金龍神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は不詳。


金龍神社全景

■探訪記

明治初年創業の老舗料亭、玉川楼の敷地内に鎮座します。

お店の守護神といふことで、手篤く祀られてゐました。鳥居はオーナー一族と従業員一同の奉納によるものです。

H17.6.21記

水天宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は天御中主神・安徳天皇・建礼門院・平二位局。


水天宮全景

■探訪記

大堰川の堤防の近くの田んぼの中に鎮座します。

この水天宮は所在を確認できずにゐたのですが、当サイトを閲覧して頂いてゐる地元の方に尋ねたところ、詳しく教へて頂きましたので、早速訪ねてきました。その方によると、水天宮は並河区の「大井垣内」といふ隣組がお祀りされてゐるさうです。

H17.7.22記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

府道402号線(王子並河線)沿ひ、JRの線路と犬飼川が交差するところの橋の袂に鎮座します。

大井町並河にある工場が祀られてゐるお稲荷さんですが、神社らしく杜になつてをり、神前には青々とした榊が供へてありました。

H17.7.26記

西山神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔嗚尊。

牛頭天王社と称したが、明治初年に主神を素戔嗚尊とした。

現在の社殿は宝永二年(一七〇五)に再建されたもので、この時から西山神社と称号されるやうになつた。本殿は府指定文化財である。千ヶ畑・広野の長老で構成される六人衆といふ制度によつて祭祀を行なつてゐる。


西山神社全景

■探訪記

府道731号(天王亀岡線)沿ひに鎮座します。旧千ヶ畑村・広野村の氏神様です。

畑野町は西は兵庫県に接する亀岡市西部の山間部の町です。旧千ヶ畑村は園部藩領でしたが、寛永十一年(一六三四)に仙洞御所になつてゐます。

かつては五穀の収穫が少なく、炭焼きを主産業としてゐたやうですが、今は豊かに棚田が広がり、ニュータウンが点在する住宅地になつてゐます。

H17.10.22記、H18.1.23追記

八幡神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は応仁天皇。

社殿は元禄六年(一六九三)、拝殿は天保三年(一八三二)に建てられたものと思はれる。


八幡神社全景

■探訪記

亀岡市の西北端、大阪府と接するところにある旧土ヶ畑村の氏神様です。土ヶ畑は「どんがはた」と読み、標高500メートル、府道54号線(園部能勢線)沿ひにある小さな山村です。

土ヶ畑は江戸時代は園部藩領でした。数百メートル行くと、園部町の景勝地瑠璃渓です。

かつては五穀の収穫が少なく、炭焼きを主産業としてゐたやうです。

H17.10.27記

菅原神社本殿

創祀は天徳元年(九五七)。

御祭神は菅原道真公。

領主の命により当時の平松村の児島弥右上門が造営したとも、平松の村人たちが雷を恐れて天神様をお祀りしたとも伝へる。

社殿は元禄一七年(一七〇四)に再興したもの。


菅原神社参道

■探訪記

平松は国道477号線に沿つてある集落です。村の西にある西山(数掛山)には中世の滝ヶ嶺城跡があり、江戸時代は園部藩領でした。村の氏神は廣峯神社ですが、菅原神社も大切に奉祀されてきました。

西山山麓の暗い参道を上がると、境内は明るく開けた広場になつてゐます。燈籠は天保年間のものでした。本殿右手の社務所ではかつては浄瑠璃が奉納されてゐたさうです。

H18.6.11記

出雲神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大己貴命。

平安時代にはあつたと伝へる。天正年間に社殿を建立したが、明智光秀により焼失した。

昔は境内の磐座の横に出雲大明神といふ祠があり、村長の早田太夫が代々祀つてゐたと伝へる。昭和三年に大改築を行なひ、磐座の横から遷座して、現在の社殿・鳥居・石段などを整備した。


出雲神社磐座

■探訪記

国道477号線に沿つてある井手集落の背後にある西山(数掛山)山麓に鎮座します。本梅小学校のすぐ裏です。

六人衆を中心とした宮ノ党が年二回冬・春に祭事を行なつてゐます。境内に神仏習合の名残りの毘沙門堂があり、夏祭りは毘沙門さんの祭です。

境内の小山のやうな磐座は、有史以前よりの聖地であつたことを窺はせます。

H18.6.16記

加舎神社本殿

創祀は長徳二年(九九六)。

御祭神は天照大日霎命・誉田別命・神産霊命。

西加舎村の数掛山の麓のフケといふ地に建立され神明社と呼ばれたが、明智光秀により古記録等焼失した。正徳二年(一七一二)に現在地に遷座、大梵天王の称号を許される。明治五年に加舎神社と改称。


加舎神社全景

■探訪記

府道731号(天王亀岡線)沿ひに鎮座します。西加舎の氏神様です。

古くから開けた地域で、数掛山(西山)には石室を有する後期円墳15基が確認されてゐます。西加舎村は古代の佐伯郷域に比定され、中世は賀舎庄、または野口庄牧村とも言はれました。中世に波多野氏が居城した数掛山城(本梅城)跡があります。

鳥居は享保八年(一七二三)、一間社流造り檜皮葺の本殿は文政二年(一八一九)のものです。


加舎神社・屋磨内神社御旅所

すぐ近くの西加舎公民館前に、加舎神社(左の下がり藤)・屋磨内神社(右の巴紋)共通の御旅所があります。神仏習合時代には同じく大梵天王と称した屋磨内神社とは縁が深く、屋磨内神社が男神、加舎神社が女神の夫婦神といふ伝承があります。

祭事は氏子が輪番で勤める式事番と呼ばれる組織が執り行つてゐます。神輿は大変立派なもので、例祭の宵夕御食(御旅所)渡御、氏子内巡幸は勇壮で知られ、亀岡市有数の神事・神輿ださうです。

H18.6.23記

屋磨内神社本殿

創祀は長徳元年(九九五)。

御祭神は奇稲田姫命・大山咋命。

数掛山城(本梅城)の波多野氏の崇敬を受けたが、天正年間に明智光秀により社殿を焼失、再建後元禄九年(一六九六)正月にも本殿を焼失し、二度の火災で古記録も焼失した。同年九月社殿を再興。二間社流造の本殿は全国的に見ても数少ないもの。正徳五年(一七一五)に大梵天王の称号を許され、明治三年に屋磨内神社と改称。


屋磨内神社全景

■探訪記

朝日山の山麓に鎮座します。東加舎の氏神様で、西加舎の加舎神社と関係が深い神社です。

鳥居を潜つて長い参道を行くと、途中に児童公園があり、それを越えると掃き清められた広い境内が現れます。コンクリートの覆屋が特徴的です。

東加舎には一ノ谷へ赴く時に立ち寄つたとして義経伝説が多く残されてゐるさうです。屋磨内神社と加舎神社は新年の自動車祓ひでも知られてゐます。

H18.7.2記

風尾八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇。


風尾八幡宮全景

■探訪記

西加舎の集落の奥まつた場所、半国山の麓に鎮座します。田んぼを越えた山の中腹に鳥居があり、そこから石段を登つたところに本殿があります。地域の崇敬社と思はれますが、由緒等は不明です。風尾は地名です。氏神の加舎神社とは別に、風尾地区でお祀りしてゐるものでせう。

蔽屋は雨避けのやうな感じで、外から社殿が見えます。鳥居は昭和五十七年建立とありました。

H18.7.9記