天稚神社本殿内

創祀は不詳。

御祭神は天稚彦命。

古文書によれば、向日之巌上に神霊光臨あり、夜毎に大光を放つたので、村老が集まり、神庭を設け、祓ひ清め、神楽を奏したところ、「吾は往古此国を発したる天稚彦なり、吾を祭らば年穀豊饒にして荘内久しく保つであらう。吾を鎮祭する処には世に久しき木を生ず」と神託あり、果たして一夜に杉三本生じた。世木之荘世木村の名はここに由来する。世木之荘一の宮と称された。旧指定村社。


天稚神社全景

■探訪記

林業と農業の神様として祀られてゐます。世木は広域なので別に四社を創祀し、世木の五社と呼ばれます。応永二十九年(一四二二)、鳥居建設のため世木之荘各村より千百人の人足を徴したと記録が残つてゐます。かつては天若に鎮座してゐましたが、日吉ダム建設に伴ひ、平成元年に殿田の大向山山麓に遷座しました。真新しい境内には、ガラス窓の本殿や従軍記念碑があります。

H16.12.13記

日吉神社本殿

創祀は延徳元年(一四八九)。

御祭神は大山咋命。

近江の日吉大社より分霊を奉祀した。享保六年(一七二一)に修繕の記録がある。山王大権現と称してゐたが、明治六年の神仏分離により、日吉神社と改称した。世木の五社の一社。旧指定村社。


日吉神社全景

■探訪記

日吉駅にほど近い山麓に鎮座します。境内に摂社末社が点在するのが特徴です。境内右手には元文二年(一七三七)に建立された殿田日の谷山神光寺(日の寺)の別院、小牧山東向観音があり、東向きの安置は全国でも稀であるさうです。神宮寺はなかつたやうですが、隣りに別院があつた関係で、神光寺が管理してゐたのかもしれません。JR線と田原川を挟んで、向かひ側に殿田小・中学校があります。

H16.12.13記

東雲稲荷神社本殿

創祀は大正八年(一九一八)。

御祭神は大山咋命。

東雲稲荷神社創祀と共に、妙見宮・鬼子母神・延命子安地蔵尊が祀られた。


東雲稲荷神社全景

■探訪記

JR山陰線日吉駅前の商店街の裏山山腹に鎮座します。田原の東雲地区の人々が商売繁盛を祈念して祀つてゐるお稲荷さんです。石段を昇ると、公園のやうに美しく整備された境内があり、集会所もあります。見晴らしがよく、日吉駅周辺の山並みや集落の風景が見渡せます。

H16.12.28記

志波加神社全景

創祀は慶雲二年(七〇五)。

御祭神は月讀命。

古くは亀居山神宮寺と称して社僧を置き、献燈奉仕させてゐた。文政十一年(一八二八)に焼失、上志和賀・下志和賀・西谷・山口の四箇村の氏子が再建し、式内志波加神社として奉祀した。文政十一年の火災で式内社を証明する文献も焼失、明治十年に改めて式内志波加神社の書類が下付され、同時に旧胡麻郷村の幣帛供進指定村社に列せられた。氏子中の特定の六姓から総代を選出する。延喜式内社。


志波加神社本殿

■探訪記

園部町・丹波町との境にある志和賀区の真ん中に鎮座する古社です。以前は境内はもう少し大きかつたのですが、現在は一部を整地して公民館が建てられてゐます。横尾峠を越えたところにある園部町船岡の旧上河内村に鎮座する月讀神社とは兄弟社で、昔は神輿を共有してゐたさうです。志和賀の周囲には日吉町のクラウンヒルズ京都、丹波町のグランベール京都・太閤坦と三つのゴルフ場があります。

H16.12.29記

八幡神社全景

創祀は文政二年(一八一九)。

御祭神は応神天皇。

由緒等は文献がなく不詳。


八幡神社本殿

■探訪記

志和賀の八栄地区(旧八栄村)の村外れの山麓に鎮座します。城郭のやうに石垣が積まれ、なかなか雰囲気のある神社です。鳥居をくぐるとすぐに舞殿があり、石段を昇つて本殿に参拝します。本殿の周囲は鬱蒼とした樹々に囲まれ、本殿すぐ左には社殿に密着するかのやうに杉が生えてゐます。

八栄の裏山を越えると園部町船岡の旧藁梨村です。

H17.1.4記

岩上神社本殿

創祀は元禄六年(一六九三)。

御祭神は大山咋命。

創建時は岩上大権現と称せられたが、同十二年(一六九九)に現在の岩上神社と改称した。


岩上神社全景

■探訪記

府道50号京都日吉美山線から東に一筋入つた道の山麓に鎮座します。神社前にプールがあります。

境内にはいくつか摂社が鎮座してゐますが、最近では平成十八年七月九日に岩上神社の裏山山頂に鎮座してゐた応永七年(一四〇〇)創祀で大物主命を祀る金刀比羅神社が合祀されてゐます。すぐ近くの上保野田バス停のそばに、昭和三年七月青年會建の金刀比羅神社参道の道標が残つてゐます。

H19.12.24記

小雨若神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天若日子命。

天稚神社を上世木に分祀した世木の五社の一社。日吉ダム建設に伴ひ、当地に遷座した。


小雨若神社全景

■探訪記

府道50号京都日吉美山線から少し入つたグラウンドの上の山麓に鎮座します。ダムで水没した集落が移転してできた上保野田の集団移転地のそばです。世木の五社の一社として古くから祀られてゐる由緒ある神社ですが、日吉ダム建設に伴つて当地に遷座した現社殿は、本殿と拝殿から成る新しくて綺麗な建物です。

H20.1.1記

日吉神社本殿

創祀は正徳六年(一七一六)。

御祭神は大山咋命。

比叡山の日吉大社から勧請した。当初は神仏習合の山王権現として成立し、真言宗の無住の神宮寺(九品寺の末寺)だつたが、明治に神仏分離によつて日吉神社に改称した。旧村社。


日吉神社全景

■探訪記

府道50号線から東胡麻の集落の中に鎮座します。毎年十月の例祭の「馬駈け」は、南丹市の無形民俗文化財に指定されてゐます。例祭では胡麻の聖地を巡拝し、神社前の馬場で馬駈けや流鏑馬が行なはれます。神社裏に奥の院と呼ばれる神仏習合の名残りをとどめるお堂があり、大日如来・薬師如来・弘法大師が祀られてゐます。奥の院は現在の例祭でも重要な役割を担つてゐます。

H20.1.8記

権現神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は不詳。


権現神社全景

■探訪記

府道50号京都日吉美山線から少し旧道に入つたところ(小字法尺谷)の民家の裏山に鎮座します。山のコンクリートの土台に覆屋で保護された小祠で、周囲は竹林に囲まれてゐます。

日吉神社の例祭では、深夜馬場量が奥の院の次にここに巡拝し、御幣(シトギ)を奉納します。

H20.1.16記

天満宮本殿

創祀は文政七年(一八二四)。

御祭神は菅原道真公。

北野天満宮の一夜の松が応仁の乱で枯れてしまつたので、その松で神像を造つた。それを、文政七年に神宮寺(日吉神社)にゐた恵猶といふ人が祀つたと伝へる。


天満宮参道

■探訪記

東胡麻の山の中腹に鎮座します。山腹の畑の前に天満宮の札が立てられてゐます。

竹林に囲まれた薄暗い山中に小祠が鎮座し、その少し上に堂が(籠屋でせうか)があります。船井郡神社誌によると、日吉神社境外末社七社の一で日吉神社例祭では騎馬の巡拝があるとありますが、現在ここに騎馬巡拝はなく、深夜馬場量が権現神社の次に巡拝し、シトギを奉納します。

H20.1.23記