大原神社境内

創祀は大化元年(六四五)。

御祭神は伊弉冉命・伊弉諾命・天照大神。

元は大原神宮・大原大明神と呼ばれてゐた。霊験あらたかな神社で大原詣と称して近畿全域から参詣者が絶えなかつた。天田郡の大原神社など各地に分霊され、当地を元大原、当社を元大原大明神として大原講が各地に存在した。江戸時代には園部藩主代々の祈願所となり、丹波六社の一つとされた。文化三年、文政六年に社殿が焼失し、現在の本殿は弘化三年(一八四六)に再建されたもの。旧郷社。


大原神社本殿

■探訪記

樫原の集落から大原谷川沿ひにしばらく谷を入つたところに鎮座します。大原谷川が大野ダムに注ぎ込む河口付近に架かる樫原大橋の両岸には二本の御神木の大欅があり、古くは一の鳥居の役割を果たしてゐたさうです。右岸の欅の根元には大原神社の碑が建つてゐます。

樫原村は大野十ヶ村の一つで、園部藩領でした。

境内には金刀比羅社と五社明神が鎮座しますが、かつては別の神社だつたのが合祀されたものです。


川上神社社殿

本殿と並んで鎮座する摂社川上神社は猿田彦命を祭神とする樫原村の氏神様で、十月に行なはれる川上神社の「からす田楽」は無形民俗文化財に指定されてゐます。講中(九人衆)で鯖寿司を作つて供へるため、古くは鮓講と呼ばれてゐました。

神社をさらに上がつて行くと、現存最古の民家として知られる重要文化財の石田家住宅があります。

H20.6.29記

道相神社本殿

創祀は武烈天皇二年(五〇〇)。

御祭神は神武天皇・五瀬命・木梨軽皇子。

五世紀前半、木梨軽皇子が美山の軽野の地(現在の内久保)に隠れ住んでをられた時、神武天皇と五瀬命を祀つてをられた。のちに祠(軽野神社)は洪水で流されて宮脇に流れ着いたので、武烈二年に社殿を建築して木梨軽皇子を合祀したのが始まりと伝へる。一説に丹波道主命が宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源ともいふ。旧郷社。


道相神社拝殿

■探訪記

府道19号園部平屋線と府道368号和泉宮脇線の分岐点に鎮座します。氏子は宮島地区の原・板橋・宮脇・下吉田・島・長谷・和泉・上司、大野地区の萱野・平屋地区全域に及ぶ美山の名社です。現社殿は文政五年(一八二二)に氏子の寄進によつた再建されたもので、本殿と拝殿は京都府登録文化財、道相神楽は京都府登録無形民俗文化財、境内一帯は京都府文化財環境保全地区に指定されてゐます。

H21.1.7記

八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇。


八幡宮全景

■探訪記

平成20年に開通した下吉田トンネルの真上の山に鎮座します。下吉田の村落はトンネル開通以前の旧道沿ひに広がつてゐて、今もバスは旧道を走つてゐます。鳥居から数分登りますが、階段がなく滑りやすいので、注意が必要です。

下吉田は旧園部藩領。八幡宮の創祀は中世以前に遡るやうで、少なくとも宝永年間(一七〇四~一一)には集落の神社として崇敬されてゐました。

H21.1.30記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

島の城山の麓に鎮座します。

北桑田郡誌に紫雲寺の旧跡に稲荷神社が祀られてゐるとあるのが、これだと思はれます。昔は松の巨木があつたさうですが、現在はかなり大きな杉の木が聳えてゐます。

H21.2.4記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

島のかやぶき美術館近くの道路脇に鎮座します。扁額に正一位稲荷大神とあります。祠が二つ並んでゐますが、両方とも稲荷社のやうです。

付近には美山かやぶき美術館・郷土資料館の二棟や文化財になつてゐるものを含む萱葺き民家が点在してゐます。

H21.2.6記

愛宕神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は火結神。


愛宕神社全景

■探訪記

長谷と萱野との間にある丸山山頂に鎮座します。

長谷は明治三年に棚田村と沢田村が合併してできた村で、愛宕神社は長谷の氏神様です。棚田は道祖神社の氏子でもあります。

社殿の前に近くの泉龍寺の鐘楼がありますが、何らかの関係(鎮守社でせうか)があつたと推測されます。

H21.2.13記

蛭子神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は事代主命。


蛭子神社全景

■探訪記

民宿みやまのすぐ裏に鎮座します。

字湯ケ谷といふ地名ですが、昔は湯が湧いてゐたといふ伝承があるのでせうか。

H21.2.23記