金比羅神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大物主命。


金比羅神社全景

■探訪記

国道477号線沿ひ、京北ふるさとバスの比賀江バス停、山国郵便局のそばにある金比羅山山頂に鎮座します。

金比羅山は途中まで車で上がれますが、舗装されてゐないので、徒歩で登つた方がいいでせう。山上から隣接する京北運動公園が見えます。

H19.7.24記

御霊神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は崇道天皇・伊予親王・藤原吉子・橘逸勢・文屋宮田麻呂・吉備真備・藤原広嗣・菅原道真。

比賀江村の村社。山國五社明神の一つで四の宮。境内に五社明神の宝物庫・神輿庫がある。


御霊神社全景

■探訪記

国道477号線沿ひにある山国駐在所の横を桂川の方に曲がつたところに鎮座します。隣接地に高田寺といふ御霊神社の神宮寺がありましたが、その後高田寺は廃寺になり跡地は比賀江小学校(藤野斉が兵庫の儒者田原正績を招いて高田寺の境内で始めた私塾友隣館が前身)になりました。今はその小学校も残つてゐません。かつて高田寺には山国荘の政所が設置され、荘園の行政的中枢であつたやうです。

H19.7.26記

天満宮本殿

創祀は天福元年(一二三三)。

御祭神は菅原道真公。


天満宮全景

■探訪記

京北第二小学校の近くの丘の上に鎮座します。塔村の村社にして山國八社明神の一つです。覆屋に三社が祀られてゐて、中央が本社、左が日吉神社、右が愛宕神社です。愛宕神社に関しては、安政六年(一八五九)に大火があつた時、愛宕さんの神符を風上に立てて祈れといふお告げがあり、その通りにすると間もなく鎮火したといふ伝承が残つてゐて、現在も鎮火祭が盛大に執り行なはれてゐます。

H19.7.29記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は稲倉魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

府道366号道塔下弓削線で塔から弓削へ向かふ途中の右側の山中、塔村古墳の玄室奥に鎮座します。塔村古墳は約1350年前の七世紀の円墳で、豪族の墓と考へられてゐます。

珍しい古墳の中の神社です。真つ暗な玄室内には祠が二つあり、左の小社には昌家稲荷大明神と書かれてゐるやうでした。

H19.7.31記

山國護國神社本殿

創祀は明治二年(一八六九)。

御祭神は地元出身の護国の英霊百七十三柱。

山國隊として官軍に加はり、鳥羽・伏見から戊辰戦争で戦病死した七士を追悼した山國招魂社が始まりである。


山國護國神社英霊石柱

■探訪記

国道477号線から市道に入り、三明谷川にかかる招魂橋を渡つた先の薬師山の中腹に鎮座します。山國隊を出した尊皇愛国の地として知られる山國郷の護國神社です。

明治八年十二月十五日に最初の招魂祭を行なつてゐます。戦後、官営の招魂社が認められなくなり、昭和二十年に宗教法人山國郷社、さらに昭和二十六年に宗教法人山國護國神社として地元民崇敬の社となりました。


山國護國神社全景

境内のあちこちに英霊を祀る石柱が鎮座し、粛然たる雰囲気があります。山國は昔から皇室との関係が深く、維新の時に朝廷の檄文に応へて草莽の同志八十数名で組織したのが山國隊です。山國隊士を筆頭に、日清、日露、大東亞の戦病死者を合祀してゐます。忠魂碑もあります。

例祭のある四月二十二日は、慶応四年に六人の死傷者を出した安塚の戦ひの日です。

H19.8.2記

八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇・神功皇后。

治承二年(一一七八)、藤原成経が領民が悪疫に悩まされてゐたので筑前国筥崎八幡宮を勧請すると回復したといふ伝承があるが、承安四年(一一七四)の吉富荘絵図(江戸初期の写し)に宇津村箱前社とあり、それ以前に存在してゐたやうである。明和二年(一七六五)、弓槻・柏原の金剛寺と栃本の玉林寺の間でどちらが神宮寺かの争ひがあり、玉林寺が勝訴。明治六年、郷社となる。


八幡宮全景

■探訪記

国道477号沿ひ、下宇津公民館の隣りに鎮座します。栃本・弓槻・柏原の氏神様です。神吉の八幡神社、周山村熊田の天稚神社と併せて都の乾三八幡と称せられました。ユニークな覆屋に保護された現社殿は元文二年(一七三七)に再建されたものです。京都市指定文化財の絹本著色釈迦十六善神像が残つてゐます。境内左の摂社は高良神社と言ひ、姫大神を祀つてゐます。

H19.8.4記

弁財天宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は市杵島姫命。

治承二年(一一七八)、藤原成経が鬼界ヶ島から帰還後、安芸国厳島神社から勧請したと伝へるが、承安四年(一一七四)に描かれた吉富荘絵図(江戸初期の写し)に宇津村厳嶋社とあるので、それ以前に存在したやうである。


弁財天宮全景

■探訪記

桂川に掛かる栃本橋を渡り、弁天芝と呼ばれる辺りの杉木立の中に鎮座します。

堂内に半身大の弁才天像を祀り、大黒天・毘沙門天を傍らに祀つてゐます。現社殿は享保四年(一七一九)に再建したものと思はれます。宝暦年間(一七五一~六三)の石灯籠が残つてゐます。

H19.8.5記

出雲神社本殿

創祀は文永五年(一二六八)。

御祭神は大国主命・三穂津比売神。

元は粟生谷村と中地村の境に鎮座してゐたのを、明治十九年現在地に遷座した。神宝に鎌倉時代の狛犬一対がある。


出雲神社全景

■探訪記

国道477号と府道365号中地熊田線が合流する地点、平成十一年に廃校になつた宇津小学校の校庭に面して鎮座します。宇津小学校裏山には宇津遺跡があります。石器時代から弥生後期にかけた集落があつたと思はれ、土師器・須恵器・石鏃・住居跡が出土してゐます。そばに忠魂碑や山の神を祀る祠も鎮座してゐました。近くにカトリック宇津教会や浄土宗観音寺があります。

H19.8.7記

八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は品陀和気命。

源頼義が木材を運ぶ大堰川の宇津流域の安全を祈願して宇佐八幡宮より勧請したと伝へる。一説に前九年の役で破つた安倍氏の霊を鎮めるために勧請したとも伝へる(安倍貞任の遺骸を宇津の切畑に埋めたといふ伝承が残り、首塚がある)。下宇津村・中地村・周山村宇野地区の氏神で、栃本の郷社八幡に対して村社八幡と呼ぶ。神宝に京都市指定文化財の大般若経、絹本著色釈迦十六善神像がある。


八幡宮全景

■探訪記

府道364号中地日吉線沿ひ、宇津コミュニティセンターの横に鎮座します。本殿前に厄神社の御札授与所があります。神宮寺の鐘がありますが、文化年間(一八〇四~一七)に鋳造されたものを戦時中に供出し、戦後銘文を含めて再鋳造したもののやうです。八幡宮の裏山は明智光秀に滅ぼされた宇津氏の居城してゐた宇津城址です。桂川の対岸にはキャンプ場で知られる宇津峡公園があります。

H19.8.9記

春日神社本殿

創祀は長和二年(一〇一三)。

御祭神は、健御賀豆知命・伊波比主命・天之子八根命・比売神。

藤原氏の領地だつたことから奈良の春日大社を勧請した。宮・上黒田・下黒田三村の氏神として祀つてゐたが、嘉暦三年(一三二八)に上村に分祀した後は、宮・下黒田両村の氏神となつた。当初は宮野大明神と称したが、享保八年(一七二三)に春日大明神と改称、明治十六年に春日神社と改称。旧村社。


春日神社全景

■探訪記

国道477号線黒田トンネルを抜け、廃校の黒田小学校の隣りに鎮座します。

黒田は六ヶ村からなる地域で、春日神社の周辺は郵便局、交番、地元の人々が自ら経営するコンビニおーらい黒田屋などがある黒田の中心部です。境内には樹齢三百五十年の百年桜、樹齢三百年の紅梅、光厳天皇所縁の硯石などがあり、お米の神様を祀る宇賀神社は末社の中で別格といふことです。

H19.8.11記