八幡宮本殿

創祀は慶応二年(一八六六)。旧村社。

御祭神は品陀別命。

境内神社は天満宮・鏡神社・八坂神社・大神社・大将軍社・抬多岐神社・琴比羅神社。

八木城主内藤備前守が明智光秀に攻め落されてこの地へ落ち延びた際、その守護神である八幡様を遷したものと伝へる。


八幡宮全景

■探訪記

JR吉富駅横の交差点を西方向(園部方面に向かつて左折)に行きますと、池ノ内地区があります。石垣や土塀、蔵など古い町並が残つてゐて、風情がある集落です。低い峠を越えればすぐ園部町です。

農作業中の地元の方に八幡宮と秋葉神社が同じ秋葉山にあることを教はりました。集落の外れにある天桂寺横の急な石段を登りますと、山の中腹の開けたところに八幡宮は鎮座してゐます。

H16.5.29記

秋葉神社本殿

創祀は天明元年(一七八一)、天桂寺住職契全和尚によつて遠州秋葉権現の分霊を勧請し、同寺の守護神として祀られたものと伝へられる。

御祭神は、愛宕社・秋葉社・金刀比羅社の三社を祀る。


秋葉神社全景

■探訪記

八幡宮の鎮座地のそばに別の鳥居があり、そこからさらに石段を登つて行きますと、ほとんど山頂近くに秋葉神社は鎮座してゐます。境内はとても綺麗にしてあります。絶えることなくお祭が行なはれてゐるやうです。

急な石段は、登りより降りるのに苦労します。ちなみに八幡宮の全景写真は、秋葉神社の石段から撮影したものです。

H16.5.29記

春日神社本殿

創祀は不詳。古老の言によれば約四百年に遡るといふ。旧村社。

御祭神は武甕槌命・経津主命・天津小屋根命・宇津売命。

境内神社に八幡社・大山祗神社・大原神社・松尾神社・天満宮・稲荷神社・忌部神社・若宮神社を奉祀する。


春日神社全景

■探訪記

JR吉富駅そばにある木原地区に春日社と記された燈籠があります。地元の方に尋ねると、神社は少し離れた山中にあるとのこと。教へられた場所に向かひ、鳥居をくぐつてなだらかな上り坂の参道を進みますと、森が段々深くなり、参道に沿つて流れる谷川のせせらぎと葉擦れの音と鳥の声が聞こえる森の奥深くに、石垣と土塀に囲まれた古寂びた神社が現れます。曰く言ひ難い雰囲気のある神域です。

H16.5.29記

荒井神社本殿

創祀は不詳ながら、園部町の摩気神社とともに口丹波地方で最も古い神社の一つと言はれる。旧村社。

御祭神は荒魂神。

式内社の嶋物部神社とする説が有力。

明治維新までは神社に奉仕する神官なく、神田の禅学院の両部僧が神勤してきた。

永禄九年(一五六六)に建立された本殿は京都府登録文化財である。


荒井神社全景

■探訪記

園部町小山東町の春日神社と並んで嶋物部神社と推定される有力候補の神社です。いづれにせよ、物部郷であつたといふことはこの辺りが丹波における大和朝廷の軍事的拠点であつたことを示してゐます。

文覚上人ゆかりの名刹真言宗西光密寺の参道入口に位置します。両部僧が神勤してゐた禅学院も西光密寺の境内にあります。

近くにはメグミルクの巨大な工場があります。

H16.5.29記

八幡神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。

境内神社に水天宮を祀る。


八幡神社全景

■探訪記

大堰川沿ひにある美里の広垣内地区の住宅の裏手にあります。

文政年代奉献による自然石の燈籠があり、江戸時代には遡れる神社であることはたしかですが、個人の屋敷内にある社のやうな感じです。

H16.5.29記

船井神社本殿

慶雲二年(七〇五)に遷宮、祭祀はそれより古くより行なはれてゐた。旧郷社、式内社。

御祭神は、表筒男命・中筒男命・底筒男命・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神大物主神。

付近には「瀛居の社(をこのもり)」といふ塚があり、船井神社前身の住吉神社が鎮座してゐたと伝へられてゐる。保延年間(十二世紀前半)に国司藤原家保が春日神社四座を合祀してより春日神社と称せられてゐたが、明治九年に延喜式内社となり、往古の船井神社に復した。


伝左甚五郎絵馬

平安京が営まれるに際して丹波の森林資源を大堰川で大量に運搬することになり、用材運搬の安全を祈願するために船枝に丹波最初の住吉神が祀られたものだらう。大日本史神祇志には、船居とは船舶の泊まるところで船舶を護る神である、と記す。船井郡の名もこの神社に由来すると言はれてゐる。

遷宮の頃すでに船枝・室橋・諸畑・野条など二百余戸の産土神で二百余丁歩の田地山林を所有し、境内も広大なものであつた。神明帳には船井郡十座の劈頭に載せられ、崇敬者三千余戸あつたといふ。


船井神社全景

■探訪記

船井郡有数の古社の一つです。訪ねた時には千三百年祭の準備で補修工事が行なはれてゐるところでした。天保六年(一八三五)に再建された本殿は大変美しく、左甚五郎作と伝へる絵馬もあります。鳥居左には前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任の腕を祀る腕守社があります。源氏の勢力が強かつた船井郡にはいくつか貞任の身体を祀る場所がありますが、怨霊鎮魂を目的としたものでせう。

H16.5.30記

若宮稲荷神社本殿

由緒は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


若宮稲荷神社全景

■探訪記

府道亀岡園部線に沿つてある室橋の集落の西側の山中、白子谷にあります。竹林に囲まれた小さな神社で、地元の人以外まづ訪れることはないでせう。

同じ白子谷の、さらに上方には金刀比羅神社があるとのことですが、歩けさうな山道もなく、急斜面で足場が悪く危険でしたので、それ以上登ることは断念しました。

H16.5.30記

八幡神社本殿

創祀は天正五年(一五七七)。

御祭神は誉田別命。

往古大洪水があり、この神社は上流の雀部から流れ着いて、御神体のみ雀部へ持ち帰つたと伝へる。


八幡神社全景

■探訪記

吉冨小学校すぐそば、大堰川沿ひにあります。

決して小さくない神社なのですが、鳥羽の氏神様は鳥羽田神社で、この八幡神社は村で祀つてゐる産土神ではないやうです。大堰川上流の雀部から流れ着いた神社をここに祀つたといふ伝承は、川の流れから見て十分現実的に考へられます。

H16.5.30記

鳥羽田神社本殿

創祀は文亀二年(一五〇二)。旧村社。

御祭神は、健御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神。

神田村禅学院の神勤する所であつたが、維新後は鳥羽の村社になつた。大正五、六年まで樒の枝を戸板に乗せて家々を回る正月行事が行なはれてゐた。昔、大晦日の夜に貧しい家の屋根に一本の白羽の矢が立ち、可愛い娘が死んだ。その娘を鎮魂したのが行事の起こりで、矢を射た悪者を退治した英雄がこの神社の御祭神であると伝へる。


鳥羽田神社全景

■探訪記

かつて鳥羽は宿場として栄え、毎年八月一五日に豊田祭と称し、引き山・花屋台・獅子舞・芝居・露店等が出たさうですが、明治三十三年京都鉄道が開通して宿場が消滅するとともに、祭も消滅しました。

裏手に鳥羽田神社一号墳・二号墳の古墳があり、裏山からは無数の古墳や瓦窯跡も出土してゐます。付近には弥生時代の住居跡も出土し、古くから集落があつたことが窺へます。

H16.5.30記

八幡宮本殿

創祀は寛延三年(一七五〇)。旧村社。

御祭神は品陀別命。

境内神社に天満宮・鏡神社・八坂神社・大神社・大将軍社・抬多岐神社・琴比羅神社。


八幡宮全景

■探訪記

玉ノ井の地名は山麓に出水といふ美しい清水が年中湧くところがあつたことに由来します。八幡宮は曹洞宗三澤山延命寺の境内にあり、本堂とお墓の間にある石段を登つたところに鎮座してゐます。延命寺の創建は八幡宮の勧請に先立つ正保二年(一六四五)のことですから、境内鎮守と玉ノ井の氏神様として建てられたものでせう。延命寺は今は無住のお寺のやうでした。

H16.5.30記