弁財天社本殿

創祀は不詳。

御祭神は市杵島姫命。


弁財天社全景

■探訪記

西加舎の集落の中にある蓮池の浮島に鎮座します。重要文化財の十三重塔で知られる延福寺のすぐ近くです。

浮島には社殿と白い狛犬が据ゑられてゐました。境内に辯財天と記された碑があり、昭和五十三年に再建とありました。

蓮池で少年が釣りをしてゐたので、何が釣れるのかと訊くと、ブラックバスがゐるといふことでした。

H18.7.14記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

西加舎の集落の中、十字路に鎮座します。石垣が積まれ、木は庭のやうに刈り込まれてゐて、大変綺麗に整備されてゐます。

地域の北条稲荷講が奉祀してゐるやうです。

左側の小社もお稲荷さんです。

H18.7.21記

西山八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇。


西山八幡宮全景

■探訪記

西加舎の集落の西側にある西山(数掛山)の山裾に鎮座します。石を積んだ台座の上に覆屋が作られ、中には小さな祠がありました。

右の白い燈籠は新しいものでしたが、左の燈籠は天保十年(一八三九)とありましたので、古くから地元で崇敬されてゐることが窺へます。鳥居は昭和六十三年に建てられたものです。

H18.7.27記

藪田神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は藪田大明神。

大正時代に、川関村各所に鎮座してゐた守賀留大明神・水天宮・稲荷などの小祠と共に村社の宮垣神社の境内に合祀されたが、藪田神社は元の場所でも祀られてゐる。


藪田神社全景

■探訪記

国道9号線沿ひ、南丹市から亀岡市に入つて最初の踏切りを渡つてすぐの山腹に鎮座します。山際に藪田大明神と彫られた石碑があります。

上川関は川関村の新田として開かれた地域で、氏神は宮垣神社ですが、藪田神社を崇敬社として祀つてゐます。合祀後も引き続き護持したのは、開拓時代の由来があるのかもしれません。注意して見ると、JR嵯峨野線の電車の中からも鳥居が見えます。

H19.4.13記

玉依神社本殿

創祀は貞観十六年(八七四)。

御祭神は彦波瀲鵜葺草葺不合尊・玉依姫命。

源三位頼政が当社に参拝し、奉納したと伝へる承安元年(一一七一)の吊灯籠が現存する。現社殿は天保九年(一八三八)に再建された。


玉依神社全景

■探訪記

湯谷岳の中腹に鎮座します。湯谷集会所のそばの石段を昇り、竹林の長い参道を進むと鬱蒼たる杉林の中に広場があり、さらに石段を昇ると社殿です。本殿の背後には巨大な磐座があります。

湯谷は大阪府との境にある山村で、江戸時代は高槻藩領でした。昔は温泉が湧き、小野小町も入つたといふ伝承があります。湯谷の大阪寄りの地域には北摂ローズタウンといふ住宅地があります。

H19.4.15記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命・応神天皇・素戔鳴命。

永享九年(一四三七)、元亀二年(一五七一)に改修の記録あり。現社殿は元禄十六年(一七〇三)のもので、曽我部町の犬飼天満宮も造営してゐる高橋三右衛門棟梁が手がけた。


稲荷神社全景

■探訪記

府道733号線(柚原向日線)倉谷口から上がる山の上にある集落、倉谷の公民館近くに鎮座します。十二月五日の御火焚祭りでは、社務所前で大火を焚いて豊作を祈願するさうです。

倉谷村は高槻藩領で、稲荷神社は氏神様です。山を越えた隣り村の湯谷と同様、亀岡市内に行くのも高槻・茨木市内に行くのも大変な場所です。

H19.4.18記

素戔鳴神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔鳴命。


素戔鳴神社全景

■探訪記

府道733号線と栢原川に沿つた小さな盆地にある集落、南掛の山麓に鎮座します。かつては祇園牛頭天王社と呼ばれてゐました。

神社の左側は谷川が流れ、石段の左右や本殿の周囲は樹齢数百年の大杉が聳えてゐます。境内には宝永四年(一七〇七)や宝暦年間の灯籠、文化四年(一八〇七)の鳥居などが残つてゐました。

南掛村は高槻藩領で、素戔鳴神社は氏神様です。

H19.4.21記

小滝神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇・素戔鳴命・天児屋根命・武甕雷命・神宮皇后。

古くは大野村の北東にある坂間山に祀られてゐたと伝へる。応永四年(一三九七)、天和三年(一六八三)に再建。明治十四年に消失し、再築された。


小滝神社全景

■探訪記

茨木街道とも呼ばれる府道407号東掛小林線沿ひにある大野集落の東側の山腹に鎮座します。神社までは畑地を越えて行きます。大野村は高槻藩領で、小滝神社は氏神様です。境内に紙魚明さんを祀つてゐるのですが、江戸時代に紙魚が年貢米の記録帳の数字を食べて文字が消えたので年貢が減ぜられたといふ言ひ伝へが残つてゐます。鳥居は寛保二年(一七四二)のものです。

H19.4.23記

春日神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天児屋根命・応神天皇。

元は和銅年間(七〇八~七一五)に黒柄嶽の頂上に祀られてゐたのを、東掛・小泉・杉生の三箇所に奉遷したと伝へる。時期的には、天文十九年(一五五〇)に東掛城の城主石田長保が神領を寄進してゐることから、天文年間(一五三二~五四)に遷座したものと推測される。


春日神社全景

■探訪記

茨木街道と府道46号茨木亀岡線が合流する三叉路の角、東別院小学校の前に鎮座します。東掛村は高槻藩領で、氏神は春日神社と八幡宮の二社ありましたが、東掛奥谷に祀られてゐた八幡宮は明治四十三年に春日神社に合祀され、今は春日神社の境内に鎮座してゐます。この時に鳥居や灯籠、八幡宮末社の御霊さん・天神さんも移されました。東掛村は石門心学の石田梅岩の出身地で、生家と墓があります。

H19.4.25記

素戔鳴神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は素戔鳴命・天照大神・応神天皇。


素戔鳴神社全景

■探訪記

曹洞宗極楽寺の裏山に鎮座します。極楽寺の横の田んぼの畦道から山林に入る参道があります。

大槻並は大野と万願寺に挟まれた山間の谷にある小さな集落で、高槻藩領でした。素戔鳴神社は氏神様です。槻は欅の一種で、村名は村内に槻の大樹が多かつたことに由来します。

社殿前の石段はかなり傾いてゐます。

H19.4.27記