八幡宮本殿

創祀は天文元年(一五三二)。旧村社。

御祭神は品陀別命。

往古は摩気神社の氏子であつた。摩気神社の分社とも伝へる。


八幡宮全景

■探訪記

大西の集落は本梅川を挟んで川に沿つて東と西に鎮座します。その両方に八幡宮があり、本梅川の東側の以前は大坪と言つた方の八幡宮です。大坪八幡宮とも言ひます。大坪は大坪さんが多い地区で、西側にはこの苗字は一軒もありません。

神社のあたりは護岸工事がしてゐないので、川の風景に風情があります。

H16.6.8記

八幡宮本殿

創祀は天永三年(一一一二)。旧村社。

御祭神は品陀別命。

往古は摩気神社の氏子であつた。摩気神社の分社とも伝へる。


八幡宮全景

■探訪記

こちらは本梅川の西側の以前は西山と言つたところに鎮座する八幡宮です。西山八幡宮とも言ひます。両八幡宮は摩気神社より独立した由来や祈年祭と放生会祭が古式ゆかしく厳修されることも共通してゐますが、創祀は天永三年と言ひますから大坪八幡宮より四百年以上も古いことになります。

本殿は円墳を思はせる小高い丘の上にあります。階段の左右には躑躅が植ゑてあり、とても綺麗です。

H16.6.8記

菅原神社本殿

創祀は正応元年(一二八八)。旧指定村社。

御祭神は菅原道真公。

摩気神社の氏子であつたが、別に奉祀してゐた古天神を宍人の氏神としたものである。古天神の元の鎮座地は四百メートルほど南の現在公民館がある裏山であるが、その後、寛文二年(一六六二)に現在地に再建された。


菅原神社全景

■探訪記

菅原神社は摩気小学校の裏山の中腹に鎮座します。元の古天神があつた裏山には戦国時代の宍人城(小畠氏)址があります。小畠氏の出自は北野天満宮の荘官で、丹波には明智光秀に敗れた土豪が多い中、小畠氏は光秀に帰順して勢力を保ちました。そののち小畠氏は園部藩主小出氏の家臣として一族を存続したやうです。小出氏が入部の際に小畠氏の宍人城にしばらく屋敷を構へたといふ史実もあります。

H16.6.8記

神門

創祀不詳だが、史書に神護景雲四年(七七〇)に神封一戸を給ふとあり、創祀はそれより遡る。延喜式内の名神大社で摩気郷十一ヶ村の総氏神。元府社。

御祭神は大御饌津彦神で、天忍雲根命の尊称。

名神大社とは官国幣社の大社中、年代も古く由緒正しい崇敬の篤い神を選んで特に奉称したもので、延喜式の名神帳には三〇六座が載つてゐる。

承暦二年(一〇七九)には白河天皇が行幸して神事祭礼を復興し、「船井第一摩気大社」の勅額を賜つた。


拝殿・東西摂社

大御饌津彦神(おほみけつのかみ)は農業・食物の神。饌は食物の古語で、神に奉る御食物の意味。摩気は万葉仮名の当て字。「ま」と「み」は通音であり、「まけ」は「みけ」のことで、御饌神社が摩気神社になつた。この周辺の地域名「摩気」は社名に由来し、社名は祭神名から取つた。


全景神園
絵馬舎天津八井の泉

■探訪記

丹波で最も由緒ある神社の一つです。胎金寺山の谷にある神域全体が雰囲気があります。本殿は京都府文化財保護指定建造物、神門は京都府登録文化財、境内全域は京都府環境保全指定地区になつてゐます。北向きの社で丹波北面の社としても有名です。かつては神宮寺の胎金寺があり、神門は山門でもありました。例年六月五日には創祀を記念する「お田植祭」が行はれ、また、祭礼には旧氏地の各神社と関はるものが多くあります。


摩気神社本殿

本殿の裏の谷間には湿原が広がり、胎金寺山には口の天狗杉・奥の天狗杉と呼ばれる樹齢三百年の巨木や滝があります。

摩気神社へ続く道にも古い民家があり、味はひがあります。古代から祝(神主)や神戸(神社に奉仕する家)が置かれてゐたといふ記録がありますが、鳥居前には神戸の家である神田さんが現在も住んでをられます。摩気神社周辺は時代劇のロケ場所に使はれることでも有名です。

H16.6.12記

蛭子神社本殿

創祀は文禄三年(一五九四)。旧村社。

御祭神は八重言代主命。

元は摩気神社の直氏子であつたが、中世に当社を氏神とした。古くは菅原神社とともに摩気神社の分社であつたといふ。摩気神社の神幸祭に参加する神社の一つであり、氏子より選ばれた稚児が御旅所での神事を行なふ。


蛭子神社全景

■探訪記

蛭子はヒルコと読みます。園部川の神崎橋のそばに鎮座します。

仁江は近年まで新江と書きました。新江は新饗に由来し、現仁江と現竹井と併せて新江郷を形成してゐました。

神社の前にあるケヤキは推定樹齢三百年はある奇異な形状をした巨木で、町指定樹木になつてゐます。神社前は広場になつてゐて、地元の人達がゲートボールを楽しんでゐます。


磐座磐座
磐座磐座

蛭子神社の特徴は、岩を祀つてゐることです。神社に磐座があるのは普通のことですが、本殿の裏にある大きな磐座はもとより、境内神社の裏側にもそれぞれ依り代として岩が据ゑられてゐるのには興味を惹かれました。

H16.6.11記

八幡神社本殿

創祀は不明。

御祭神は品陀別命。

摩気神社の御旅所。十月の摩気神社の神幸祭の時には、神輿が本社から蛭子神社に立ち寄り、ここに遷座する。ここで新嘗、角力、直会などを行なひ、神輿が摩気神社に還御される。昭和初期までは、横田の若宮神社からも神輿が渡御してゐた。


八幡神社全景

■探訪記

船阪は園部川と本梅川が合流するところにある集落です。八幡神社は仁江との境の山裾に鎮座します。摩気神社の御旅所で、地元の人は八幡神社ではなく単に御旅所と呼んでゐます。船阪には別に九品寺境内に八幡神社があり、氏神はそちらのやうです。

鳥居から本殿に続く参道の横は地区のグラウンドになつてゐて、訪ねた当日も地元のお年寄りたちがゲートボールに興じてゐました。

H16.6.11記、H18.8.13追記

吉備津神社本殿

創祀は不明だが、宝徳二年(一四五〇)に再建されたといふ記録があるので、それより古いであらう。

御祭神は吉備津彦命。


吉備津神社全景

■探訪記

口人集落の真ん中、石ケ坪谷川沿ひに鎮座します。

鳥居の横にある杉は推定樹齢三百年で、園部では朝倉神社の杉、摩気神社裏山の口の天狗杉に次ぐものです。遠くからでも目印になるこの杉は町指定樹木になつてゐます。

H16.6.11記

春日神社本殿

創祀は文明二年(一四七〇)。

御祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。

往古は薮田神社の氏地であつた。


春日神社全景

■探訪記

口人の集落から離れた殿谷峠下の谷間に春日神社は鎮座します。峠を越えれば、殿谷の集落です。

神社の前には谷川が流れてゐて、朱塗りの両部鳥居の前には小さな石橋があります。

H16.6.12記

稲荷神社本殿

創祀は不明。旧無格社。

御祭神は宇賀魂神。

住古当鎮座地住人西田氏の一族により祀られたと伝へる。


稲荷神社全景

■探訪記

半田川に沿つた口人ハリタ地区の集落の裏山に鎮座します。西田一族によつて祀られてきたとのことですが、お稲荷さんの下の家も西田さんでした。

すぐ近くでトンネル工事が行なはれてゐて、トンネルに入る高架が建設されてゐました。祠の右上に見えてゐる白い構築物がトンネルです。通り雨が降つたので、この高架下でしばし雨宿りをしました。

H16.6.11記

鏡神社本殿

創祀は奈良時代末期の宝亀七年(七七七)。

御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命。

境内神社は若宮神社・春日神社・宇賀神社。

往古は薮田神社の氏地であつた。社前に注連縄で飾られた磐座があり、さらに古くは神が降りた磐座を崇拝してゐたものと言はれる。鏡神社の御正躰は神仏習合時代に由来する大日如来の尊像を鏡に写し鋳造した掛仏で、陰陽両神すなはち日輪・月輪を主神にして祭祀されてゐた。


鏡神社全景

■探訪記

口司の集落から南側の谷を深く入つた山腹に鎮座します。ひんやりとした暗い森の中の静寂に包まれた雰囲気は、一人では行きづらいかもしれません。

境内には磐座の他に、亀の形をした亀石(海亀大)があります。毎年七月十八日の夜には園部では口司にだけ残つてゐる虫送りの神事が行なはれます。

卜霊寺神宮寺と呼ばれてゐた神宮寺の仏名寺は、人里に近いところに今も地域のお寺としてあります。

H16.6.12記