広瀬八幡宮広瀬町 |
創祀は不詳。寛文五年(一六六五)、山家藩主谷衛廣が再建したと伝へる。 御祭神は応神天皇。厄神社・竹内宿禰を合祀する。 旧郷社。 ■探訪記 由良川の右岸、山城であつた山家陣屋址のある甲ヶ峰山の東側(反対側)、小村ながらも山家城下と言へる広瀬町の中心に鎮座します。 山家藩時代は、武家は氏子となり、住民も氏神として尊崇してゐました。今も一月の厄除祭は参拝が多く、山家地区の中心的な神社です。境内は広く、境内社に天満宮、諏訪神社などが鎮座します。 H27.12.26記 |
丹波の神社 |
谷霊神社広瀬町 |
創祀は安永七年(一七七八)。 御祭神は山家藩主谷氏の藩祖衛好公、初代衛友公を祀る。 第七代衛秀が、藩祖衛好が三木の陣に戦死してから二百年に当たり、三木の大膳廊に墓碑を建立し、谷霊神社を建立したのが始まり。 ■探訪記 広瀬町の山家陣屋跡に鎮座します。山家藩一万石の藩主谷氏の祖霊社です。 神社は城址公園の門を潜つてすぐのところに鎮座します。現在建つてゐる建物は平成四年に建てられた模擬門で、実際には山家陣屋はこの谷霊神社の後方にありました。模擬門の前に鳥居が設けられ、模擬門は公園の入口と谷霊神社の門を兼ねてゐます。 H28.1.1記 |
丹波の神社 |
伊也神社広瀬町 |
創祀は不詳。 御祭神は大日霊貴尊・素盞鳴尊・月夜見尊。 崇神天皇の御代、丹波道主命がこの地に遣はされて甲ヶ峯の麓に宮を築き祀つた。のちに伊也神社を勧進した。天正年間に火災で焼け、跡地を御社と呼んでゐたが、文化七年(一八一〇)十月、清原宣光公によつて現在地に遷座再建。明治三年に類焼、翌年再建。昭和五十五年に修復。延喜式内社。 ■探訪記 山家陣屋跡の背後の城山中腹に鎮座します。丹波の古社の一つです。城址公園の谷霊神社のすくそばに鳥居と階段があります。神社は参拝するのに苦労するやうな高い場所ではありません。石垣の上に鎮座する社殿の背後は磐座になつてゐます。城山は谷氏の前にこの地を領してゐた和久氏の山家城(甲ヶ峯城)があつた場所で、和久氏の名前から左衛門屋敷といふ呼び方も残つてゐます。 H28.1.3記 |
丹波の神社 |
稲荷神社東山町 |
創祀は不詳。 御祭神は倉稲魂命。 ■探訪記 府道1号線沿ひのあやべ市民バスの東綾小・中学校前バス停のすぐ前に鎮座します。国道27号線から綾部温泉がある上林の谷への上がり口を少し入つた辺りです。 この付近はちよつとした町を形成してをり、この地域の稲荷講で祀つてゐるものと思はれます。朱塗りも鮮やかな稲荷社です。 H28.1.5記 |
丹波の神社 |
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