春影稲荷神社本殿

創祀は万延元年(一八六〇)。

御祭神は倉稲魂命。

幕末、曽我井村の代表者五人が伏見稲荷に分祀を願ひ出たといふ古文書が残る。


春影稲荷神社全景

■探訪記

JR福知山駅の南側、国道9号線の南側の高台に鎮座します。広峯町の市営団地の隣りです。駅南開発で平成三年に現在地へ遷座しました。一帯は見晴らしの良い丘陵で、開放的な広々とした神社です。本殿の右側裏に奥の院が鎮座します。

国重要文化財の盤龍鏡が出土した広峯15号墳跡地の広峯古墳記念公園が近くにあります。

H25.6.13記

一品神社本殿

創祀は建徳元年(一三七〇)。

御祭神は、高皇産霊命・誉田別命・火産霊命・大年神・大己貴命・市杵島姫命。

元々、一品神社と境内社の疫神社のみだつたが、明治四十一年に地区内の若宮神社・日吉神社・厳島神社を本殿に合祀し、小林神社と八坂神社を疫神社に合祀し、境内社の厄除神社とした。その他、明治三十六年、市場から貴船神社を遷座してゐる。


一品神社全景

■探訪記

JR山陰線石原駅から5分ほどの住宅街の中、京都府立工業高等学校のそばに鎮座します。

境内は玉垣など新しく整備されて間もないといふ感じがしました。本殿左に貴船神社、右に厄除神社が鎮座します。

背後の丘にはぼたん寺として知られる曹洞宗洞玄寺があり、神社の脇からも洞玄寺にに通じる道があります。

H25.6.16記

上原神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は上原氏代々の祖先。

鎌倉から戦国期にかけて綾部の物部城主だつた上原氏一族を祀る祖霊社。上原氏は鎌倉幕府の御家人で信濃国諏訪郡上原(現長野県茅野市)出身。鎌倉初期に何鹿郡物部郷の地頭職に補任された。戦国初期には上原賢家・元秀親子が丹波国守護代となるなど権勢を誇つた。物部城は石原駅から北に7~8キロの綾部市物部町にあり、元亀二年(一五七一)氷上黒井城の赤井直正に攻められて落城した。


上原神社全景

■探訪記

JR山陰線の線路そばの住宅地の一画、上原一族の末裔の所有地に鎮座します。権八陣神社・権八荒神とも称するこの小祠は祖霊社ですが、敷地内は関係者の墓所にもなつてゐます。上原氏は諏訪大社の神官の家系で、中世から戦国期の丹波を代表する武将です。石原の上原氏は近くの薬師寺(現薬師堂)も建立しました。ちなみに、綾部の物部城跡の南には上原氏が信州から勧請した諏訪神社があります。

H25.6.17記

水神神社本殿

創祀は応仁年間(一四六七~一四六八)。

御祭神は美都波能売命。

愛宕社・疫神社などを祀る境内摂社がある。


水神神社全景

■探訪記

由良川南岸の戸田橋そばの畑の中に鎮座します。境内には狛犬の墓といふ珍しいものもあります。

水の女神を祀る神社ですが、神社の前に玉垣に囲まれた「お沼(おぬう)」があります。ベース型をした小さな池ですが、元々すぐ近くにあつたのが、由良川の改修事業で堤防用地となつたため、平成十九年に現在地に移転されたものです。沼の傍らには小さな祠が鎮座します。お沼には次のやうな言ひ伝へがあります。


お沼

五百数十年前、由良川対岸の川北の福寿院といふ名の山伏の夢に浦嶋太郎が現れ、「竜宮城から戸田村の沼まで白岩が通つてゐて、そこで願ひ事をすると竜宮城に伝はる」と告げました。これを聞いた村人たちは沼のほとりに浦嶋を祀る神社を建て、日照りが続くと雨乞ひをしたといふことです。この伝説から水神神社は浦嶋神社とも呼ばれてゐるやうです。美都波能売命にせよ、竜宮の乙姫様にせよ、水の女神として祀られてゐることは変はりません。

H25.6.18記

若宮神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は軻遇突智神・伊邪那美神。

昭和六十二年に再建(建て替へ)百六十年記念を迎へた。


若宮神社全景

■探訪記

丹波の古村の雰囲気を残す興の集会所の近くに鎮座します。阿毘地神社のお旅所です。

地元では愛宕さんと呼んでをり、燈籠には表に若宮大権現、裏に愛宕山と彫られてゐます。覆屋はお堂造りです。三本の大きな樹に囲まれ、独特の雰囲気があります。

近くには茶人田中仙樵ゆかりの宝林殿があります。

H25.6.20記

阿毘地神社本殿

創祀は宝亀年間(七七〇~七八一)。

御祭神は大日孁貴命(天照大神)。

式内阿比地神社。当初は線路南側の観音寺近くに祀られてゐたが、観音寺村から興村が分かれて発展したため、両村の中間に遷座したといふ。観音寺を宮元(宮本)と謂ひ、江戸時代は観音寺の別当が祭祀を執行した。


阿毘地神社全景

■探訪記

JR山陰線の線路の北側、府道8号線沿ひの小さな踏切を渡つたところに鎮座します。式内社で、福知山有数の古社です。杜に覆はれた境内は昼でも薄暗い感じです。現在の社殿は天保三年(一八三二)に改築されたものです。

ここは元は丹波国何鹿郡下高津村でしたが、元禄十三年(一七〇〇)に丹波絵図が修正された時、観音寺・興の両村が丹波国天田郡に編入されました。

H25.6.21記

愛宕神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は軻遇突智神・伊邪那美神。


愛宕神社全景

■探訪記

観音寺の民家の裏に鎮座します。紫陽花寺として知られる真言宗観音寺の二百メートルほど東に行つたところ、高嶽へと連なる山の麓です。

小祠の中には、右に愛宕大権現、左に三寶大荒神が祀られてゐました。

 

H25.6.24記

熊野神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は熊野大神。


熊野神社全景

■探訪記

真言宗観音寺の本堂の奥に鎮座します。境内鎮守でせうか。ひつそりとしてゐますが、鳥居もあり、村の鎮守規模の神社です。そばに稲荷神社と太子堂がありました。

補陀洛山丹州観音寺は、地名にもなつてゐる養老四年(七二〇)開基の名刹です。関西花の寺二十五霊場の第一番札所でもあり、紫陽花寺として知られ、季節には100種1万株の紫陽花が咲き乱れます。

H25.6.26記