八幡宮本殿

由緒は不詳。

御祭神は品陀別命。


八幡宮全景

■探訪記

美里の雀部地区にある小さな祠です。鳥居はありません。実は八幡宮かどうかもわからないのですが、地元のおばあさんが八幡宮と言つてゐました。

八木町の鳥羽に八幡神社があります。ここには大堰川上流の雀部から洪水の時に流れ着いた神社を祀つたといふ伝承があります。この時、雀部の村人は御神体のみ持ち帰つたと言ひます。もしかしたら、この祠はこの伝承の神社かもしれません。

H16.6.6記

野家守神社本殿

創祀は不詳だが、貞享四年(一六八八)に建営したと伝える。

御祭神は素盞鳴命。

境内に厳島神社の市杵島姫命を祀る。


野家守神社全景

■探訪記

大堰川沿ひに山室の集落があります。小さな集落ですが、山室には旅人向けの土地の案内図があり、郷土愛が伝はつてきます。案内図を見て集落の南外れへ行くと、野家守神社は陽当たりの良い山裾に鎮座してゐました。野家守は「やけもり」と読みます。訪ねた時、ちやうど刈つた草を焼いてゐた人がゐて挨拶を交はしました。

H16.6.7記

稲荷神社本殿

由緒は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

元諸木村の御祭神である。


稲荷神社全景

■探訪記

蔭涼寺・泉谷寺の門前の山裾に鎮座します。児童公園の裏の小高い丘にある小さなお稲荷さんです。諸木村とは諸畑集落の東の部分の旧村名です。蔭凉寺には町指定文化財の木喰仏(五躯)が保存されてゐます。

H16.6.7記

大送神社本殿

創祀は和銅元年(七〇八)と伝へる。

御祭神は高皇産霊命。

境内神社に、平野神社・熊野神社・厳島神社・天満宮・八幡神社。

氷所の幡日佐神社との間に神幸の行事が行なはれ、神使乗馬にて往還する祭例神事がある。

毎年一月十七日に太古七つ矢にて大蛇を退治したといふ故事に基づき、老若男女の氏子が綱引きの行事を行なひ、その勝敗によつて米麦の豊凶を占ふ祭事を古式そのままに伝へる。


大送神社全景

■探訪記

八木町有数の古社です。神社の前は広場になつてゐて、安政年間のものである立派な鳥居が参拝者を迎へてくれます。大変風格のある神社です。

大蛇退治の伝説と氷所の幡日佐神社との間に行なはれる神幸の行事で知られてゐます。神幸の行事は夫婦神事と言つて、幡日佐神社が大送神社に嫁入りを懇願し、大送神社から幡日佐神社へ嫁入りの行列が向かふといふものです。

H16.6.7記

幡日佐氷室両神社本殿

創祀は和銅元年(七〇八)。延喜式内社。旧村社。

御祭神は品陀別命・氷室命。

境内神社に若宮神社・栗島神社・稲荷神社。

池辺の里幡谷山より毎夜八琉の幡が氷所の高樹に棚曳き輝いたのを見て、中谷山の地に遷宮したのが由来だといふ。神吉にあつた氷室神社を寛文九年(一六六九)に合祀し、幡日佐氷室両神社となつた。大送神社との間に夫婦神事が行なはれる。


幡日佐氷室両神社全景

■探訪記

八木町有数の古社です。社殿は大正十年に焼失し、同十三年に復元したものですが、非常に壮麗で豪華な建築です。美しく広い境内は心が休まる雰囲気です。氷所一体は勇猛な戦闘集団として知られる阿多隼人の移住地です。氷所では神功皇后の三韓征伐の伝承に基づいて流鏑馬で豊穣を占ふ神事が行なはれます。氷室神社の氷室とはここで氷を作つてゐたことに由来し、御所にも献上してゐました。

H16.6.7記

春本稲荷神社本殿

由緒は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


春本稲荷神社全景

■探訪記

幡日佐氷室両神社に参拝した時に、すくそばに偶然見つけたお稲荷さんです。鳥居などは平成になつてからの稲荷講の寄進が多く、比較的最近祀られた稲荷神社のやうです。祠の横に落雷か何かで折れたと思はれる巨木があり、この木が創祀の由来になつてゐるのかもしれません。

H16.6.7記

大辻神社本殿

創祀は推古天皇十二年(六〇四)。

御祭神は天照大神・月読見尊。

境内神社に住吉神社・稲荷神社。

敏達天皇の子孫滝口武智橘景房が宇津左京や宮原伊織とともに創建した。


大辻神社全景

■探訪記

富本小学校横の青戸橋を超えて水の無い三俣川を南側に渡ると、大辻神社は鎮座します。集落の中心に位置し、境内にはグラウンドや公民館もあります。

世々国司や武将の崇敬が篤く、俊寛や成経も流刑の地においてこの神社を遥拝してゐたさうです。

H16.6.7記

住吉神社本殿

天平六年(七三四)に地震で社殿が破損したと伝へるので、創祀はそれ以前であらう。旧村社。

御祭神は筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后。

境内神社に稲荷神社・八幡神社・大原神社。

応永年中の洪水までは甲胄を身に着けた武者たちを舟に乗せて鹿ノ草にあつた御旅所まで行くといふ、神功皇后の三韓征伐の故事に基づいた祭事があつたが、今は行幸川御旅橋百度使橋の古跡を存するのみとなつてゐる。


住吉神社全景

■探訪記

三俣川と官山川に挟まれた、刑部城のあつた多国山の西側の田んぼの中に鎮座します。すぐ隣りに老人保健施設「ふないの里」があります。この辺りの地域や神社には神功皇后の三韓征伐に纏はる行事が多く、住吉神社にも、上述祭事の他、万延元年に奉納された絵馬「神功皇后と武内宿弥」があります。本殿は室町末期の永禄十年(一五六七)建立の一間社流れ造りの建物で、京都府登録文化財です。

H16.6.7記

久留守神社本殿

創祀は不詳だが、永禄(十六世紀中頃)以前と伝へる。

御祭神は彦火火出見命。

境内神社は熊野神社・天満宮・平野神社・稲荷神社。


久留守神社全景

■探訪記

刑部の集落の南の外れにあります。メグミルクの工場のそばで、田んぼの真ん中に新しくできた道路にはトラックが行き来してゐます。久留守といふ名称の由来は、行基がこの地に来た時に地護神として神社を建て、「久しく留り守るべし」としてつけられたとも伝へます。境内にはかつて神宮寺が建てられてゐましたが、その後廃寺となり、今は残つてゐません。

H16.6.7記

ケヤキ

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

ケヤキの根が岩を抱いてゐる。今はお稲荷さんがあるが、境内の前には古い石の鳥居の柱だけが残つてをり、享保四年(一七一九)八月の字が読み取れる。これはかつて西田の住吉さんの御旅所であつた跡であり、ケヤキの根が抱いてゐる岩こそが神様が毎年鎮座した磐座である。ケヤキは幹周り4.7メートル、高さは20メートル以上はある。お稲荷さんの他に、鬼門除けの神を祀つた祠もある。


稲荷神社全景

■探訪記

大堰橋のすぐそばに鎮座します。石を抱いたケヤキは樹齢五百年とも言はれ、京都の自然二〇〇選にも選ばれてゐます。着物を着た土地のおばあさん(左写真の白い日傘の人)は「子供の頃からこの樹は全然変らない」と言つてゐました。美しく整備された堤は、春には桜が咲き、悠然と流れる大堰川を眺めながらの散歩に適してゐます。ここは明治以降に黒住教会堂が建つてゐた時期もあつたさうです。

H16.6.19記