子安権現山門

創祀は寛治四年(一〇九〇)。

御祭神は熊野権現。

白河法皇の勅願所として法皇の意向を受けた新宮大和守重利が建立したと伝へる。室町末に玉雲寺二十一世竹翁英公和尚が再興して、曹洞宗馬眼山新宮寺となつた。熊野権現は新宮寺の管理となり、今に到る。元禄五年(一六九二)に、新宮道意(新宮大和守の子孫)により改修。

安産の信仰が厚く、広域から参詣者がある。


子安権現本殿

■探訪記

新宮谷を数百メートル入り、新宮川の権現橋を渡ると新宮寺があります。新宮寺の右側に子安権現の山門があり、長い階段を昇り切ると、朱塗りの三間社流造りの権現堂が鎮座します。本尊として愛染明王を中心とする熊野十二所権現本地仏像(京都府登録文化財)十二躯が安置されてゐます。権現堂は神社造りですが、鳥居は昔からないさうです。権現堂までには弁財天(丹波寿七福神)・大日堂・不動堂・稲荷社が鎮座します。


子安権現石段

白河法皇が熊野参籠中、紅雲たなびく地に熊野権現の分身を安置せよとの夢告があり、新宮・上田の二人の従者を連れて丹波の豊田村(紅村)に行幸された。新宮川の橋を渡つたところで馬が転び、転んだ馬が山を睨んでゐたので、馬眼山と呼ぶやうになつた、といふ由来譚が残されてゐます。

地元の方に伺つたところ、急傾斜の長い階段を妊婦さん自身も昇るさうです。参詣者はかねの緒(鰐口の引き綱に結ぶ名を記した白布)を奉納します。

H18.11.24記

不動明王

創祀は不詳。

御祭神は不動明王。

平成十六年、鳥居が新しく建てられた。


不動の滝

■探訪記

口八田笹尾の人里が途切れ、三国岳の山中に2キロほど入つた谷間の、巨大な岩から流れ落ちる滝のそばに鎮座します。昼間も暗く、一人で行くのは恐い場所です。笹尾の不動の滝はあまり知られてゐないやうですが、雰囲気のある小滝です。笹尾は亀山藩の領地で、昔は八田笹尾村と呼ばれてゐました。不動明王の谷川は、簡易水道や農業用水の水源になつてゐます。山を越えると兵庫県篠山市です。

H19.2.11記

妙見神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天之御中主神。

野添は平屋十ヶ村の一つで、宮脇の道祖神社の氏子である。


妙見神社全景

■探訪記

野添の岡の斜面に鎮座します。杉の御神木が目印です。地元の人は妙見さんと言つてゐますが、近くの日蓮宗長久寺の関係者の私物として扱はれてをり、境内に南無妙法蓮華経の碑が建てられてゐます。社殿左に稲荷社が鎮座し、その中には布袋さんらしき神像も祀られてゐました。地元の人によると、岡全体は亀の形をしてゐて、山が崩れてできたといふ伝承があるさうです。

H19.3.10記

不動明王本殿

創祀は昭和九年。

御祭神は不動明王。


不動明王全景

■探訪記

JR山陰線下山駅前の商店街が途切れる綾部方面側の踏み切りの横に鎮座します。

現代的な神仏習合的ポイントで、境内には不動明王の他に、粟島(淡島?)神社と地蔵尊が祀られてゐます。鳥居はありませんが、神社的な雰囲気です。

H19.10.26記

妙見宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は妙見大菩薩(天御中主命)。


妙見宮全景

■探訪記

胡麻の新町に鎮座します。小さな杜に囲まれた境内には妙見堂と集会所、それに摂社が鎮座します。

日吉神社例祭(馬駆け)では、広野の地蔵の次に巡拝し、シトギを奉納します。

H20.2.21記

行者大菩薩本殿

創祀は不詳。

御祭神は役行者。


行者大菩薩全景

■探訪記

国道177号沿ひの山中に鎮座します。

一の鳥居がある国道沿ひから手すりが付いた曲がりくねつた参道を登つて行くと、途中に大岩があり、さらに登ると鳥居があつて、巨大な磐座に抱かれた洞窟に祠が鎮座します。磐座の威圧感もあり、祠周辺は一種異様な雰囲気があります。

地元では「八田の行者はん」と呼ばれ、九月に行者祭が行なはれてゐます。

H20.12.26記

聖真院権現本殿

創祀は不詳。

御祭神は聖真院権現。


聖真院権現全景

■探訪記

長谷運動公園の近く、萱野から島まで長谷の集落を通る道沿ひに鎮座します。

聖真院権現の詳細は不明ですが、竹内さんといふお宅で祀つてをられるさうです。

H21.2.17記

妙徳伴大明神本殿

創祀は不詳。

御祭神は妙徳伴大明神。

幕末、福知山藩は財政再建を図り、年貢を増徴し、専売制を強めて手数料収入を得る諸商業正直取締会所を設置した。安政六年(一八五九)、地元の侠客松本屋銀兵衛の用心棒の作州津山浪人松岡半十郎と信州浪人西郷新太郎が正直会所に押し入り、役人を殺し、多額の金銭を奪つて貧民に施して逃げたが、捕へられ、新太郎は獄死、半十郎は和久市で処刑された。その後、半十郎は義賊として祀られた。


妙徳伴大明神全景

■探訪記

和久市町の住宅街に鎮座します。半十郎は処刑される時に守り本尊の一寸八分の観音像を飲み込み、自分の墓に好物の梅干を備へて願掛けするならば首から上の病気を治すと言ひ残したと伝へます。このゆゑに梅干半十郎観音とも言ひます。現在の祠は昭和三十年の建立、今でも梅干や花が絶えまなく供へられ、九月二十日の大祭には常照寺住職による加持祈祷や半十郎観音大明神の御札販売もあります。

H25.4.21記

秋山慈雲霊神本殿

創祀は文久三年(一八六三)。

御祭神は秋山慈雲功雄霊神。

幕末、中嶋民五郎の母が下の病に苦しみ、痔疾と下の病の神、秋山慈雲霊神に願掛けし、全治したので御神石躰を常照寺に寄進した。

秋山慈雲は江戸の酒問屋岡田孫左衛門の法号。孫左衛門は重い痔疾に悩み、浅草の本性寺で懺悔滅罪の修行をしたが、延享元年(一七四四)に没。臨終に際し、痔疾に苦しむ人を守護しようと遺言。痔疾と下の病の神様として広く崇敬されてゐる。


秋山慈雲霊神全景

■探訪記

日蓮宗常照寺境内に鎮座します。現社殿は常照寺本堂の改修を記念して平成十九年に寄進建立されました。本性寺の他、日蓮宗の寺院を中心に各地に祀られてをり、京都には東漸寺(現在は廃寺で大谷祖廟の中)など十箇所ほどで祀られてゐるさうです。

因みに、関係があるか不明ですが、ボラギノールの天藤製薬は福知山城下で創業、すぐ近くに発祥の地があります。

H25.4.23記

脳天大神本殿

創祀は昭和四十九年。

御祭神は脳天大神。

脳天大神は、昭和二十六年、金峯山寺初代管長の五條覚澄大僧正が修行中に霊威感得した頭脳の守護神で、吉野の金峯山寺の蔵王堂のさらに奥に祀られてゐる。金剛蔵王大権現の化身とされてゐる。首から上の守り神として、病気治癒だけでなく学業成就などにも御利益があるとされる。


脳天大神全景

■探訪記

JR渕垣駅の近く、国道27号の渕垣交差点から旧道を入つてすぐ、金峯山修験本宗林南院の三神尊天堂の中央に鎮座します。黒龍王・脳天尊・不動尊が祀られてゐます。林南院は昭和四十九年建立で、その時に脳天大神も勧請されたものと思はれます。現在の第二世住職は金峯山修験本宗の宗務総長を務めてゐます。今年、開山四十周年を記念して大鳥居の建立や改修が行なはれました。

H25.12.25記