金比羅神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大物主命。


金比羅神社参道

■探訪記

下粟野の集落の入口近くの山中に鎮座します。

民家の裏山の山麓に参道口があります。参道口に白木の鳥居があり、鳥居の横に稲荷神社が鎮座してゐます。鳥居を潜つて山道を登ること十数分、山頂の少し開けた場所に金比羅さんのお堂が鎮座します。

H20.4.24記

阿上三所神社本殿

創祀は永徳三年(一三八三)。

御祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊・国常立尊。

旧村社。


阿上三所神社全景

■探訪記

府道51号線を少し左に入り、下粟野公民館の近くに鎮座します。

下粟野村は中世は土豪和智衆三人の一人粟野氏の本拠地で、江戸時代は園部藩領でした。阿上三所神社は下粟野の氏神様で、本庄の阿上三所神社の分社です。

隣りには平成十三年に廃校になつた和知第三小学校(下粟野小学校)跡があります。

H20.4.27記

阿上三所神社本殿

創祀は文和元年(一三五二)。

御祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊・国常立尊。

明治十九年に焼失、同二十四年に再建。旧村社。


阿上三所神社全景

■探訪記

府道51号線の細谷バス停近く、上和知川に架かる赤色の宮下橋を渡つたところに鎮座します。

細谷村は園部藩領で、阿上三所神社は氏神様です。御神体は神仏習合時代のまま仏像三体で、現在の御祭神は明治維新時の神仏分離によつて祀られたものです。

H20.4.30記

山神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は不詳。


山神社全景

■探訪記

府道51号線沿ひ、仏主公民館のすぐそばに鎮座します。地元では山の神さんと呼んでゐます。鳥居は以前はありましたが、今はありません。

長老ヶ岳の北西の山麓一体に広がる広大な村で、旧園部藩領でした。長老ヶ岳にはかつて百寺に近い寺院があつたと伝へられ、焼き討ちにあつて村に仏像が避難したことが村名の由来といふことです。村には地獄穴(龍門ノ洞)といふ鍾乳洞もあります。

H20.5.4記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

府道51号線から少し入つた旧道沿ひの山裾に鎮座します。

覆屋も新しく、鎮座地周辺も綺麗に整備されてゐます。三連の鳥居が並ぶ斜面は芝生のやうです。

H20.5.7記

吉田神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は事代主命・牛頭天王。

牛頭天王を祀る吉田社は延宝四年(一六七六)の勧請だが、事代主命を祀る蛭子堂の創祀は不詳で、吉田社より古いかもしれない。


吉田神社参道

■探訪記

旧道沿ひの曹洞宗東月寺を越えた府道51号線と旧道の合流地点近くに鎮座します。

蛭子堂と吉田社を合祀した神社で、かつては吉田恵比須神社と呼ばれてゐましたが、現在は吉田神社と改められたやうです。

古来より、風雷除と牛馬守護神として崇敬されてきた神社です。境内に籾殻の土俵を設けて神事を行なひます。

H20.5.11記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

府道12号綾部宮島線沿ひの少し盛り上がつた場所に鎮座します。

工場の敷地内に祀られてゐるやうです。石でできた祠で、神社の背が道路側です。

H20.5.15記

大正稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は保食之神。


大正稲荷神社全景

■探訪記

府道12号綾部宮島線から町道に入つた山裾の林の中に鎮座します。

長瀬は大野ダムのすぐ下流にある由良川沿ひの集落で、旧園部藩領でした。

境内には圃場整備や溜池の碑が建つてゐます。

H20.5.21記

山神神社本殿

創祀は弘治元年(一五五五)。

御祭神は大山祇命。

旧村社。享保九年(一七二四)に再建。


山神神社全景

■探訪記

塩谷集落の奥の森の中に鎮座します。

石段の上に山城を思はせる石組があり、その上に社殿が建てられてゐます。

塩谷・長瀬の産土神で、かつては山神大明神と呼ばれてゐました。創祀以前から巨木を祀つてゐたやうです。社殿右に古木がありますが、その御神木であるかどうかはわかりません。

H20.5.26記

阿上三所神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は豊受比賣命・三穗津比賣命・誉田別命。

貞観年間以前は天王山(後方の山)に鎮座してゐたが、徳治元年(一三〇六)現在地に遷座。言ひ伝へによると、崇神天皇の三十九年(前五九年)、豊受比賣命が摂津より丹波にお還りになる時、当地に立ち寄られて五穀の種と蚕をお授けになつたのが創祀といふ。

社殿は天明期に焼失し、現社殿は享和二年(一八〇二)再建のもの。旧郷社。


阿上三所神社全景

■探訪記

府道59号線、和知小学校の近くに鎮座します。

本庄・大倉・中山・小畑の氏神様で、旧郷社です。本庄村は中世和智庄の中心地で、阿上三所神社は和智庄の総社で、四社ある阿上三所神社の総社とされてゐます。厄除けの神様として知られ、二月十九日の十九夜祭では祈祷が行なはれます。

H20.5.29記