綾部天満宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は菅原道真公。

相殿に賀茂大神を祀る。

綾部駅の東から南にかけての一帯は、かつての城下町の中心部からすると町外れで、天神馬場と呼ばれてゐた。明治四十三年に綾部駅ができると、秋には芝居小屋が建てられ、サーカスもしばしば開かれるなど大変賑はつたといふ。合同秋季大祭の神輿も天神馬場が御旅所だつた。


綾部天満宮全景

■探訪記

綾部駅南口を降りてすぐの駅前に鎮座します。

元は東隣りのNTT綾部別館付近に鎮座してゐましたが、昭和三十一年に開始された都市計画事業で綾部駅や都市計画道路、駐車場などが整備されることになり、その時に神社も現在地の小さな敷地に遷座しました。

H25.11.29記

綾部稲荷社本殿

創祀は昭和四十四年。

御祭神は倉稲魂命。

綾部商工会議所が伏見稲荷大社から勧請し、綾部商工センターの屋上に祀つたのが始まりで、当時は綾部商工稲荷と呼ばれてゐた。会議所が移転し、奉賛会も解散したため、御神体は平成十六年から会議所の事務所に安置されてゐた。商工会議所では再び社を建立するため、西町一丁目にあつた割烹の敷地と建物を取得し、敷地の4分の1を割いて平成十九年に綾部稲荷社を建立した。


綾部稲荷社全景

■探訪記

綾部中心部のメインストリート広小路通りに面し、近年再開発された西町アイタウンの一筋西に鎮座します。綾部商工会が商ひの神様として祀る稲荷社です。周囲は鮮やかな赤い玉垣で囲まれてゐて、目を惹きます。おばんざい居酒屋「花一輪」の敷地内に鎮座してゐるやうに見えますが、逆で、稲荷神社のために取得した建物と敷地の残りを花一輪に貸してゐます。

H25.12.1記

山乃神神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は山の神。

綾部で稲作が始まつた時代から農耕神として崇敬されてきたと伝へる。十二月の第1日曜日に大祭が行なはれる。


山乃神神社全景

■探訪記

四尾山の藤兵衛谷の杉木立に鎮座します。神宮寺町公会堂から藤兵衛谷に入る道を行くと、祠の手前に文化四年(一八〇七)に築かれた山の神池があります。神社近辺は山ノ神といふ地名です。平成十九年に神宮寺町で上下水道が行なはれた時に出た石材を使つて境内が整備されました。明治時代に建てられた社殿の真後ろに根元から10本ほどに分かれて伸びる特殊な形状の樹があります。御神木でせうか。

H25.12.3記

若宮神社本殿

創祀は治承年間(一一七七~一一八〇)。

御祭神は仁徳天皇。

丹波国守平重盛が石清水八幡宮の権殿(若宮社)に祀られてゐる仁徳天皇の御分霊を勧請したのが創祀と伝へる。綾部藩の初代藩主九鬼隆李が寛永十年に鳥羽(三重県)から綾部に入封した時に綾部藩の総氏神と定めた。その当時は少し北の坂口(現在の田町)に祀られてゐたが、隆李が屋形(陣屋)を上本宮山の西麓に移すに際して、屋形の正面である藤山の中腹に遷座した。


杵の宮

■探訪記

大本長生殿の少し西に鎮座します。

左右に朱塗りの灯籠が並ぶ石段を登ると、社殿が二つあり、右が本殿、左は猿田彦命を祀るあやべ厄除神社で、綾部の厄神さんとして崇敬されてをり、社殿も立派です。境内には石造りの神馬や藩主の子孫で前熊野本宮大社宮司の植樹した樹があります。

境内社の杵の宮は鮭退治の珍しい伝承を持つ神社です。それによりますと、昔、丹後から来た行商人が雉と乾鮭を交換しました。


若宮神社全景

鮭を食べない決まりの大原神社(福知山市三和町)の氏子の村人は鮭を古池に捨ててしまひます。乾鮭は古池の主となり、人身御供を要求します。再び訪れた行商人は乾鮭の化け物を杵で退治し、その杵を神様に祀つたといふ伝承です。元は田野川のほとりに祀られてゐましたが、現在は藩祖九鬼隆季を祀る九鬼霊社に合祀されてゐます。そして杵の宮の御神体は、九鬼家と交流のあつた合気道の植芝盛平に譲られ、茨城県の合気神社に祀られたさうです。

H25.12.5記

四つ尾稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

真言宗千手院裏の石段を登つたところに本堂の薬師堂のある広場があり、山際に四つ尾稲荷の他、天満宮(文殊さんとも)・四明神社(権現さんとも)・水神さん・地蔵などが祀られてゐる。元はすぐそばの本堂右に鎮座し、鳥居もあつたが、数年前に遷座し、現在の形になつた。稲荷社であるが、春に行なはれる柴燈火生三昧の大護摩が有名で、現在に生きる神仏習合の聖地である。


四つ尾稲荷神社全景

■探訪記

綾部市街が一望できる四尾山山腹の南ヶ丘にある千手院の境内に鎮座します。千手院の鎮守社ですが、それにとどまらない信仰を集めてをり、春の柴燈大護摩は千手院住職や山伏が参加し、檀家が組み立てた護摩壇の護摩の後、一般の参拝者や消防関係者なども参加する火渡りが行なはれ、終了後は稲荷らしく稲荷寿司の接待があります。すぐ左には忠魂碑もあり、綾部の一大霊的スポットになつてゐます。

H25.12.7記

大谷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔鳴命。

素戔鳴命は厄神さんとして厄除けの神として尊崇されてゐるが、牛頭天王としては牛の守護神としても信仰されてゐる。


大谷神社全景

■探訪記

大本長生殿の南、寺町の斜面に並ぶ住宅街の上に鎮座します。鳥居から木立の中に作られた長い参道を本殿まで百メートルほど歩くと、左に公園、突き当たりに摂社群があり、右側が少し広くなつてゐて本殿があります。

土用の丑の日が例祭日で、その日は社前に笹が供へられ、参詣者はその笹を頂いて牛に食べさせて無事を祈るといふ風習がありました。

H25.12.9記

歓喜稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

元々は青木稲荷と呼ばれてゐたが、大本教と関はりが深く、出口王仁三郎が歓喜と命名したとされる。境内地も大本の所有だつたが、三十年ほど前に並松町自治会が譲り受け、奉祀してゐる。


歓喜稲荷神社全景

■探訪記

大本本宮山の真東、綾部大橋に近い由良川に沿つた道の傍らに鎮座します。

二月の大祭は大本から神職を呼んで行なはれます。花街のあつた当時は、商売繁盛の神として月見町のお茶屋や芸妓さんの崇敬も篤かつたさうです。

H25.12.11記

熊野新宮神社本殿

創祀は正暦年間(九九〇~九九五)。

御祭神は素戔鳴命・事解男命・速玉男命・伊弉那岐命・伊弉那美命。

古記によると、一条天皇の御世、丸山(現在の本宮山)に三社大権現を勧請したのが始まりとする。高倉天皇の御世に平重盛が当地が熊野那智に似てゐるとして本宮山と命名し、伊弉那岐、伊弉那美の二柱を祀つた。綾部の地名に本宮町や新宮町などがあるのもその関係と言ふ。大本とも関はりが深く、王仁三郎の歌碑があり、一族が宮司を務めてゐる。


熊野新宮神社全景

■探訪記

由良川河畔、大本通り商店街の東端のJRの踏み切りを越えたところに鎮座します。現在地に遷座したのは元禄十一年(一六九八)、遷座に際して改めて熊野新宮大社から分霊を受け、熊野神社から熊野新宮神社に改称し、六月二十八日に遷座祭が行なはれました。

三百年以上続く水無月大祭は、遷座を記念して七月二十八日(旧暦の六月二十八日)に行なはれます。


恵比須神社

境内の恵比須神社は明治三十五年、綾部町内の呉服組合の商店主らが西宮蛭神社の分霊を祀つたのが始まりで、昭和二十九年から初ゑびす大祭を始めました。仮装した七福神や宝船であるゑびす丸が市街地を巡行するお祭りです。

大正六年には貞明皇后が蚕都である綾部に行啓されたことを記念して、皇居の紅葉山御養蚕所に祀られてゐる蚕神を合祀し、養蚕が廃れた現在も春に蚕神祭が行なはれてゐます。

H25.12.13記

笠原神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大名持命。

旧村社。願かけをし、成就した時には、笠を奉納する風習があつたと伝へる。


笠原神社全景

■探訪記

由良川の東岸、新綾部大橋のそばに鎮座します。正一位笠原大明神の扁額の掛けられた鳥居を潜ると、参道の左は林、右は竹林になつてゐます。境内社に雨の宮大神・荒神宮・稲荷社などが鎮座します。昭和四十六年に近くの畑地で縄文時代の石鏃が発見されました。綾部で初めての縄文の発掘品でした(その後、色々なものが出ました)。出雲系の神社ですが、相当の古社なのかもしれません。

H25.12.15記

紫水稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


紫水稲荷神社全景

■探訪記

綾部大橋を渡つた由良川の東岸、紫水ヶ丘の斜面に鎮座します。菊見橋を越えたところにある急斜面の長い石段を上ると、朱塗りの小さな社殿が鎮座します。祠の後ろに魁偉な大木があります。御神木でせうか。

味方町では戦後、十数年に亙つて綾部菊人形展が、現在では菊花展が催されてゐるさうです。

H25.12.17記