樫船神社本殿

創祀は貞応元年(一二二二~二三)。

御祭神は大己貴命(大国主命)。

丹波国桑田郡田能村は亀山藩に属し、明治二十二年(一八八九)に京都府南桑田郡樫田村となり、昭和三十三年(一九五八)に全国初の府県越境合併により大阪府高槻市に編入された。樫船神社は現在高槻市田能の鎮守であるが、亀岡開拓の祖神として丹波にとつて重要な神である。


樫船神社境内

言ひ伝へによれば、亀岡(亀山)盆地がかつて大湖であつた頃、諸国巡国中の大己貴命が樫田村の黒柄山に八百万の神々を集めて相計り、樫田村の樫船明神が樫の木で船を御作りになり、亀岡上矢田の鍬山明神が鍬を御作りになつて、この樫船に乗つて請田(保津峡)の峡を開かれたので、湖水は嵐山の方に流れ、肥沃な平野が現出した。大己貴命がこの平野に桑を植ゑられたことから、桑田の名が起こつたとされる。この水が流れ出た峡の両岸に祀られたのが篠村の桑田神社と保津村の請田神社である。


樫船神社参道口

■探訪記

通りに面した石段から尾根伝ひに続く長い参道を山中深く行つたところに鎮座します。明神ヶ岳山麓の現社殿地は貞応元年(一二二二~二三)、田能の村人たちが社殿を造営し、神像と仏像を奉納した場所ですが、伝承から推測すれば、古くは黒柄山のどこかに祭祀場があつたのでせう。近くにある神宮寺はその名の通り樫船神社の神宮寺だつたお寺で、現在も樫船神社と合同の宗教行事が行はれてゐます。

H16.10.29記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は宇迦之御魂大神。

創祀は明智光秀の丹波攻略以降と推測されるが、田能村伊案条の有力者が中心になつて十九名が建立に携はり、伏見稲荷大社から分社したものである。


稲荷神社全景

■探訪記

亀山城との連絡の要地であつた田能城跡と言はれる城山の麓の藪の中に鎮座します。鎮座地の地名も城山です。建立時には参道入口に大鳥居が建てられてゐました。この鳥居は老朽化が進み、昭和五十七年(一九八二)に建て替へられたさうですが、これも老朽化したといふことで現存してゐません。城山に連なる黒柄山には狼煙を上げた火床跡が残つてゐるさうです。

H16.10.29記

春日神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天児屋根命。

杉生村の産土神。黒柄嶽春日四社ノ内とされる。現在地への遷座は天文六年(一五三七)。


春日大明神鐘楼

■探訪記

亀岡市と高槻市の境界の山間部、年谷川の最上流に位置する杉生集落の千ヶ谷に鎮座します。黒柄嶽山麓の村を見下ろす高台に社殿があり、隣接した場所に神宮寺の鐘楼が残つてゐます。鐘楼の銘には春日大明神と刻まれ、神宮寺が春日神を奉斎してゐたことがわかります。杉生には京都府と大阪府を跨いで東西に走る府道枚方亀岡線が通り、これはかつては善峯寺・総持寺・穴太寺などを結ぶ遍路道でした。

H16.12.20記

藤井神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は白山比賣命・日本武尊・天活玉命。


藤井神社全景

■探訪記

大阪府道733号柚原向日線の市バスニ料山荘前すぐのところから、二料川(安威川上流)に流れ込む鹿爪川沿ひに鹿爪谷を10分ほど入つた谷間に鎮座します。江戸時代には鹿爪権現または藤井権現と呼ばれてゐました。境内は石垣で整備され、天明九年(一七八九)や文化九年(一八一二)の灯籠が残つてゐます。宝筐印塔もありました。

H19.7.17記

大神宮社本殿

創祀は不詳。

御祭神は豊受姫命。

元禄十一年(一六九八)に造営、宝暦四年(一七五四)に修築されてゐる。中畑村の村社。元は弁才天宮で、山王権現・三宝荒神社・十五童子社と共に天台宗和光山神宮寺の境内に鎮座してゐた。


大神宮社全景

■探訪記

柚原向日線沿ひの消防団樫田分団中畑班の右側から谷に入つたところに鎮座します。中畑農業構造改善センターの近くです。舗装された参道を行くと、陽溜まりのやうな谷間に社殿があり、穏やかな雰囲気が漂つてゐます。

境内には稲荷・日吉・厳島・天満宮などの摂社が鎮座し、文化年間(一八〇四~一八一七)の手水鉢があります。

H19.7.21記

素盞鳴神社本殿

創祀は不詳。元禄頃には遡る。牛頭天王社。

御祭神は素盞鳴命。

出灰村の村社。出灰は「いづりは」と読み、この辺りで石灰が採れたことからその名が付いた。


素盞鳴神社全景

■探訪記

出灰は出灰川・田能川・流谷川が合流する場所で、素盞鳴神社は流谷川の左岸に鎮座します。境内には神仏習合時代の牛頭天王の灯籠が残り、鳥居左の御神木の巨大な桂は合併前は京都府、現在は大阪府の天然記念物に指定されてゐます。出灰川を挟んで高槻市と京都市が隣接する地域で、京都市側も大原野出灰町で同じ地名ですが、丹波と山城と国も違ふ別の村で、両村をつなぐ橋を両国橋と言ひます。

H19.7.22記

船宮神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は船玉大神。

正暦四年(九九三)一条天皇の勅使として子孫の菅原為理が太宰府に下向し、道真公に左大臣の位を追贈した帰途、舟で上田辺村(高槻市役所の西付近)に上陸したのを記念して船の宮を建てたと伝へる。


船宮神社全景

■探訪記

出灰川沿ひの道に面して鎮座します。対岸には京都市の大原野出灰集会所があります。

大阪府高槻市天神町の上宮天満宮の末社で、上宮天満宮の先代の宮司がこの地に天神出灰農場といふものを拓き、その鎮守として平成四年に遷座したもののやうです。鳥居はなく、白塀に囲まれた小さな社です。

H19.7.23記

太歳神社本殿

創祀は不詳。永仁四年(一二九六)造営の棟札が残つてをり、創祀はそれ以前に遡る。

御祭神は素盞鳴命・大己貴命・奇稲田姫命。

天正十年(一五八二)、領主の長澤采女正により再建。元和元年(一六一五)、長澤政綱により再建。境内社に八幡神社・春日神社・稲荷神社。松岳寺といふ別当寺院があつた。


太歳神社全景

■探訪記

昭和三十三年、当時の東能勢村に亀岡市西別院町の牧と寺田を編入合併しました。豊能町は基本的に摂津国ですが、牧と寺田は丹波国に属してゐます。

国道423号から鳥居が見えます。鳥居の背後には樹齢三百年の大杉が聳えてゐます。参道を上つて行くと、広々とした境内に出ます。本殿は石垣で造成され、塀に囲まれた立派なものです。地元の黒田家一統が寄進した鳥居が残つてゐます。

H19.9.4記

大歳神社本殿

創祀は嘉祥三年(八五〇)。

御祭神は大己貴命・奇稲田姫命・大山咋命。

旧村社。本殿は二間社流造の珍しいもので、覆屋は回廊式。


大歳神社全景

■探訪記

寺田公民館の向かひに鎮座します。寺田の旧村社です。

境内に庚申講信仰を示す南無青面金剛の碑が立つてゐます。

本殿の右に覆屋があり、摂社(日吉・稲荷・大川・賽の神)が並んでゐますが、このうち日吉神社(下の写真)は寺田のもう一つの旧村社で、かつて山王山に鎮座してゐました。氏子も共通で、大歳神社と一体の御社であつたと思はれます。


日吉神社本殿

日吉神社の創祀は不詳ですが、応永三十三年(一四二六)、元和六年(一六二〇)等に改築との記録が残つてゐるので、相当古いものです。現在は日吉神社境内に鎮座してゐた稲荷神社と共に、大歳神社に合祀されてゐます。

H19.9.8記