高津八幡宮本殿

創祀は元慶五年(八八一)。

御祭神は、応神天皇・仁徳天皇・仲哀天皇・神功皇后・玉依比賣命。

六世紀中頃にインドから渡来した法道仙人の開いた道場だつたが、男山から金鳩が飛来したのを瑞祥として石清水八幡宮より勧請したと伝へる。別名を如意別宮と言ひ、真言宗醍醐派の究意院(極楽寺)を別当寺としてゐた。綾部藩主九鬼氏や福知山藩主有馬氏に尊崇され、現社殿は第九代藩主九鬼隆都により嘉永元年(一八四八)に完成したもの。旧府社。


高津八幡宮全景

■探訪記

JR高津駅に近い府道8号線の南側、八幡山山腹に鎮座します。本坂と呼ばれる数百段の参道石段は江戸後期に三十年以上かけて村民の寄進により造られたもので、平成五年には裏坂参道(自動車道)も整備されてゐます。法道仙人は現在の兵庫県を中心に活躍したと伝へられ、京都丹波では珍しく、兵庫丹波とのつながりを感じさせます。八幡山には中世の大槻氏の居城高津城(八幡山城)址があります。

H25.11.10記

荒倉神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔鳴命。

円墳の上に建てられてをり、高津八幡宮以前の地主神とも考へられてゐる。


荒倉神社全景

■探訪記

JR高津駅に程近い荒倉川のほとり、高津公会堂の隣りに鎮座します。本堂右に樹齢三百年以上で綾部の古木・名木100選に選ばれたケヤキがあり、そこにいらつしやつたお年寄りの女性が子供の頃はうろで遊んだと仰つてゐました。かつては社と数十メートル離れた荒倉川に架かる橋との間を何度も往復しながら願掛けをする数参りといふ風習がありましたが、現在はもう行なふ人がゐないさうです。

H25.11.10記

福田神社本殿

創祀は延喜年間中(九〇一~九二三)。

御祭神は火産霊神・植山比売神。

現在の社殿は寛永十四年(一六三七)に大志万勝兵衛景次によつて造営された。平成六年に社殿修復及び覆屋を改築した。

大志万氏は由良川対岸の私市城主だつた土豪で、赤井直正に滅ぼされ、一族は帰農した。景次はその末裔か。大島町といふ地名も大志万氏と関連してゐるのかもしれない。


福田神社全景

■探訪記

府道8号線の南側、中筋小学校から二百メートルほど西の甲ケ岳山麓に鎮座します。境内社の猿田彦命を祀る梅の森神社は丹波猿楽の梅若家ゆかりの神社で、丹波移住の際に梅宮大社から勧請したのが始まりと伝へられ、明治初年に現在地に移築されたものです。十月に夫婦神(福田神社が男神)とされる岡町の木祖殿神社と合同の祭礼が行なはれます。境内の二股に分かれた夫婦杉は関係があるのでせうか。

H25.11.12記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

古くから大島村森下の森に鎮座してゐたが、由良川堤防及び広域農道建設のため、平成四年十二月に現在地に遷座。社殿は享保十六年(一七三一)の造営になるもの。


稲荷神社全景

■探訪記

福田神社の手前に鎮座します。福田神社の摂社ではなく、独立してお祀りされてゐるやうです。社殿と石鳥居は元の鎮座地からの移築、朱塗りの鳥居は一番講以下の講中が寄進したものです。立札に社殿は享保十六年造営と書かれてゐますが、御祭神は天保十五年(一八四四)に伏見稲荷大社から勧請とあります。古くは別の神様をお祀りしてゐたのか、稲荷社ではあつたが改めて勧請したのかは不明です。

H25.11.15記

山の神神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は山の神。

丹波地域の山の神は大山祗命として祀られてゐることが多い。十一月下旬に祭礼が行なはれる。


山の神神社全景

■探訪記

中筋小学校の西側、丹波守護代の内藤宗勝(松永長頼)が、綾部も含む福知山盆地進出の拠点とした甲ケ岳城址の登り口に鎮座します。

前の広場は、夫婦関係にある大島町の福田神社と岡町の木祖殿神社合同の秋祭りで両神社の神輿が出会ふ馬場となつてゐて、山の神神社も御旅所的な社なのかもしれません。

近くに薬師堂や地蔵もあります。

H25.11.17記

木祖殿神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は久久能知神。

久久能知神は伊邪那岐命と伊邪那美命の御子神で、木の神(木祖神)や家の神(棟上げの神)として尊崇されてゐる。

延徳二年(一四九〇)、位田、荻野、大槻、須知など丹波の国人衆が丹波守護代の上原氏に対して起こした位田の乱により社殿古記録を消失。現社殿は元禄十六年(一七〇三)に建てられたもの。


木祖殿神社全景

■探訪記

綾部高校の北隣りに鎮座します。白い鳥居が特徴です。府道八号線沿ひに鳥居と裏参道があります。

久久能知神は舟に乗つて当地に流れ付かれと伝へられ、かつては舟の宮と呼ばれて境内は舟の形になぞらへてゐたさうです。西宮の公智神社や豊岡の久久比神社などが主神としてお祀りしてゐます。十月に夫婦神(木祖殿神社が女神)とされる大島町の福田神社と合同の祭礼が行なはれます。

H25.11.19記

山添神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は草野比売神。かやのひめと読み、草の祖神である。

現社殿は天保十一年に建て替へられたもの。

合祀されてゐる蛭子神社は、すぐ近くの四尾山の西山麓の打越と蛭子の辺りの山から遷座したもので、蛭子神社奉賛会がある。


山添神社全景

■探訪記

綾部高校の南側、府道522号、安場川沿ひの上延町公会堂の左に鎮座します。

本殿の左に並んで鎮座する蛭子神社は、見た感じが山添神社とほとんど同じですが、一回り小さい社です。

境内の二本の大木ヒノキとスギが綾部の古木・名木100選に選定されてゐます。

H25.11.21記

八坂神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔鳴命。


八坂神社全景

■探訪記

四尾山麓の高台にある綾部中学の道路脇の斜面に鎮座します。

道路脇から細い参道があり、そこから林の中を降りて行きます。

宮代町に鎮座しますが、隣町JRの線路の北側の井倉町がお祀りされてゐるやうです。

H25.11.23記

綾部八幡宮本殿

創祀は治承年間(一一七七~八一)。

御祭神は、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・仁徳天皇・武内宿禰。

丹波国守平重盛が石清水八幡宮の別宮として勧請したと伝へる。綾部郷の惣社で、井倉八幡宮とも呼ばれてゐた(氏子は井倉町が中心)。春季大祭(お田植ゑ式)や秋季大祭は旧綾部町内の神社が協力し、秋季大祭には当社と若宮神社・二宮神社・笠原神社(齋神社)の四社の神輿が街を巡つた後、市役所前に集まり八社合同の神事を行なふ。旧郷社。


綾部八幡宮石凝姫命聖岩

■探訪記

綾部中学の東隣りに鎮座します。綾部と平重盛との関係は不詳ですが、熊野新宮神社や綾部井堰など多くの重盛伝承が残ります。直筆とされる八幡別宮社大菩薩の扁額もあります。境内に八幡宮山麓が湖だつた時代に巨岩が男岩と女岩に裂けて石凝姫命が出現し鎮まつたと伝へる岩があり、岩神さんとして蝮除け・害虫封じ・頭痛・歯痛などの神様、また縁結びの神様として信仰されてゐます。山麓一帯を整理するに当たり参道から現在地に移されたものです。


綾部八幡宮全景

鳥居前には右側だけに石灯籠がありますが、幕末に由良の石工に注文した由良石で作られたもので、由良川を遡つて運ばれる途中、舞鶴市大川で荷崩れして一基が沈み、残る一基だけが据ゑ付けられたとのことです。その後沈んだ一基は引き上げられ、大川神社の鳥居前に置かれたさうです。現在大川神社には同じサイズの石灯籠が残りますが、一基ではなく対で建てられてゐます。

H25.11.25記

加迫神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天御中主命。

江戸時代の資料では妙見社とあるが、神仏習合では妙見菩薩と天御中主命と同体と見做されてゐた。

綾部八幡宮の境外社で、藩主九鬼氏の崇敬も篤く、事業繁栄・災厄免除・五穀豊穣・心願成就(一説に勝負)などの神様として崇敬されてきた。摂社の加迫稲荷は最上位経王大菩薩を祀る。


加迫神社全景

■探訪記

綾部市中心部の南西、四尾山山腹の住宅地に鎮座します。綾部は四尾山山腹の斜面に住宅地が広がつてをり、加迫神社もかなり坂を上つて行かなければなりません。

隣りの林の中に5基の円墳からなる加迫古墳群がありましたが、現在は消滅しました。

H25.11.27記