祇園稲荷神社京丹波町安栖里 |
創祀は嘉永四年(一八五一)。 御祭神は倉稲魂命・素戔鳴命。 伏見稲荷大社より勧請と伝へる。 ■探訪記 安栖里と坂原との境界付近に鎮座します。幕末創祀の神社です。 京都府神社庁には稲荷神社として届けられてゐますが、地元では祇園さんと呼ばれてゐます。地元の意識としては素戔鳴命が主と捉へられてゐるのかもしれません。 右の鳥居があるのがお稲荷さん、左の鳥居無しで大きい方の社殿が祇園さんです。 H26.12.18記 |
丹波の神社 |
熊野神社京丹波町安栖里 |
創祀は不詳。 御祭神は牛頭天王。 安栖里とは南西の三峠山で接してゐる水呑村(旧瑞穂町)に鎮座する利倉神社(素戔嗚尊=牛頭天王を祀る)を先祖神とする十倉氏の一部が、安栖里に移住してきた時に氏神として勧請した。十倉氏は少なくとも永正年間(一五〇四~二〇)には安栖里に居住してゐることが確認でき、天皇神社の創祀もそれ以前に遡ると思はれる。延宝六年(一六七八)に再建。現在は安栖里区の鎮守となつてゐる。 ■探訪記 JR安栖里駅の南西の斜面に鎮座します。 京都府神社庁には熊野神社として届けられてゐますが、「寺社類集」には天王森社として記録されてをり、地元では今でも天王さん(天皇神社)と呼ばれてゐます。神社は立派な御神木をはじめとする杜に囲まれてゐます。 社地の道を挟んで南の斜面には十倉氏の先祖塚などが祀られてゐます。 H26.12.16記 |
丹波の神社 |
稲荷神社京丹波町角 |
創祀は不詳。 御祭神は倉稲魂命。 ■探訪記 府道59号線からJA和知ライスセンターへと上がつていく手前の小高い丘に鎮座します。地元の崇敬社と思はれますが、綺麗に整備されてをり、周囲の風景と相俟つて、美しい稲荷社です。 社殿のすぐ左脇にも、ごく小さな可愛らしい祠が祀られてゐます。 H26.12.11記 |
丹波の神社 |
八幡宮京丹波町角 |
創祀は不詳。 御祭神は応神天皇。 応永二十八年(一四二一)、下和知の地頭片山氏が八幡宮に田などを寄進した文書が残つてをり、この八幡宮が当社であると考へらる。はつきりしてゐる記録は天和三年(一六八三)の社殿再築で、その後何度か焼失と再建を繰り返し、現在の社殿は安政二年(一八五五)に再建されたもの。昭和三十年の百年祭を期にトタンの覆屋が建築された。 ■探訪記 角は由良川の北岸、府道59号線沿ひの集落で、JR安栖里駅からは和知川橋を渡つて行きます。八幡宮はJA和知ライスセンターの裏手、中集落との境界付近に鎮座します。鳥居前に薬師堂があります。社殿左に弓射場(左写真)があり、九月の例祭、通称ホウデ祭りでは郷八幡講(郷弓者講)と称される講により、弓道大会が行なはれます。時代祭りの弓箭列に講のメンバーから二人が参加するさうです。 H26.12.8記 |
丹波の神社 |
疣水神社京丹波町本庄 |
創祀は不詳。 御祭神は不詳。 ■探訪記 阿上三所神社のすぐ近くに鎮座します。 地元では「いぼ水宮」「いぼ水さん」と呼ばれてゐて、その名の如く疣に効く神様です。御神泉を湧き水を疣に付けると治るとのことです。 H20.6.2記 |
丹波の神社 |
大将軍稲荷神社京丹波町本庄 |
創祀は不詳。 御祭神は倉稲魂命。 ■探訪記 府道59号線沿ひ、京丹波町和知支所(旧和知町役場)の隣りに鎮座します。 扁額には大将軍稲荷大神宮とあり、鮮やかな17連の鳥居が並んでゐます。 H20.6.4記 |
丹波の神社 |
若宮神社京丹波町小畑 |
創祀は延享二年(一七四五)。 御祭神は応神天皇。 ■探訪記 府道59号線から由良川の金比羅橋を渡つて小畑集落に入り、JRの踏切りを超えたところ、龍福寺の手前に鎮座します。 小畑は江戸時代には園部藩領で、氏神様は阿上三所神社です。道を挟んで摂社が鎮座してゐます。 H20.6.8記 |
丹波の神社 |
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