琴滝社京丹波町市森 |
創祀は不詳。 御祭神は不詳。 元は瀧見(たなみ)と呼ばれてゐた。市森村は代々亀山藩領で、寛延二年(一七四九)に篠山から亀山に移封された松平紀伊守信岑が、その年にここを訪れ、滝の上端にある岩石によつて水が分かれて落ちる様子が琴の弦に似てゐることから、琴滝と名づけたといふ。
■探訪記 琴滝は観音峠の京丹波町側の山腹にある景勝地で、琴滝社は滝の中ほど右側に鎮座します。写真はライトアップされた夜の琴滝の様子と琴滝社です。 滝のある谷の入口に応永二十三年(一四一六)建立の曹洞宗の名刹玉雲寺があります。玉雲寺は元は琴滝付近にありましたが、天正七年(一五七九)に明智光秀の丹波攻めで焼失し、光秀自身によつて現在地に再建されました。 H18.12.24記 |
丹波の神社 |
水戸稲荷神社京丹波町水戸 |
創祀は正応三年(一二九〇)。 御祭神は倉稲魂命。 摂社は大国主命・八幡宮・事代主命。 承応三年(一二九〇)伏見稲荷より勧請。応永十五年(一四〇八)、社殿を造営。当時は杉森大明神と言はれてゐた。正徳元年(一七一一)に改築。昭和三十九年と昭和四十一年に台風の被害を受ける。 ■探訪記 府道720号線(篠山丹波線)沿ひに流れる須知川の川向かう、錆びた鉄板の橋を渡つたところに鎮座します。水戸・高岡の西階区の氏神様です。大正十年村社稲荷神社の碑がありました。 境内には磐座が祀られてゐます。また、「皇大杉」といふ植林がされてゐましたが、平成の改元を記念したものでせうか。 H19.1.18記 |
丹波の神社 |
八幡宮京丹波町高岡 |
創祀は不詳。 御祭神は応神天皇。 ■探訪記 国道9号線から府道702号篠山京丹波線に入り、竹野小学校を越えて右折すると、谷の奥の集落が鎌倉です。八幡宮は鎌倉の会所の近くの山腹に鎮座します。神社まで案内して頂いた地元のご婦人に伺つたところによると、元々は山本姓と野田姓の八幡講でしたが、現在は鎌倉のお宮さんとして地元に崇敬されてゐるとのでした。鎌倉には葛城神社例祭の曳山(御殿山)があります。 H19.1.21記 |
丹波の神社 |
下村八幡神社京丹波町高岡 |
創祀は不詳。 御祭神は応神天皇。 大正七年、境内の桧を売つて社殿を改築した。昭和五十一年、社殿をトタン葺きとする。 ■探訪記 中心部から府道702号篠山京丹波線に入り、竹野小学校を越えて左折して進み、下村区の会所近くの道沿ひに鎮座します。 高岡村は明治九年に中・下・鎌倉・西階が合併してできた村で、この下村八幡神社はそのうちの下村区の氏神様です。 境内は清浄に掃除されてゐます。本殿の右側に厄神さんがあり、一月に厄除けのお祭を行なひます。 H19.1.29記 |
丹波の神社 |
諏訪神社京丹波町高岡 |
創祀は不詳。 御祭神は建御名方命。 南北朝時代に新田家の家臣として丹波にやつてきた上原氏の子孫が祀る。三月十日に例祭を行なふ。 ■探訪記 下村の山の中腹に鎮座します。山の頂上には中世の上原城(高岡城)址があり、山全体がご神体で、鳥居はなく垣の中に柱が一本立ててあります。上原さんのお一人に伺つたところ、祖霊社ではなく、信州の諏訪大社から勧請した神社で、代々上原氏のご子孫の上原姓と小峰姓がお祀りしてゐて、現在の神主は小峰さんださうです。平成十九年には一族で諏訪大社にお参りする予定とのことでした。 H19.1.31記 |
丹波の神社 |
葛城神社京丹波町口八田 |
創祀は貞観元年(八五九)。 御祭神は一言主命。 承応三年(八五九)、高岡小字平松に鎮座。応安三年(一三七〇)、現在地に遷座。元禄十五年(一七〇二)、現在の社殿に改築。旧村社。 ■探訪記 府道702号篠山京丹波線が府道453号大河内口八田線に別れる付近、須知川の畔に鎮座します。 最近(平成十六年と思はれます)、境内が整備されて、鳥居・狛犬・灯籠や覆屋のトタン屋根などが真新しくなつてゐます。 十月の例祭には笹尾・中畑・辻(以上口八田)・中村・下村・鎌倉(以上高岡)の六地区から六基の曳山が集結します。 H19.2.1記 |
丹波の神社 |
金刀比羅神社京丹波町口八田 |
創祀は不詳。 御祭神は大物主命。 ■探訪記 中畑城址の曲輪跡に鎮座します。 氏子は口八田の中畑区(旧中畑村)です。創祀は不詳ですが、灯籠に文化十四年講中とあるので、それ以前に遡ることは確認できます。 口八田は明治九年に笹尾村・中畑村・辻村が合併してできた村です。北氏の子孫は号を八田と称したので、最近まで口八田は北八田と言はれてゐました。 中畑城址は中世の山城です。丹後国加佐郡志高村の北市の正が承久年間(一二一九~二一)に築き、観音像を安置したのが始まりと伝へられてゐます。その後、近くに大通寺を建立し、観音像はそちらに移されてゐます。 地元では観光客や歴史愛好家向けに城址の案内図を設置して、本丸跡がある山頂まで整備してゐます。まづ民家の間を通つて大手道の城門跡から出発し、山城の遺構を登つて行きます。 曲輪跡には、頂上までの途中に、金刀比羅神社、愛宕神社、秋葉神社の三社が点々と鎮座します。 頂上の本丸跡には開けた場所があり、中畑城址の碑が立つてゐます。急な尾根を登つて行くので、ちよつとした登山気分が味はへます。 口八田からは、府道453号線(大河内口八田線)で中山峠を越えるとすぐに南丹市園部町に入り、府道702号線(篠山丹波線)を行くとすぐに兵庫県篠山市に入ります。
H19.2.5記 |
丹波の神社 |
八幡神社京丹波町富田 |
創祀は不詳。 御祭神は誉田別尊。 ■探訪記 国道27号の切り通しの崖の上に鎮座します。 この辺りは富田の堂山といふ地区で、八幡神社は堂山の人々でお祀りしてゐて、毎月一日と十五日にはお供へをされてゐるさうです。 すぐそばに天理教京華分教会があります。 H19.9.29記 |
丹波の神社 |
春日神社京丹波町下山 |
創祀は不詳。 御祭神は武甕槌命・経津主命・天児屋根命・経津主命・比売神。 明智光秀が奈良の春日社から勧請したと伝へる。 ■探訪記 下山グリーンハイツの東方向にある丸山の山頂に鎮座します。 丸山を登る坂の途中に、立派な鳥居と由緒書があります。そこから木で作られた階段を登ると、途中車で上がれる道があり、その道を横切つてさらに階段を登つて行くと、開けた場所に覆屋に保護された小さな祠が鎮座してゐます。由緒書によると、光秀が勧請したものださうです。 H19.10.2記 |
丹波の神社 |
事比羅神社京丹波町下山 |
創祀は不詳。 御祭神は大物主命。 ■探訪記 下山蕨の毘沙門池畔の丘に鎮座します。元は道路側に表参道がありましたが、現在そこからは入れず、道路から石段が見下ろせます。境内へは毘沙門池の脇からと丘の裏側から細い参道が通じてゐます。 蕨には延暦年間(七八二~八〇六)に鞍馬寺の峰延が開基した大福光寺があり、多宝塔は重要文化財です。また、同じく重要文化財に指定されてゐる江戸中期の入母屋造・茅葺きの渡辺家住宅があります。 H19.10.10記 |
丹波の神社 |
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