稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

園部町船岡から八木町美里に通じる大堰川西岸の道路脇に、法面に埋め込まれた形で鎮座します。元々は路傍に鎮座してゐたお稲荷さんを道路拡張時に遷したものでせうか。恐らく道路工事の時に、撤去せずにこのやうな形で小祠を残したのでせう。付近に人家はありませんが、お水などは上げられてゐるやうです。お稲荷さんの鎮座する歩道と反対側のガードレールの下には、大堰川が流れてゐます。

H16.11.28記

水の神さん本殿

創祀は不詳。

御祭神は不詳。


水の神さん全景

■探訪記

大堰川の畔に親柱など一部遺構が残る旧越方橋の袂近くに鎮座します(現在は少し離れた場所に越方大橋が架かつてゐます)。「水の神さん」といふ名称は地元の人から伺つたものですが、弁天さんか厳島神社、あるいは龍神様かもしれません。個人で祀られてゐるものといふことですが、歴史的に大堰川と共にあつた船岡の暮らしから生まれた神様には違ひありません。祠の鍵は龍の形をしてゐました。

H16.11.29記

船岡八幡本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。


船岡八幡全景

■探訪記

船岡の町の中で見つけた小祠です。地元の方に伺つたところ、「八幡さん」といふことでした。八幡さんは四つ角近くにあるのですが、少し出たところの通りは八幡通りと言ふさうです。通りの名前になつてゐるぐらゐですから、昔はもう少し大きな神社だつたのかもしれません。祠の背後に井戸があつたので訊いたところ、八幡さんと関係はないとのことでした。

H16.11.30記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

新堂の岡田地区(旧岡田村)の集落の裏山の竹藪の中に鎮座します。府道園部平野線を日吉方面に向かつて左折するとすぐ、集落の前の通りから見上げると鳥居が見えます。同じ山に鎮座する大国玉神社のすぐ東側です。

斜面にある境内は手入れが行き届いてをり、鳥居などの奉納文を読むと主に女性のグループが奉祀されてゐるやうでした。

H17.1.6記

大山祗神社本殿

創祀は天暦三年(九四九)。

御祭神は素盞男命・伊邪那岐命・伊邪那美命。

天慶の乱を起こした藤原純友の弟純索が敗走後湯原村に隠世し、宰玉山神明谷に熊野三所権現を建立した。純索は安和元年(九六八)源頼光に討たれ、村に純索塚が残る。その後宇治の戦ひに敗れた源三位頼政の弟頼一が元暦元年(一一八四)に修復。湊川の戦で敗れた楠正成の弟正末は幼少の尊恒親王を奉じて挙兵するも敗れ、建徳元年(一三七〇)湯原村に来住。建徳二年、湯原村を大河内村と改名した。


大山祗神社全景

■探訪記

園部の景勝地瑠璃渓のある大河内は、中世の敗者と縁の深い村です。大山祇神社は長く田神社として祀られてゐましたが、明治三年に現社名に改名。現在の社殿は応永二十六年(一四一九)に楠氏の子孫の郷士下村義視、田井義高が再建したもので、重文に指定されてゐます。本殿壁面の外陣随神絵板の裏に「応永二十六年十一月八日」の墨書銘があります。

大河内・法京・杉ヶ沢の氏神様です。

H17.2.28記

八幡神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。

南北朝時代の文和三年(一三五四)、郷士の奥村奥兵衛・西井折兵衛・奥村嘉門佐・奥村岸兵衛・奥村佐衛門次郎・中西佐衛門三郎・奥村五郎大郎の七名が再建した。社名は第二次大戦中までは八幡宮と称してゐた。


八幡神社全景

■探訪記

篠山市に通じる国道372線沿ひに鎮座します。兵庫県との境に位置する天引は、宿場として栄えた時代もあつたやうです。古くからの土着の一族である奥村姓の多い村です。

園部町風致林に指定されてゐる境内の杜には、欅・茅・椋・杉などの樹々が茂り、特にこれまで欅とされてゐたのがつい最近椋と確認された大椋は、椋としては日本最大クラスの巨木であるさうです。

H17.3.3記

鹿嶋神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は武甕槌命。

一説に文永五年(一二六八)の創祀と言ひ、常陸を故郷とする地元の土豪たちが鹿島神宮を勧請したものとも言はれる。

境内神社に大川・八坂・八幡・大山祇・稲荷神社。八幡神は本殿建立時に勧請したものである。


鹿嶋神社全景

■探訪記

園部町と大阪府を結ぶ国道477線沿ひ、殿谷峠の入口に鎮座します。道路工事に伴ひ、平成十二年に元の鎮座地のすぐ近くに遷座しました。

神社は真新しく整備されてゐますが、覆屋に保護された本殿は永正六年(一五〇九)に建立されたもので、京都府指定文化財です。その他、安永の燈籠、享保の手水鉢などが残つてゐます。

H17.5.22記

船阪八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。

真言宗鴫尾山九品寺の境内に鎮座する。九品寺は永保年間(一〇一八~八三)に白河院が開山され、船井郡十一郷に及ぶ広大な寺田を寄進された上、第三皇子の覚行法親王を住職と定められた名刹である。神仏習合時代には摩気神社の神宮寺胎金寺を始め、この地域の多くの神社の神宮寺の本寺であつた。昭和六三年(一九八八)には白河院・覚行法親王の八五〇年御忌が厳修された。


船阪八幡宮全景

■探訪記

九品寺の境内に鎮座する船阪の旧村社です。創祀は不詳ですが、明和元年(一七六四)に現在地に遷座し、船阪村の氏神としました。九品寺とは別に直接通じる参道が設けられてゐます。

参道は九品寺大門の右手にあり、登り口に船阪八幡宮の道標があります。観音様を祀る九品寺は船阪観音とも呼ばれますが、八幡宮は竹林の参道を抜けたところに巨大な観音堂と並ぶやうに鎮座します。


九品寺大門

九品寺は弘法大師の開基とも伝へられる古刹で、朝廷の信仰が厚く栄えました。南北朝から戦国の戦乱によつて衰微してゐたのを、元和九年(一六二三)園部藩主小出吉次公が再建しましたが、ほとんどの末寺が地域の神宮寺であつたために神仏分離以後は衰退し、第二次世界大戦後には大門(仁王門)を残して荒廃、無数の寺宝が流出し、その一部はアメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されてゐます。美しい大門は国の重要文化財に指定されてゐます。

H17.5.25記、H18.3.3、8.13追記

吉清稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

明治三十年生まれの清吉といふ人が本宅の鬼門除けとして建てたといふ。創祀は戦前ではないかと思はれる。


吉清稲荷神社全景

■探訪記

黒田の民家の敷地内の裏山山肌に鎮座します。以前通りかかつた時に気づいてゐたのですが、今回許可を得て参拝させて頂きました。このお稲荷さんは故人の清吉さんといふ方が建て、名前を逆にして吉清稲荷と呼ぶやうになつたと清吉さんの娘に当たる方にお伺ひしました。左に見える建物は廃屋になつてゐますが、かつては茶室であつたさうです。「昔の人は風流な趣味を持つてゐた」と仰つてゐました。

H17.5.29記

水の神さん本殿

創祀は不詳。

御祭神は不詳。


水の神さん全景

■探訪記

宍人の本梅川の川岸に鎮座します。水の神さんであると思はれます。由緒や御祭神は不詳ですが、祠の中に平安神宮のカハラケがありました。

全景図は対岸から撮影したもので、真ん中左寄りに小さく見えるのが祠です。

H17.6.25記