諏訪神社本殿

創祀は応永年間(一三九四~一四二七)。

御祭神は建御名方命。

崇峻天皇の御世(五八七~五九二)、丹波・丹後を平定するために朝廷から遣はされた金丸親王(麻呂子親王)が諏訪神社を含む志賀の里の五社を厚く信仰されたと伝へるが、綾部市史によると、応永年間に国人領主の志賀頼宗が北野城(志賀城)の城主となり、その鎮守として諏訪神社を勧請したといふ。


諏訪神社参道

■探訪記

志賀小学校の数百メートル北の山裾に鎮座します。運動公園の裏手から200メートルほどの石畳の参道が続きます。本殿石段前には「志賀の七不思議」の一つ御用柿(毎年旧暦の正月六日、金丸親王お手植ゑの柿の木に実が三つなり、七色を呈したといふもの)の伝承が残ります。また、七月の諏訪祭には子供相撲が奉納されます。神社の裏山には諏訪神社を勧請した志賀頼宗の居城北野城があります。

H26.1.19記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

府道494号の志賀郷の交差点から向田町方面へ抜ける峠の頂上付近の斜面に鎮座します。

個人もしくは一族か、地域の稲荷講で祀つてゐる神社でせう。右は住宅、左は墓地(詣り墓かもしれません)になつてゐます。

H26.1.21記

愛宕神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は軻遇突智神(火産霊神)。


愛宕神社全景

■探訪記

府道491号沿ひの坊口町作業所向かひの高台に、坊口公会堂、観音堂と一緒に鎮座します。地元の方によると、観音堂は綾部市と福知山市大江町の境の岳山にあつた滝倉山金剛寺が享保四年(一七二〇)に現在地に再建されたもので、金剛寺との関係は不明ですが、愛宕神社も岳山を抜ける坊口町と大江町市原谷との間を結んでゐた岳峠(現在途絶)から遷座したといふことです。

H26.1.27記

篠田神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大国主命。

崇峻天皇の御世(五八七~五九二)、丹波・丹後を平定するために朝廷から遣はされた金丸親王(麻呂子親王)が、篠田神社を含む志賀の里の五社を厚く信仰され、篠田神社には竹をお手植ゑされたと伝へる。かつては白田大明神と称した。


篠田神社御ミノシベ

■探訪記

府道494号線沿ひの小高い丘の上に鎮座します。この通りは、地元では筍街道とも呼ばれます。

伝説的な古社で、社殿は拝殿と本殿を廊下で結んだ立派なものです。

篠田神社には「志賀の七不思議」の一つ竹の子の伝承が残ります。本殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる玉垣に囲まれた竹林があります。


篠田神社全景

かつて毎年旧暦の正月四日の早朝、「御ミノシベ」に季節外れの竹の子が3本生え、その竹の子の成長の具合などから稲作などの吉凶を占つたと伝へられてゐます。

白田大明神が、篠竹との関係で篠田と言ふやうになつたのでせうか。

H26.2.2記

本興稲荷神社本殿

創祀は寛永年間(一六二四~一六四四)。※九鬼氏が綾部に入封した寛永十年以降。

御祭神は倉稲魂命。

綾部藩初代藩主九鬼隆李が伏見稲荷大社から勧請。北隣に九鬼氏の菩提寺隆興寺があり、本興稲荷はその鎮守社。本年(平成二十六年)隆興寺開山三八〇年を記念して、稲荷社は薄れてゐた朱を塗り直し、境内社の藤山天満宮は立て直された。九鬼氏の当主で熊野本宮大社の宮司を務める九鬼家隆氏を含め、神仏合同で遷座開眼法要が行なはれた。


綾部藩主奥津城

■探訪記

綾部小学校の少し西の藤山山腹に鎮座します。

神社と隆興寺の間には九鬼氏代々の奥津城があります。四月の第二日曜日の例大祭は、神主ではなく隆興寺の住職により執り行なはれ、九鬼水軍の戦陣太鼓を受け継ぐ綾部太鼓保存会子供太鼓などが奉納されます。

大本の開祖出口なをが深く信仰してゐたことでも知られてゐます。

H26.10.1記

白尾稲荷神社本殿

創祀は嘉永二年(一八四九)。

御祭神は倉稲魂命。

元はこの付近に居住してゐた庄屋桜井家が備中津山の愛染寺から勧請して屋敷神として祀つてゐたと伝へる。


白尾稲荷神社全景

■探訪記

JR舞鶴線の線路の北側、由良川堤防沿ひに鎮座します。

昭和四十三年、由良川改修及び堤防建設工事に伴つて現在地に遷座しました。平成二十五年にも改修してゐます。

最上位白尾稲荷神社初午まつりは青野町自治会が執り行なひます。二宮神社の宮司が兼任されてゐるやうで、二宮神社末社の扱ひとなつてゐるやうです。

H26.10.9記

二宮神社本殿

創祀は寛政八年(一七九六)。

御祭神は国常立尊・豊雲野尊。

昭和四十五年に、同じ町内の豊雲野尊を祀る安永九年(一七八〇)創建の三宮神社を合祀した。


二宮神社全景

■探訪記

綾部駅の北東、由良川に囲まれた青野町公会堂の近くに鎮座します。

境内の八坂神社は「綾部の祇園さん」として尊崇されてゐます。

現宮司は丹波綾真会の山伏でもあり、寺町の真言宗正歴寺の不動妙王祭や綾部町区仏教会10ケ寺の精霊送り火などには行者として参加するさうです。

H26.10.11記

御手槻神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は伊邪那岐命。

御祭神については、度会延経が『神名帳考証』で豊宇気姫命とするなど諸説あつたが、伴信友の説を入れて、昭和十一年に決定された。本来は吉美郷の氏神であつたが、中世に高倉神社が氏神とされるやうになつたので、隣接する位田に譲られたとの伝承が残る。満月大明神とも呼ばれてゐた。


御手槻神社全景

■探訪記

綾部の中心部から由良川に架かる白瀬橋を渡つてすぐのところ、府道74号線(位田街道)沿ひに鎮座します。創祀は不詳ですが、式内社で、大変古い神社です。

平成二十五年の春、強風によつて木製の大鳥居が倒壊したので、石造で立て直されました。

秋季例大祭は、同じ位田町の氏政神社と合同で行はれます。

H26.10.16記

里宮高倉神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は以仁王。

当社の伝承によると、平氏打倒を試みた以仁王が源三位頼政の領地のある丹波に落ち延びられ、この地で亡くなられた。翌年に高倉神社に遷してお祀りしたが、以仁王最期の地であるこの地でも元宮として祀り、御旅所とした。


里宮高倉神社全景

■探訪記

綾部の中心部から由良川に架かる白瀬橋を渡つて北上し、府道77号線が府道74号線に変はつてすぐのところに鎮座します。

伝承のやうに、高倉町に鎮座する高倉神社の御旅所です。高倉神社の神輿巡幸行列ではここで休憩し、ヒヤソ踊も行はれます。

H26.10.19記

天満宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は菅原道真公。

高倉町に鎮座する高倉神社と縁がある吉美地区(旧吉美村)の六社の一つ。


天満宮全景

■探訪記

府道74号線沿ひにある多田町公会堂の近くに鎮座します。

社殿の右側に鎮座する祠は三宮神社で、かつては町内の別のところに祀られてゐたのを天満宮の境内に遷しました。三宮神社も吉美六社の一つです。

H26.10.21記