夜苗神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は猿田彦命。

口伝によれば、昔、ある百姓が水田に苗を打つたままにして帰つた。明朝、田植ゑをしに水田に行つてみると、稲の苗が竹になつてゐた。一夜にして丈夫な竹に育つた御神徳高い地に神社を作つて産土神とし、幾星霜も五穀豊穣・家内安全を祈つたといふ。嬰児の夜泣き止めにも篤い信仰が寄せられてゐる。願をかけて上りに木を一本植ゑて御礼とする習慣があり、竹薮の中に珍しい木が残る。


夜苗神社全景

■探訪記

昔は土田村と言ひました。店舗が林立する国道9号線沿ひに鎮座します。隣りはパチンコ店の駐車場です。

面白い伝承を持つ神社ですが、夜苗神社を祀るやうになつてからは、なぜか苗を宵打ちする人はゐなくなつたさうです。奇異な出来事を憚つて村人のタブーになつたといふことでせうか。

現在の氏子は土田区全部と大井垣内の北半分です。

H16.7.4記

天皇神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は牛頭天王・宇多天皇。

近江宇多源氏の末裔三宅一族の氏神の守護神。近江観音寺城主沙々貴六角氏が永禄十年(一五六七)に織田信長に破れ、一族は四散した。観音寺城代繊山三宅館一族は、祖先の御神霊を奉じて丹波の地に退り、三宅村と号するやうになつた。参道の鳥居には十六菊の入つた紋天皇神社の神額があり、皇室とのつながりの厚かつたことを示してゐる。


天皇神社全景

■探訪記

大井の住宅街の中に鎮座します。土地の産土神は大井神社で、天皇神社はこの地の旧家三宅一族の神社です。株内として川勝・田中といふ家紋も異なる異姓が含まれ、新しく三宅姓にした家もあり、元からの三宅家は今では一家のみであるさうですが、九月十七日の秋祭には一族が集ひ、昔日を偲んで直会をし、滋賀県安土町の沙沙貴神社で催される佐々木同族会にも参加してゐます。

H16.7.4記

若宮八幡宮本殿

創祀は正徳三年(一七一四)。

御祭神は応神天皇。

並河惣兵衛が建立し、並河一族がお祀りする。一三世紀末、千葉相馬弥平次胤宗と奥羽の相馬城主五代の弟六郎範胤等が上洛したが、胤宗が討死したため建武元年(一三三四)に並河村の地に住んだのが並河一族の始まり。相馬一族が千葉奥羽ともに一族の守護神として八幡宮を祀つてゐるのに因み、男山八幡宮の分神を祀つた。


若宮八幡宮全景

■探訪記

大井の南側の町外れ、国道9号線と犬飼川が交差するところに鎮座します。国道に若宮八幡宮の大きな看板があるので、すぐにわかります。並河村の産土神は大井神社で、ここは並河一族の氏神です。

H16.7.4記

大井神社本殿

創祀は和銅三年(七一〇)。

御祭神は月読命・市杵島姫命・木股命(御井神)。

境内神社は、天満宮・稲荷神社・出雲神社・松尾神社・蛭子神社・愛宕神社・大原神社・厳島神社・春日神社。

元明天皇の勅命によつて創建。

郷社・延喜式内社・神饌幣帛料供進神社。


大井神社馬場

大宝二年(七〇二)に、月読命と市杵島姫命が亀の背に乗り大堰川を遡つて来られた時、八畳岩の辺りから水勢が強くなつたので鯉に乗り換へ、現在の河原林町勝林島内垣内の在元渕まで来られた。勝林島に神社を建て鎮座したが、のちに現在の場所に遷した。大井は往古の湖水の中心点であつて、万一のことがあれば平地一帯は瞬時にして前の如く湖水となるのを憂へ、木股命(御井神)を勧請して守護を祈つたと伝へる。例祭では、隣接の馬場で競馬が行なはれ、流鏑馬が奉納されることもある。


大井神社全景

■探訪記

JR嵯峨野線並河駅のすぐそば、大井の中心部に鎮座します。以前は並川村・大井村・宇津根村・勝林寺村・上田村・北金岐村・南金岐村・小金岐村・太田村の東半分の氏神であつた古社です。鯉を神の御使ひとする大井神社の氏子と地域の人々は、五月の端午の節句にも鯉のぼりを立てず、鯉を呼び捨てにせず、鯉を決して食用にしない風習を今も守つてゐます。隣りは明治五年創立の大井小学校です。

H16.7.4記

大内神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は八重事代主神。

天文十五年(一五四六)に社殿が消失、同十七年に再建された。その後、元禄四年(一六九一)に社殿を改築、寛政六年(一七九四)に本殿が造営され、これが現在の神殿である。社頭の石鳥居は宝暦五年(一七五五)に奉献されたもの、また、境内には寛政元年(一七八九)、天保七年(一八三六)奉納の石燈籠がある。事代主神は招福の神ゑびす様とする信仰もある。


大内神社全景

■探訪記

この辺りはかつて本梅村といふ一つの村でしたが、今は亀岡側の東本梅町と園部側の西本梅学区に分かれてゐます。大内神社は東本梅町の谷間にある大内集落(旧大内村)の鎮守様です。集落北側の山中に宝亀五年(七七四)創建の古刹楽音寺があり、大内神社も江戸時代には楽音寺の管理下にあつたやうです。境内には樹齢千数百年と言はれる御神木の大杉があり、神社の所在を知らせてゐます。

H16.9.10記

惶根神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は惶根神。惶根神は神世七代の神で、日本書紀に惶根尊亦は吾屋惶根尊、古事記に妹阿夜訶志古泥神とある神である。

元は村内の私有屋敷内に鎮座し、村の氏神として奉祭してゐたが、社殿の破損が著しくなり、明治六年に現在地に社殿を建造して遷座した。


惶根神社全景

■探訪記

本梅谷の園部町との境界に近い山裾に松熊集落(旧松熊村)があり、惶根神社は集落の真ん中に鎮座します。境内地に寺があつて、地元の人に伺ふと光明寺と言ひ、今は住職はゐないが村の寺としての機能は果たしてゐると教へて下さいました。由緒を見ると、明治六年に光明寺の境内に神社を遷したといふことでせう。村内から弥生式土器が出土し、古くから人が暮らしてゐた地であることがわかります。

H16.9.12記

素戔鳴神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔鳴命。

古くから牛頭天王を祀り、祇園さん、天王さんと呼び習はし、天王神社とも呼ぶ。


素戔鳴神社全景

■探訪記

神前は亀岡盆地と本梅谷の間にある山間の谷です。神前は西神前と東神前とに分かれるのですが、素戔鳴神社は東神前の外れの行者山麓に鎮座します。石垣を張り巡らせ、杉と檜の森に囲まれた雰囲気のある神社です。

峠を東側に越えると千代川に抜けます。

H16.9.13記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

東神前の素戔鳴神社の近くの田んぼの中に偶然見つけた小祠です。

東神前のこの辺りは黒田と言ふやうですが、お稲荷さんの隣りに石碑があり、「黒田開発人谷川氏碑」と銘が刻まれてゐました。

H16.9.13記

惶根神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


惶根神社全景

■探訪記

西神前の道路脇に観音堂と並んで鎮座します。観音堂はそこそこ時代のあるものでしたが、お稲荷さんは社殿も鳥居もごく新しいものでした。

神前の東側、八木町との境界にある城山山頂には内藤氏の八木城があり、神前北側の北山頂には八木城の支城北山城がありました。今は野鳥の森公園が整備され、展望台・散策路・野鳥の看板や、亀岡市交流会館・亀岡国際広場球技場があります。

H16.9.13記

素戔鳴神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天照皇大神・品多別命・天兒屋根命。

境内神社は大山祇命社・天王社(素戔鳴社)・市杵島姫命社・天満宮・仁徳天皇社。

古くは神前村の山の谷の笹尾に鎮座したと伝へる。正徳五年(一七一五)、現在地に社殿を建立遷座奉祭した。


素戔鳴神社全景

■探訪記

神前村の総氏神です。境内の天王社は他の場所に鎮座してゐたのを、道路を作る時に佐々尾神社の境内に遷移したものです。

境内地に神宮寺の慈眼寺跡の竹薮があつたさうですが、今は見当たらず、神社の周囲は造成中ですつかり更地になつてをり、訪ねた時も工事中でした。近くの宝林寺に現存する重要文化財は、神仏分離時に慈眼寺から移したものです。

H16.9.13記