大宮神社西別院町万願寺 |
創祀は和銅三年(七一〇)。 御祭神は天照皇大神・大宮比賣神・素戔鳴大神。 湯谷ヶ岳の山中に創祀された。天平年間(七二九~七四九)に行基が法相宗萬願寺を創建し、大宮神社を萬願寺の守護神としたと伝へる。十二の塔頭子院のあつた萬願寺は戦火によつて焼失し、神社も現在地に遷座した。焼け残つた仏像が大宮神社の境内仏堂(現社務所)に安置されてゐたが、一体を残して国立美術館に納められてゐる。村にある日蓮宗満願寺は、紛らはしいが、別の寺である。 ■探訪記 府道733号柚原向日線沿ひにある万願寺の集落の鴻応山の麓に鎮座します。由緒ある萬願寺があつた場所で、萬願寺が兵火に焼かれ、僧徒が帰農したのが村の始まりと伝へられてゐます。萬願寺の守護神であつた大宮神社を村の氏神として祀つてゐます。近世は高槻藩領でした。本殿正面の額は聖武天皇の御真筆と伝へられてゐます。現在、拝殿は倒壊寸前で、立ち入り禁止の縄が張られてゐます。 H19.4.29記 |
丹波の神社 |
白髭神社西別院町神池 |
創祀は不詳。 御祭神は大戸道命・応神天皇・天児屋根命。 現在地から北に三百メートル離れた宮ヶ原に七社合祀の大きな社が鎮座し、その内の三社が当地に遷座したと伝へる。境内には分離した四社に向かつて遥拝所が設けられてゐる。 ■探訪記 大阪府豊能町との境の亀岡側が神池で、白髭神社は国道423号沿ひの鴻応山の山麓に鎮座します。神池村は旧高槻藩領で、白髭神社は氏神様です。 境内参道沿ひに乳の泉で有名な弁天さん(市杵島姫神社)が鎮座します。鳥居から弁天さんの前を通つて坂を上がつて行くと広場があり、石垣の上に社殿があります。大きな覆屋に保護された本殿は左が天児屋根命、中が大戸道命、右が応神天皇です。 H19.5.1記 |
丹波の神社 |
市杵島姫神社西別院町神池 |
創祀は不詳。 御祭神は市杵島姫命。 弘法大師の勧請と伝へる。乳の泉と呼ばれる乳首を象つた鉄製の枠から湧き出る清水で知られ、嵯峨御所の皇女が出産されたが、乳の出が悪く乳母も見つからずに困つてゐたところ、以前助けた白蛇が「丹波の弁天さん」と言ふのを聞き、この弁天さんを探して清水を飲むと乳が出るやうになつたといふ伝承がある。 ■探訪記 白髭神社の境内社で、御手洗弁天とも言はれます。亀岡の自然100選にも入つてゐて、丹波では有名な弁天さんです。 乳の泉の清水は甘くて美味しい名水です。この水を汲みに来る人が引切り無しに訪れてゐます。 嵯峨御所の皇女の伝承は、文化十一年(一八一四)に嵯峨御所に清水を献上したことがあるので、それがこのやうな伝承に変化したのかもしれません。 H19.5.3記 |
丹波の神社 |
多吉神社西別院町柚原 |
創祀は和銅二年(七〇九)。 御祭神は高御産霊神・神御産霊神。 延喜式内社。 創建当初は向山(鴻応山)の滝の岩頭に鎮座し、滝大明神と呼ばれてゐた。天正十二年(一五八四)、「日の当たる向きの高き地に移せ」といふ神託により現在地に遷座、御霊大明神として祀られた。明治六年、滝に因んで多吉神社と改称した。 ■探訪記 国道423号と府道733号柚原向日線が交はる地点にある柚原の集落の国道沿ひ、柚原公民館と常楽寺に挟まれた場所に鎮座します。多吉は「たき」と読み、和銅二年創祀の式内社です。鳥居は貞享年間(一六八四~一六八七)のもの、現社殿は正徳五年(一七一五)に造営されたものです。吉田神社の卜部氏が書いた額が残されてゐます。柚原村は高槻藩領で、多吉神社は氏神様です。 H19.5.6記 |
丹波の神社 |
素戔鳴神社西別院町笑路 |
創祀は不詳。 御祭神は素戔鳴命。 源満仲(九一二~九九七)が勧請したと推定されてゐる。江戸時代には祇園牛頭天王社とも呼ばれた。毎年、氏子の中から社役二名が選ばれ、祭礼を取り仕切る。社役は湯立帳に記帳されるが、現存の湯立帳は明治初期まで遡る。 ■探訪記 国道423号沿ひにある笑路の集落の山麓に鎮座します。神社は国道から一本西に入つた山道沿ひにあり、境内は鳥居から社殿まで森の中です。 笑路村は「わろうじ」と読み、高槻藩領で、素戔鳴神社は氏神様です。 笑路には戦国時代の長沢氏の居城だつた笑路城(松尾之城)址があり、遺構が残つてゐます。 H19.5.8記 |
丹波の神社 |
弁財天社西別院町笑路 |
創祀は不詳。 御祭神は市杵島姫命。 ■探訪記 素戔鳴神社の近くにある曹洞宗西光寺のすぐ右側の盛土の上に鎮座します。 地元の方に伺つたところ、西光寺を借りて芙蓉会といふグループで習字などを教へてゐた小林さんといふ方が祀つたのが始まりといふことでした。 H19.5.11記 |
丹波の神社 |
松尾神社西別院町犬甘野 |
創祀は不詳。 御祭神は大山咋命・市杵島姫命。 源満仲が寛和年間(九八五~九八七)に勧請したと伝へる。 本殿は宝永六年(一七〇九)に造営。 ■探訪記 国道423号から亀岡能勢線に入つたところにある犬甘野の集落の山中に鎮座します。犬甘野村は高槻藩領で、松尾神社は氏神様です。一の鳥居から杉に囲まれた参道が長く続き、参道の右には谷川が流れてゐます。やがて二の鳥居と拝殿があり、三の鳥居を過ぎると陽光が差し込む広場に本殿があります。本殿近くに磐座があります。室町時代から続く御田祭は京都府の無形民俗文化財です。 H19.5.13記 |
丹波の神社 |
秀成稲荷神社稗田野町佐伯 |
創祀は不詳。 御祭神は倉稲魂命。 苗秀寺は奈良時代に創建、明智光秀の丹波攻めで焼き討ちに遭つて焼失し、寛永二年(一六二五)に再興された古刹で、秀成稲荷神社は少なくとも幕末の文久年間(一八六一~六四)には祀られてゐた。 ■探訪記 墓苑のアショカ苑で知られる苗秀寺境内に鎮座します。 秀成稲荷は境内の参道を上がつて行つた裏山山腹にひつそりと鎮座してゐますが、地域では境内鎮守といふ以上に独立的に崇敬されてゐます。文久年間より行はれてゐる十一月の稲荷大明神大祭は有名で、当日は子供神輿も出るさうです。本殿前の石鳥居は文久年間のものでした。 H22.3.21記 |
丹波の神社 |
千ヶ畑八幡宮畑野町千ヶ畑 |
創祀は不詳。 御祭神は誉田別命。 宝永五年(一七〇八)、千ヶ畑の光福寺の鎮守八幡宮を再興し、石清水八幡宮から御分霊を再度勧請した。その再興時より約三百年前に石清水八幡宮から御分霊を勧請して祭祀を始めてゐたと伝はる。 ■探訪記 府道731号天王亀岡線沿ひ、後水尾天皇ゆかりの名刹法常寺の参道口付近の山腹に鎮座します。 光福寺の鎮守でしたが、廃寺となつてからは、八幡宮は千ヶ畑の守り神として祀られるやうになりました。社殿背後左に寄り添ふ御神木の樅の木は、樹高30メートルほど、幹周りは4メートル以上あり、亀岡市内の樅の木では一番太いさうです。 H22.3.26記 |
丹波の神社 |
千ヶ畑天満宮畑野町千ヶ畑 |
創祀は不詳。 御祭神は菅原道真公。 ■探訪記 府道731号天王亀岡線沿ひ、後水尾天皇ゆかりの名刹法常寺の参道口付近の山腹に鎮座します。鎮座地には広場や階段などもあり、すぐそばの八幡宮よりも整備されてゐます。八幡宮と同様、千ヶ畑地域でお祀りしてゐる神社です。 愛宕神社と毘沙門天を合祀してゐます。 H22.3.30記 |
丹波の神社 |
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