加茂神社本殿

創祀は天文三年(一五三四)、田中肥前守信兼が旧知行地の氷上郡の加茂神社を勧請して建立したと言はれるが、南北朝時代の永和二年(一二七六)にすでに大村(城南町の旧村名)のことが記録に見え、天文三年は再興の年と推定される。旧村社。

御祭神は加茂別雷命。

本殿は、神社建築史的に見て、古い様式をとどめてゐる。保本殿内の板壁に描かれてゐる月光菩薩像は神仏習合期の貴重な文化財である。近くに神宮寺の薬林寺があつたが、今は残つてゐない。


加茂神社全景

■探訪記

加茂神社の鎮座する城山には、戦国時代まで大村城(田中氏)がありました。加茂神社を建立(あるいは再興)した信兼は、観応二年(一三五一)の軍功により足利尊氏より大村の地頭職に任ぜられた田中宗長の子孫です。

城南町の外れに朱塗りの両部鳥居と石段があり、それを登つた山腹の本殿からは園部の町が見渡せ、良い景色です。

H16.5.12記

三輪神社本殿

創祀は一説に天文四年(一五三五)と言はれるが、それよりも遡ると推定されてゐる。旧村社。

御祭神は大物主神。

道を隔てた隣りに、神宮寺の浄香寺(廃寺)の観音堂が残つてゐる。浄香寺は産土神の出若大明神として奉祀されてゐた。


三輪神社全景

■探訪記

横田の温井(旧上横田村)の小高い丘の上に鎮座します。周辺は大きな道路が通り、新興住宅地になつてゐますが、三輪神社を囲むやうにある温井は昔ながらの古い集落です。ここは元々出若大明神が鎮座してゐたところで、そこに宮山の袋谷から三輪社が移つてきたものです。出若大明神と三輪社とは奥社と麓社の関係にあつたやうです。神社も集落も、こぢんまりしてゐてとても可愛いスポットです。

H16.5.12記

若宮神社本殿

創祀は不詳だが、寛元三年(一二四五)に後嵯峨上皇御領横田保に丹波道主命の后神を祀つたのが始まりと伝へる。長く后神一柱を祀つてゐたが、のちに今の御祭神を祀るといふ。旧指定村社。

御祭神は品陀別命。

神宮寺の若王寺があつたが、今は残つてゐない。


若宮神社全景

■探訪記

若宮神社は国道477号線から一筋入つた旧道沿ひの閑静な住宅街の中に鎮座します。

犬の散歩をされてゐた女の人が、三軒のお宮係が交代で奉仕してをられると教へて下さいました。

横田には江戸時代から続く横田六祭念仏といふお盆の行事があります。

H16.5.12記

城埼神社全景

古代城埼郷の古社で、『三代実録』元慶六年(八八二)にその名が見える。古代中世に亘り、城埼郷の総氏神であつた。今は上木崎町になつてゐるが、内林町の飛地で、内林町の氏神にして旧村社。明治十年に延喜式内社になつてゐる。

御祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。

古代は出雲系の城埼神を祀つてゐたが、鎌倉時代の永仁二年(一二九四)より春日神に変つた。


城埼神社本殿

■探訪記

付近には古墳時代前期の全長77メートルの前方後円墳もあり、奈良時代以前から祭祀が行なはれてゐたと見られる古社です。園部藩主の崇敬も篤く、広大な境内を持つ神社でしたが、今は往時を偲ばせる面影はありません。

国道9号線の交差点のパチンコ店の裏側に城埼神社は鎮座します。通過する人々はここに古墳時代以来の聖地があるとは気づかないでせう。

H16.5.13記

春日神社全景

創祀は不詳だが、元亀四年(一五七三)にはすでにあつたことが確認できる。当初はすぐそばの城埼神社の分霊を祀つてゐたが、城埼神社とともに春日四神に変つた。旧村社。

御祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。

一名「谷の宮」と言ひ、「谷の坊」といふ神宮寺があつた。谷の坊は残つてゐない。宝暦明和年間に再建した本殿は非常に美しい。


春日神社本殿

■探訪記

スーパーマツモト新園部店の横を入つてすぐに鎮座します。そこは緑に囲まれた谷で、大通りの喧騒とは全くの別世界です。

サッカーボールで遊んでゐた地元の子供に「神社はどこ?」と尋ねると、「神社はないけど、お宮さんやつたらすぐそこにある」と教へてくれました。

谷間の緑に囲まれた美しい場所です。

H16.5.13記

水天宮全景

創祀は元和五年(一六一九)。

御祭神は、天御中主神・安徳天皇・建礼門院・平二位局。

稲荷大神・保食神が併祀されてゐる。


水天宮本殿

■探訪記

古い商店街の中に鎮座する小さな神社です。

安産の神様として知られてゐる水天宮は、水商売の神様でもあるやうです。

鳥居の左側には、除災招福の小さな河童像(河童の福ちやん)があります。

水天宮のある若松町を歩いてゐると、江戸の名残りを留めた町並が見られます。

H16.5.13記

稲荷神社全景

創祀は慶応元年(一八六五)、明月大神・御崎大神を迎へて、生身天満宮の御旅所であつたこの地に遷座。上本町一部の崇敬神社である。

御祭神は御崎大神・明月大神・倉稲魂命。

明治十六年当時は御崎大神・明月大神を祀る稲荷神社と倉稲魂命を祀る稲荷神社の二社があつたと言ふが、今は本殿も一つで外観も一社である。


稲荷神社本殿

■探訪記

稲荷神社は園部川の大橋の袂に鎮座します。

周囲には中央公民館・中央郵便局・警察署があり、商店街の入口に位置する町の中心部にある小さな神社です。

神社の前はバスのターミナルになつてゐて、京都市内、福知山・丹後方面、兵庫県篠山市方面へのバスが出てゐます。

H16.5.14記

厄神社

創祀年代は不詳。寛文六年(一六六六)、園部藩祖小出吉親が石鳥居を奉献、木崎庄今林村・内林村氏神八幡宮とある。

御祭神は品陀別命。

神宮寺は常光寺で、今は残つてゐない。


八幡神社本殿

■探訪記

園部から日吉町方面に続く府道19号線沿ひに鎮座します。

境内にある厄神社が有名で、毎年一月十九日には厄神祭が行なはれます。

船井郡で厄神社と言へば以前は日吉町の八幡神社が有名でしたが、ダム建設のために亀岡市千代川に移転しましたので、内林町の厄神社が賑はふやうになりました。

H16.5.18記

大森神社全景

古来摩気神社の氏子であつたが、徳川四代将軍家綱の代、延宝三年(一六七五)に本殿を建てて創祀した。天満宮を併祀する。

御祭神は味スキ[耒巨]高彦根命。


大森神社本殿

■探訪記

田園風景の中にぽつんと鎮座する鎮守の杜です。

境内には公民館と消防団があり、隣りにはグラウンドもあつて、地域コミュニティの中心的機能を果たしてゐます。

祈年祭は「ワードンドン」と呼ばれ、古い魂振りの形を保つてゐるものです。

H16.5.18記

春日神社本殿

天喜二年(一〇五四)、丹波介藤原兼重の創祀と言はれるが、古代はこの付近を志麻郷島村と言つたので、一説に延喜式内社の嶋物部神社とも言はれる。旧指定村社。

御祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。

中世には塩田山にあつたので塩田宮と言つた。天和三年(一六八三)に当地へ遷座。神宮寺は遷座以前からこの地にあつた釈王寺で、今はない。


春日神社全景

■探訪記

今は小山東町と小山西町に分かれてゐますが、古くは一つの小山村で、そこの氏神様です。春日神社であるのは兼重が藤原氏の氏神を祀つたといふことでせう。古代地名の志麻は物部氏の祖神・宇麻志麻遲命に由来します。嶋物部神社は同じ志麻郷であつた八木町神田の荒井神社とする説もありますが、いづれにせよ、歴史のロマンを感じさせます。

JR園部駅西口を出たところに鎮座します。

H16.5.12記