豊光稲荷神社本殿

由緒は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

昭和四十年に改修とある。


豊光稲荷神社全景

■探訪記

園部川にかかる宝福寺橋すぐそば、住宅密集地の中に鎮座するお稲荷さんです。人一人何とか通れる細い路地の奥に少し開けた土地があり、豊光稲荷神社はそこにあります。ここに神社があることはちよつと地元の人しかわからないでせう。祠は今にも崩れさうですが、奉祀は絶えることなく行なはれてゐるやうです。神社の横は菜園になつてゐます。生活空間と非常に密接した神社です。

H16.6.1記

岩波稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


岩波稲荷神社全景

■探訪記

主夜神のすぐそば、国道9号線の左側の崖の上に鎮座します。神社は国道からは見えませんが、山の斜面に赤い鳥居が続いてゐますので、そこにお稲荷さんがあることがわかります。国道脇から階段がついてゐて、崖の急斜面にある参道はかなり危険です。神社は崖から山の中に入つたところにあります。場所柄毎日参拝することは難しいでせうが、奉祀は手厚く行なはれてゐるやうです。

H16.6.3記

治宮神社本殿

由緒は不詳。旧村社。

御祭神は応神天皇。

かつて藁梨城(内藤氏)があつた。永禄二年(一五五九)に同族の八木城主の内藤氏との戦で落城し、鎮守の治宮神社もろとも焼失したため、勧請年月日などわからなくなつてしまつた。


治宮神社全景

■探訪記

統合前は藁梨といふ村でした。治宮神社は山裾に伸びる藁梨集落の谷間に鎮座します。神社の前は谷の奥へ続く谷川です。ここはかつて戦国の豪族内藤氏が藁梨城を構へた場所で、治宮神社は藁梨城の鎮守でした。隣りにある松林寺が二の丸、治宮神社の鳥居をくぐつたところが大手、そこから山頂の本丸に続く道がありました。裏山の大和谷には大杉があり、修験者を護持する不動尊もあります。

H16.6.5記

慈久神社本殿

由緒は不詳。旧村社。

御祭神は応神天皇。

寛永十四年(一六三七)、社殿その他悉く焼失したため、勧請年月日などわからない。神社は寛永十五年に再建された。


慈久神社全景

■探訪記

ここも船岡になつてゐますが、昔は松尾といふ村でした。すぐそばにあるトンネルを越えると日吉町です。

藁梨の神社と神社名も御祭神も同じです。以前は藁梨と同じ治宮の字を当ててゐましたが、今は慈久とあります。

神社の右隣りに神宮寺の建物が残つてをり、神仏習合時代の境内の形態がよくわかります。

H16.6.5記

月讀神社本殿

創祀は貞観十七年(八七五)。旧村社。

御祭神は月夜見の命。

日吉町志和賀の月讀神社と関係があり、昔は神輿を共有してゐた。

月夜見の命は伊邪那岐命の陰なる右目から生まれた神。船岡では月夜見の命の使者である兎を食べることはもとより、狩猟も飼育も、衣服の柄に使ふことも禁じられてゐるといふ。


月讀神社全景

■探訪記

統合前は上河内村と言ひました。船岡から熊崎までの川辺地区は、悠然と流れる水量豊かな大堰川の両岸に水田と村々が広がり、なだらかな山並が大変美しく、風光明媚な地域です。大堰川沿ひにあつて常に川のせせらぎが聞こえる月讀神社の境内は掃き清められてゐて、対岸の山を借景にした美しくて立派な古社です。景色も空気もよく、好天の日にハイキングがてらに訪ねてみたい神社です。

H16.6.5記

若宮八幡宮本殿

由緒は不詳。旧村社。

御祭神は応神天皇。

神輿に延宝七年(一六七九)に製作と記載されてをり、現在の社殿を見ても五百年は経過してゐると思はれる。

境内に厄除神社があり、毎年一月十九日には参詣者が多い。


若宮八幡宮全景

■探訪記

越方は「をちかた」と読みます。若宮八幡宮は集落から少し離れた大堰川のほとり、田んぼの真ん中に鎮座する神社です。見晴らしの良い場所にこんもりとした鎮守の杜があり、周囲のどこからでも見えます。境内には公民館もあります。トンビが巣をしてゐるらしく、杜の上方を回つてゐました。

H16.6.3記

春日神社本殿

創祀は享和三年(一八〇三)。旧村社。

御祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。


春日神社全景

■探訪記

公民館の近くから山の方に入り、谷川沿ひの道を奥へ行くと参道があります。暗い森の中に続く参道をしばらく登つたところに春日神社は鎮座します。隣りには神社に遥かに遡る古い由緒を持つ玉泉寺の建物が残つてゐます。玉泉寺は廃寺のやうでしたが、脇に代々の住職の墓所があり、ごく最近のものもありました。佐切は狭霧(霧の雅語)でせうか。園部藩領ではなく、仙洞御料であつたやうです。

H16.6.5記

春日神社本殿

創祀は大同二年(八〇七)。旧村社。

御祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。

室町初期の建立と考へられる本殿は、重要文化財に指定されてゐる。


春日神社全景

■探訪記

高屋の集落の民家の間に鎮座します。重要文化財でもある美麗な本殿で知られる神社です。のどかな田園風景の中にある檜皮葺の屋根に朱塗りの本殿は、見るも鮮やかで、それはそれは美しいものです。境内にある樹齢三百年のカゴノキは足の痛みが治るとして、草鞋や草履を供へる習慣があるさうです。集落の裏山には園部最大の規模を持つてゐた戦国時代の蜷川城址(蜷川氏ないし高屋氏)があります。

H16.6.5記

武尾神社本殿

創祀は元亀二年(一五七一)。旧村社。

御祭神は武甕槌命。

高屋に鎮座するも、大戸の氏神である。大戸は水害が多かつたため、古くより氏神を高屋にて奉祀してゐるとの由。

本殿は江戸時代に二度修理されてゐるが、古い部材もよく残り、創建当時の遺構と考へられる。京都府登録文化財。


武尾神社全景

■探訪記

大堰川から少し離れた山麓に鎮座します。神社の裏山は戦国時代の大戸城址(片山氏)です。

船岡・高屋・大戸・越方の村社四社で、川辺四社神幸祭が行なはれてゐます。古くは四社の神輿が大堰川を御旅所まで船で渡御してゐましたが、今は土手の上で相撲や弓の的の奉納などの神事が行なはれてゐます。

H16.6.5記

大神神社本殿

創祀は文明年間(十五世紀後半)。旧村社。

御祭神は天照大神。

裏山の岩が山山麓に観音堂があり、大神神社の神宮寺の菩提山円福寺跡と言はれる。観音堂には観音像と弘法大師が奉られてゐる。


大神神社全景

■探訪記

大戸から大堰川沿ひに続く細い道路を行くと、熊原の集落があります。大戸側から行くと集落の最初に現れるのが大神神社です。山の端の森の中にある境内は、昼間でも暗く、ひんやりとしてゐます。森のどこかで数羽の鶯が鳴いてゐました。隣りには永昌寺がありますが、これは神宮寺の円福寺とは別のものです。平成になつてから対岸の佐切との間に平成橋がかかりました。

H16.6.5記