津軽三味線ひびき

ワールドミュージックと日本音楽の展開

世界の音楽はつながっている。そのため、国境やジャンルなどで明確に分けることはできない。人々の生活がグローバルになっている現代においては、なおさらである。それでも、「音楽は一つ」と言ってしまうのは、現状ではやはり言い過ぎであろう。世界の音楽にはまだまだ多様性がある。

民族音楽(エスニックミュージック)という言葉があるが、実はこれは欧米文化中心主義的な概念である。近代以降の欧米の音楽のスタイルのもの以外を民族音楽と呼ぶのであるが、逆に言うと、近代以降の欧米の文化はエスニックなものではないと考えられているわけである。これは明らかに欧米文化中心主義的な偏見に基づいた見方である。欧米の音楽もまた、欧米諸民族の民族音楽だからである。

このような欧米文化中心主義的な偏見が形成されたのは、近代市民社会や現代大衆社会が成立したのが欧米地域であったからだ。いわゆるクラシックとは近代市民社会の音楽であり、いわゆるポップスとは現代大衆社会の音楽である。いずれも欧米文明が優位であつた時代に成立し、他地域に広がったという歴史的条件のために、クラシックとポップスは普遍的なものと考えられ(もちろん擬似的な普遍性)、それ以外のものが民族音楽として分類されることになったのである。

日本の場合、明治維新以後の公教育において極端な欧化政策を取った。音楽教育においても全面的に西洋音楽を導入し、西洋音楽一辺倒になった。そして、自らの民族文化・民族音楽を軽視してきた。西洋かぶれの国家エリートたちは、自らの民族音楽を蔑視すらしていた。そうした自文化蔑視の傾向は最初は国家エリートレベルのことであったが、いつのまにか大衆レベルでも見られるようになった。近代日本においては国民生活に公教育が大きな比重を占めていたために、その洗脳力も強力であった。結果的に、日本のポップスは世界的に比較してもっとも自らの民族的要素との接点のない音楽になった。

現代の日本で大衆音楽レベルにまで民族音楽の要素が乏しいのは、明治以降に西洋音楽を崇拝して民族音楽を軽視し周辺部へと追いやったからであるが、それによって西洋音楽と民族音楽とが融合することなく、民族音楽が近代以降に発展する契機を持たないままに来たのである。現代日本のポップスが民族的要素を取り入れようとしても、音楽的感覚が自らの民族的な音楽的伝統との乖離を感じるため、うまく取り入れることができなかったのである。結局、日本のポップスはその時代その時代の欧米のポップスの流行の追随と模倣に終始し、大衆音楽としての自らの伝統を持つことができずに来たのである。こうしたことは、音楽以外のあらゆる日本文化においても見られる現象である。

しかし、このような状況にも少しずつ変化が見られる。欧米や世界で民族音楽が注目されたことの影響で、ようやく自らの音楽的ルーツに目を向けるようになったのである。

一九八〇年代前後から世界的に民族音楽のブームが起こり、音楽業界がこれをワールドミュージックと名づけた。今ではどこの音楽ソフト販売店に行ってもワールドミュージックというコーナーがあり、すでにポップスの一部門として認知されている。このような民族音楽の一般化現象を受けて、日本自身の民族音楽を見直そうという機運があちこちで起こっている。和太鼓・沖縄民謡・津軽三味線のブームは、その代表的なものである。近代以降の日本人は自文化でさえ海外で評価されて初めて評価できるという精神構造になっているので、この民族音楽見直しの現象も世界でワールドミュージックが評価されたことの追随と模倣であるが、それはともかくとして、ワールドミュージックという視点で捉えられた日本の民族音楽がポップスと融合する環境が生まれたことによって、ようやく日本の民族音楽が新たに発展する可能性を持ったと言える。勿論、それ以前も邦楽をやっていた日本人はいたが、その営みは古い伝統音楽や特殊な民族音楽として現代の音楽とは別物扱いを受けていた。しかしその状況が、ここに来て大衆レベルで大きく変わったのである。

音楽は、理屈ではなく美であり、快であるから、日本人であっても、日本の民族音楽に何も感じない人や嫌いだという人は、無理に接する必要はないのだが、日本の民族音楽に魅力を感じる人にとっては、ここから新たな日本音楽の展開があるはずである。

(平成16年4月15日記、郷音)

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