日慈谷神社本殿

創祀は寛元三年(一二四三)。

御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。

境内神社は春日神社・神武天皇・金刀比羅神社・八坂神社・塞神社・秋葉神社・出雲神社・北野神社・大原神社・稲荷神社・愛宕神社・天照皇太神宮・八幡神社。


日慈谷神社全景

■探訪記

半国山の登り口である東本梅町赤熊(旧赤熊村)の氏神様です。

篠山街道に面した享保十一年(一七二六)建立の石鳥居をくぐり、車道と並行に続く並木道の参道をしばらく行くと、鎮守の杜の入口に二の鳥居があります。

境内に入ると、まづあちこちに自然石の遥拝所が据ゑられてゐるのが目に付きます。また、沢山の石燈籠があり、古いものは元禄年間のものです。


天照皇太神社

境内神社の中で、八幡神社は小社造りとして鎮座しますが、他の十二社は自然石の遥拝所として鎮座します。写真は天照皇太神宮です。

赤熊の西側の山麓には、7~17メートルの後期円墳が五基出土してゐます。

H16.9.14記

稲荷神社本殿

創祀は文禄年間(一五九二~一五九六)に鎮座したと伝へる。

御祭神は宇賀之御魂大神。


稲荷神社全景

■探訪記

赤熊の集落の外れ、すぐそこが園部町若森になる塚山の竹薮の中に鎮座します。ブロック製の覆屋に囲はれた小祠でした。地元三十戸ほどの崇敬者によつて奉斎されてゐるお稲荷さんといふことです。塚山に面した参道左側の平地は墓地になつてゐました。鎮座地は生子田といふ地名ですが、地元の人に尋ねると「うぶこだ」と読むと教へて下さいました。

H16.9.14記

八幡神社本殿

創祀は文明年間(一四六九~一四八七)。

御祭神は応神天皇。

文明年間、足利義政の時代に、神尾山の一角に居城した小屋尾山之城の城主秦左兵衛佐定綱が氏神として建立奉斎した。秦氏は落城して滅亡したが、八幡神社は中野村の人々がお祀りしてきた。境内の東側の外に秦一族の石塔四基が現存してゐる。


八幡神社全景

■探訪記

東本梅町中野(旧中野村)の山裾に鎮座します。隣りには「中野ふれあいセンター」があります。台風18号の後で、神社入口に直径20センチほどの杉が横倒しになつてゐました。境内にも折れた枝葉が散乱してゐるのと、すぐ下の家から長閑なクラリネットの演奏が聞こえてくるのが印象的でした。

現在の拝殿は明治三十四年に建てられたもので、狛犬や石燈籠もその時に奉納されたものです。

H16.9.14記

篠葉神社本殿

創祀は延喜四年(九〇四)に清和源氏の始祖貞純親王の令旨により当地の氏神として勧請創建された神社と伝へられる。

御祭神は大山祇命・野椎命・彦火々出見命。

明智光秀の丹波攻めで焼失したが、承応二年(一六五三)に再建され、伏見家の始祖上野太守那家親王から篠葉大明神の書を賜ふ。

篠葉神社の氏子は北条・土山・南町・高柴(湯ノ花平も含む)の四地区。そのうち北条・土山両地区の氏子が月三回、回り持ちで神饌を奉つてゐる。


篠葉神社参道

■探訪記

千百年祭の幟が猪倉の各所にはためいてゐました。都との関係が深かつたやうで、建築的にも都にあつてもをかしくない保守的・伝統的な形式手法になる本殿といふことです。光秀の首塚がある隣接する谷性寺側の表参道の鳥居は元禄十七年(一七〇四)のものです。村西側の丘陵には井内城址(井内氏)があります。猪倉・宮川・神前・大内四村は良質な砥石の産地としても知られてゐます。

H16.9.16記

天満宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は菅原道真公。


天満宮全景

■探訪記

猪倉の公民館の横に鎮座します。天満宮は南町の住民が奉斎してゐるさうです(それ以外に、猪倉では高柴地区の住民が庚申堂を護持してゐます)。

H16.9.16記

八幡神社本殿

創祀は寛永十一年(一六三四)。

御祭神は誉田別命。

明治時代に社殿を改築して現在に到る。


八幡神社全景

■探訪記

本梅川沿ひの丘陵の中腹に鎮座します。本殿は石段を上がつたところに鎮座し、その右隣に厄神社が鎮座します。

H16.9.16記

廣峯神社本殿

創祀は承和年間(八三四~八四八)。

御祭神は神速須佐男之命。

江戸中期までは大梵天王あるいは大梵宮と呼ばれ、正徳五年(一七一五)に宣旨を以て牛頭天王と改称し、さらに明治三年(一八七〇)に廣峯神社と改称した。


廣峯神社全景

■探訪記

半国山の東麓に鎮座する中野村・平松村の氏神様です。森の中にある苔生した境内や立派な社殿は風格があります。建築的に特異なものらしい現本殿は寛文九年(一六六九)に造営されたものです。本殿右方の山中に元宮と称する石組があります。中野村は中世は中条村と言ひ、平松村・井手村を併せて野口庄上村でした。地味豊かな土地で、中野・平松の米は中平米と言つて良質な米として知られました。

H16.9.16記

秋葉神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は迦倶槌神。

天保十年(一八三九)に立て替への棟木が残されてゐるので、創祀はそれよりは遡る。


秋葉神社境内

■探訪記

宮前町宮川(旧宮川村)の人家の密集したところに岡山といふ丘陵があり、その頂に鎮座します。石段を登り切つたところが広場になつてゐて、以前はここで奉納相撲が行なはれてゐたさうです。

現在の本殿は昭和五十八年に建てられたものです。

H16.9.17記

宮川神社本殿

創祀は大宝年間(七〇一~七〇四)と伝へるが、誉田別命の祭祀はそれより遡るであらう。

御祭神は伊賀古夜姫命・誉田別命。

延喜式内社の神野神社に比定される。

伊賀古夜姫命は下鴨神社の賀茂建角身命の妻神にして、上賀茂神社の賀茂別雷神を産み給うた玉依姫の母神である。宮川神社の氏子二十余名が宮内庁のお召しにより葵祭に奉仕に出、また宮川神社の例祭には宮内庁より参拝がある。


神田川

■探訪記

神尾山(古くは神野山)の山麓に鎮座します。式内社の神野神社に比定されてゐますが、まづここに間違ひないでせう。ここは中世には丹波の土豪の本拠地の一つであつた神尾山城がありました。神野神社は元は神尾山中の八幡平に鎮座してゐましたが、天正年間の光秀の丹波攻めで神尾山城と共に兵火にかかり焼失、正保四年(一六四七)、徳川家光の時代に現在地に遷座しました。その時に村の名を冠して宮川神社に改めました。


宮川神社参道

伊賀古夜姫命は丹波土着の姫神です。そこに鴨氏が婚姻を結び、丹波との関係を深めて行つた歴史を伺はせます。

神尾山の山中には桓武天皇の時に建立された古刹金輪寺があり、地主神の神野神社を鎮守社として奉仕しました。

境内には渓流の神田川が流れ、神韻縹渺たる雰囲気が漂つてゐます。

現社殿の裏側には巨大な磐境があります。

H16.9.17記

富家稲荷神社本殿

創祀は明治二十八年。

御祭神は宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能賣大神・田中大神・四大神。

明治二十七年、日清戦争の最中に宮川地区の住民と近在の篤志家数十人が相謀り、フケの山中に新宮を造営し、翌年、伏見稲荷大社から分霊を奉迎鎮斎した。三十一年にも伏見稲荷大社から田中大神・四大神を迎へ、五社稲荷大明神を祀る伏見稲荷大社の別宮として崇敬が篤く、崇敬者各役員より私有山林を境内地に寄贈し奉賽の誠を尽くした。


富家稲荷神社全景

■探訪記

篠山街道沿ひの丘陵に挟まれた山陰に鎮座します。

日清戦争の国事多難の際に国家鎮護を願つて地域住民が造営したもののやうです。明治時代には伊勢神宮大宮司が玉串料献納するなど、国家的な意義を有した神社であつたのでせう。

境内周辺は鬱蒼とした木々に囲まれ、薄暗くひんやりしてゐます。

H16.9.17記