失ふ筈はない。日本精神とは何ぞや、さういふことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれる筈もなく、又、日本精神といふものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康でありさへすれば、日本そのものが健康だ。》

《見たところのスマートだけでは、眞に美なる物とはなり得ない。すべては、實質の問題だ。美しさのための美しさは素直ではなく、結局、本當のものではないのである。要するに、空虚なのだ。さうして、空虚なものは、その眞實のものによつて人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有つても無くても構はない代物である。法隆寺も平等院も燒けてしまつて一向に構はぬ。必要ならば、法隆寺をとりこはして停車場をつくるがいゝ、我が民族の光輝ある文化や傳統は、そのことによつて決して亡びはしないのである。(略)我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の傳統も健康だ。》

 安吾の思想は戰後の經濟至上主義を先取りしてゐる。經濟至上主義は自然や傳統を破壞したが、それは日本人の必要と慾求に基づいた實質的なものであつた。しかしその結果、現代社會は、有つても無くても構はない代物に溢れてゐる。そして現代もまた、文化の空虚を觀念的に傳統を唱へることで埋め合はせようとする欺瞞的な言説が聞えてくるが、しかしそれは經濟至上主義に對抗し得ぬ空虚なものに過ぎない。

 安吾が語つてゐることには首肯できるところが多く、今讀んでも感銘を受けるが、その一部は極論だと思ふ。それは一つには安吾の感受性の問題であり、その實感に固執するがゆゑの文化概念の狹小さから來るものだらう。たしかに、文化は日本人の主體的な本當の慾求に基づいた、日本人に相應しいものでなければならない。また、文化とは一つの全體であり、そこから切り離された個々の傳統文化的な「物」は(それ自體は素晴らしいものであつたとしても)觀光客向けの土産物屋に飾られる民藝品に異なるものではなく、現代には現代の生きた文化が必要なのであつて、そして現代文化の擔ひ手は我々自身である。その意味では、傳統とは日々新たに作られるべきものである(「古いもの、退屈なものは、亡びるか、生れ變るのが當然だ」)。これらの基本的な點は、安吾は押さへてゐる。しかし、現に日本人であることを根據にして日本の文化や傳統を見失ふ筈はないと言ふ主張は、安易に過ぎる。

 安吾にとつて、傳統的な日本文化は、貧相で寒々しいものであつたやうだ。これは安吾にとつての眞實であつたらう。一つには強烈な觀念の世界から見た時、感覺の世界はしばしばそのやうなものに見えるといふことでもあらうが、結局のところ、安吾自身が傳統から切り離されてゐるためにそれを自分のものとして感じられなかつたといふことであらう。安吾は率直に、自分が良いと思へないものを他人(外國人)から有難がれと言はれても有難がれない、自分が本當に良いと思ふものを良いと思ふ、と述べてゐるに過ぎない。その意味で、「日本文化私觀」は、歐化の過程において傳統から切り離された日本人が、それでもなほ日本人として生きて行かなければならなかつた現實を、文化面から正當化・合理化しようとしたマニフェストだと言へる。

 安吾は自己喪失の歐化ではない、普遍的かつ日本人にとつて内發的な近代を求めてゐたと見ることもできる。歐米の猿眞似をしてゐる日本人の滑稽を笑ふ西洋人(實際には安吾が日本人を笑つてゐると想定してゐる西洋人)に對して、安吾が「彎曲した短い足にズボンをはいてチョコチョコ歩くのが滑稽だから笑ふといふのは無理がないが、我々がさういふ所にこだはりを持たず、もう少し高い所に目的を置いてゐたとしたら、笑ふ方が必ずしも利巧の筈はないではないか」と言つてゐるのは、それを示してゐよう。しかし、合理化を圖り切れないほど、失はれたものの損失は大きかつたであらう。それが證據に、日本人は自己喪失の傷から未だに癒えてゐないではないか。自己喪失の問題そのものを知らず、安吾自身は持つてゐた葛藤も知らずに、安吾の言葉の上つ面を撫でて通る言説に到つては、やむを得ないところもあるが、安吾の議論とは全く異なるコンテクストのものになつてゐることは指摘しておきたい。安吾の文體は魅力的であり、頭にすらすら入る。その魔力に魅せられるのはわかるが、安吾が有難がらなかつたことを以て輕視してよいと考へるのは、安吾が批判した沒主體的な形式主義と變りがない。

 安吾の唱へた主體的な生き方の思想は今も意義を失つてゐないが、必要のために傳統を破壞して進むといふ近代的な世界觀は「實質」や「健康」を齎さないことにおいて終つてゐるといふのが、このエッセイを讀み返しての私の感想であつた。「日本文化私觀」に書かれてゐることは、實存の問題、藝術の問題としては今なほ輝きを失つてはゐないが、文明の問題としてはすでに終つてゐる。そして、主體的な必要や實質に基づいた文化を作らなければならないといふのはその通りだとしても、そのことは傳統に對して主體的な態度で求め、接することを妨げるものではないのである。

(平成17年2月7日記)[戻る]

▼初出
昭和十七年二月二十八日發行『現代文學』三月號に發表。
▼使用したテキスト
筑摩書房版(平成十一年)『坂口安吾全集』第三卷所收
▼坂口安吾
明治三十九年十月二十日〜昭和三十年二月十七日(一九〇六〜一九五五)、新潟縣の豪農の家に生れる。本名は炳五。東洋大學印度哲學科卒業。昭和五年に同人誌「言葉」を創刊し、翌六年一月の第2號に処女作「木枯の酒倉から」を發表。敗戰後は舊來の倫理觀を否定して主體的な生き方を唱へた「墮落論」や「白痴」を發表して支持を受け、太宰治・織田作之助らとともに無頼派と呼ばれた。

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