神明神社本殿

創祀は不明。

御祭神は天照大神。

由良川の対岸に鎮座する延喜式内社庵我神社(奄我神社)の末社。江戸時代は大神宮と称した。


神明神社全景

■探訪記

西川と弘法川が合流する地点の近く、西川のほとりに鎮座します。境内を入つて右側に、社務所兼和久市集会所があります。拝殿の背後に流造の本殿が鎮座します。本殿の左に稲荷、右に摂社二社が鎮座します。

今は住宅街ですが、和久市は由良川・和久川の交差する地点で、水運で栄えた土地。神社付近に市場前といふ地名も残ります。

H25.4.17記

高良厄除神社本殿

創祀は文久二年(一八六二)。堤防上の大寶院の傍らに創建。明治三十一年、現在地に遷座。

御祭神は高良玉垂命。

高良玉垂命は筑後国一宮高良大社の御祭神。福知山藩主で元和六年(一六二〇)に久留米藩に移封された有馬家の縁故により、分霊したといふ。

高良大社は筑後川のほとりに鎮座する水運と水難避けの神で、由良川の水運を援け、由良川の氾濫から町を護る神として勧請したのであらう。


高良厄除神社参道

■探訪記

由良川堤防そばに鎮座します。鳥居左に福知山城の丹後口門付近にあつた文化五年(1808)建立の道標が移設されてゐます。二の鳥居は明治二十三年のものです。境内入つて左に鋳物師町公民館、境内に三崎稲荷・高茂稲荷・愛宕神社の摂末社が鎮座します。鳥居右に厄除地蔵菩薩が祀られてゐます。鋳物師の厄神さんとして知られ、二月の厄除大祭は賑ひます。

H25.4.18記

金刀比羅神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大物主神。

稲荷社など摂末社三社が鎮座する。


金刀比羅神社全景

■探訪記

福知山城下の丹後口付近の由良川の堤防斜面に鎮座します。水運の神ですが、玉垣には京・大阪の店も名を連ねてゐます。裏の階段を上ると堤防の上に上がれ、由良川沿ひの舗道になつてゐます。

旧城下の面影が残る一角で、鳥居前の、現在は井戸のある辺りに、丹後口の番所があつたさうです。神社前は城下の護りのための遠見遮断と言はれる屈曲した道が残つてゐます。

H25.4.19記

祇園牛頭天王社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔嗚尊。

福知山城主朽木家の菩提寺久昌寺の鎮守社。


祇園牛頭天王社全景

■探訪記

曹洞宗久昌寺の山門右側に鎮座します。

久昌寺では、珍しい神様として烏枢沙摩明王を祀つてゐます。烏枢沙摩明王は人々を下半身の病気から守るとされる密教のトイレの神様で、昭和五十七年にトイレ(東司)を新築した時に祀つたさうです。烏枢沙摩明王も自由に参拝することができます。

H25.4.22記

祇園牛頭天王社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔嗚尊。


祇園牛頭天王社全景

■探訪記

福知山市菱屋にある日蓮宗常照寺の山門の向かひ、三叉路になつてゐる辻の角に鎮座します。

同じ通りの曹洞宗久昌寺の山門右側に鎮座する祇園牛頭天王社は久昌寺の鎮守神でしたが、この祇園牛頭天王社と常照寺の関係はわかりません。

H25.4.26記

吉森稲荷神社本殿

創祀は万延元年(一八六〇)。山城国紀伊郡の伏見稲荷大社より勧請。

御祭神は倉稲魂命。

本殿内に吉森稲荷・愛宕・花倉稲荷を祀る。


吉森稲荷神社全景

■探訪記

西町通りの住宅と住宅の間に鎮座します。悪疫流行予防の守護神として崇敬されてきたやうです。屋根の上に鯱が上がつてゐますが、これは鯱が水を呼ぶといふ火伏せの意味を持つてゐます。愛宕さんも祀られてをり、町の防火を祈念する神社でもあるのでせう。鎮座地は旧城下町の西の外れに当たり、西町通りの南側(駅寄り)の交差点付近にはかつて木戸(西門口)が置かれてゐました。

H25.4.28記

水天宮社金元稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天御中主命・倉稲魂命。


水天宮社金元稲荷神社全景

■探訪記

広小路の由良川側の突き当たり、音無瀬橋に通じる由良川の土手に鎮座します。どちらかが合祀されたのか、元々一緒に祀られてゐたのか不明ですが、扁額には両方書かれてゐます。

昭和三十年代までは由良川で水泳をしてゐました。子供は七月上旬の水天宮の祭礼で水難避けのお守りを頂き、それを身に付けて泳ぎました。当時、遊泳禁止は赤旗、遊泳可は白旗が立てられたさうです。

H25.4.30記

御霊神社本殿

創祀は宝永二年(一七〇五)。

御祭神は宇賀御霊大神・明智光秀公。

現在地から数百メートル東の広小路に鎮座してゐた榎林の稲荷に、常照寺境内に祀られてゐた明智光秀公の神霊を合祀し、創建。現在地には大正七年に遷座。秋の御霊大祭は三丹一の大祭と呼ばれ、賑はつた。

光秀に滅ぼされた子孫は参拝しないといふ。

摂末社に、恵比須神社・秋葉神社・稲荷神社・天満宮・養蚕神社・包丁神社・叶石などを祀り、境内地に堤防神社が鎮座する。


御霊神社全景

■探訪記

広小路の突き当たりの御霊公園の背後の丘の上に鎮座します。福知山市中心部では最も有名な神社でせう。

大正期まで広小路に鎮座してゐた五社造の本殿が移築されてゐます。かつては光秀公の真筆書状が御神体として祀られてゐました。現在は市の指定文化財「御霊神社紙本墨書明智光秀関係文書」として市郷土資料館で保管展示されてゐます。

H25.5.3記

榎神社本殿

創祀は不詳。

歴史的経緯から稲荷神(宇賀御霊大神)が祀られてゐると思はれるが、御霊神社の御神木の大榎の神霊を祀つてゐるのかもしれない。

江戸時代、当地に榎林の稲荷と呼ばれてゐた稲荷神社が祀られてゐたが、宝永二年(一七〇五)に明智光秀公の神霊を合祀し、御霊神社が創建された。その後、御霊神社が大正七年に数百メートル離れた現在地に遷座し、元の鎮座地には御神木の大榎の名を残して祠が建てられた。


榎神社全景

■探訪記

福知山の商業的な中心地、広小路商店街の歩道に鎮座します。御霊神社の御神木の大榎があつたところです。大榎は明治末年に枯れ、小さな祠だけが残ります。社殿後ろに名木御霊榎之址と書かれた碑があります。福知山音頭にも「福知紺屋町御霊さんの榎化けて出るげな古狸」と歌はれてゐます。

榎神社の後方突き当たりに御霊神社が鎮座し、御霊神社には大榎の二代目があります。

H25.5.5記

金比羅神社本殿

創祀は文政年間(一八一八~一八三〇)。

御祭神は大物主神。

福知山城下の鬼門に鎮座する福知山の守護神。大正十年頃、大本教の開祖出口直が馬に乗つてこの付近を通過した時に、金比羅神社を見て、この神は「あらたかの神」と託宣したといふ。


金比羅神社全景

■探訪記

新広小路通りと昭和通りの交差点近くの金比羅公園に鎮座します。正面は反対側で、南面あるいは東面するのが一般的な神社には珍しく北面して建てられてゐます。創祀は文政年間と書かれてゐましたが、石鳥居には文政の前の文化三年(一八二一)と読めるので、それより遡るのかもしれません。

公園には小さな枝垂桜が植ゑられてゐました。隣りに福寿稲荷神社が鎮座します。

H25.5.7記