八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。

公立南丹病院工事用道路のため平成十一年三月に一度解体され、平成十二年二月二十七日屋形を含め再建した。稲荷社と合祀されてゐる。境内に地蔵の祠がある。


八幡宮全景

■探訪記

南丹病院が新病舎を建設したのに伴ひ、八木東IC付近から入れる山の稜線沿ひに新しい道路が作られました。八幡宮も多少移動したらしく、現在は道路脇の崖に張りつくやうに鎮座してゐます。道路の下は田んぼで、山と道路に挟まれた畦の突き当たりに鳥居と石段があり、登つたところが境内です。道路からも直接境内に入れます。八幡宮と稲荷社は嵯峨野線車内や国道9号線から見えます。

H16.6.21記

春日神社本殿

創祀は承平五年(九三五)。旧村社。

御祭神は経津主命・健御雷命・天児屋根命・狭依毘売命。

境内神社は八幡宮・天満宮・稲荷社・厳島神社・岩神社・塞神社・藤原社。

宮領地御支配役であつた藤原重房が大和春日大社より御分霊を勧請したのが始まり。ゆゑに藤原氏の氏神として春日四神を迎へ創祀した。維新までは八木嶋(志麻)及び千代川村・宮前村の一部を含む氏神であつた。


天満宮八幡社
稲荷社岩神社

八幡社は元三社と称し、皇大神宮・西宮社・厳島神社を祭祀してゐたが、明治の頃厳島神社を分祀し、新たに八木鹿草より住吉神社、垣内より八幡宮を合祀し現八幡宮となる。天満宮は、当社の西方城山(丹波守護代内藤氏居城の八木城址)の中腹に天神の森(庭)があり、ここに天神社が祭祀されてゐたのであるが、八木城落城の際に遷宮されたと伝へる。今もその地は聖地とされてゐる。塞神社は元八木小学校北東部にあつた。八木村の境界がこの辺りであつたと推定できる。


春日神社全景

■探訪記

京都縦貫自動車道の下にあります。藤原氏の勢力が強かつた名残りでこの辺りには春日神社が多いのですが、その中心的な神社です。かつてはこの近隣一体の氏神として、広大な境内を持つた神社だつたやうです。今でもかなり立派な神社で、神主さんもいらつしやるやうです。境内の池には鯉がゐて、近づくと集まつてきます。神仏習合時代に大坂山勝福寺の神宮寺となり、大坂山大明神と称してゐました。

H16.6.21記

白玉稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。

約四百年前の天正時代、八木城に祀られてゐたのが遷し祀られたもののやうである。八木城から現龍興寺の傍に遷し、神仏分離によつて明治二十二年横町に遷し祀り、大正二年大堰川の堤防改修により現在地に遷した。その後昭和二十八年の大洪水に襲はれて殿舎境内地ことごとく損ひ、翌二十九年に元通り修復、昭和四十三年本町三・四丁目の老人クラブの人達が殿舎の屋根や参道を修繕した。


白玉稲荷神社全景

■探訪記

本町四丁目の大堰橋の下流二百メートルの堤を川の反対側に降りたところに鎮座します。春秋二回喜楽会仲間によりお祭りを行つてゐるさうです。

八木町は老人クラブの活動が盛んな地域で、白玉稲荷神社の修復・維持も老人クラブの功績であるやうです。老人クラブの皆さんは美しい大堰川堤の景観保全・清掃なども行なつてをられます。

H16.6.21記

八幡神社本殿

創祀は昭和二十五年(一九五〇)。

御祭神は応神天皇。

昭和二十五年に日吉町字志和賀にあつた八幡神社を勧請した。昭和二十七年五月社殿鞘堂を新築す。


ケヤキ

■探訪記

北屋賀の町中、安楽寺の向かひにあります。隣りはコンビニです。

鳥居横にはケヤキの巨木があり、境内には紫陽花が咲いてゐました。

この付近はかつて国府の官衛があつたと言はれてゐる場所です。

H16.6.21記

宗神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は天児屋根命。

境内神社は三輪大神神社。

丹波国府の所在地であつたとされてをり、代々国司の崇敬篤く、丹波少将成経は馬鞍や宝石などを寄進してゐる。毎年旧暦七月十六日は、国府記念日として大松明を献じたといふ。現在は八月十六日に放生会として色々な催し物が行なはれる。北面神社としても知られる。


宗神社参道

■探訪記

屋賀は国府があつたところと言はれてゐます(千代川説もあり)。宗神社は千代川町湯井の松尾神社と並んで、丹波国の総社であつた可能性もある神社です。所在が不明になつてゐる式内社の三県(ミアカタノ)神社に比定されてゐる古社です。

背後を竹やぶに囲まれ、鳥居から社殿への参道は並木道になつてゐます。鳥居の前には消防と公園があります。

H16.6.22記

住吉神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は、表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后。

境内神社は熊野神社・春日神社・八幡神社・稲荷神社。

明治維新までは熊野権現を奉祀してゐたが、明治六年四月に刑部村より住吉神社を奉遷して祀つた。観音寺の地名の由来である観世音菩薩を祀る観音堂をそのまま社務所としてゐる。


住吉神社全景

■探訪記

鳥居をくぐり、竹やぶの中の参道を抜け、石階を登つたところに鎮座します。裏山の中腹にある境内は鬱蒼とした杉の大木に囲まれてゐます。裏山には住吉神社裏山古墳群があります。神社の前には臨済宗妙心寺派の興禅寺があり、住吉神社社務所の観音堂はこの興禅寺の施設であるやうです。ちなみに興禅寺には境内鎮守として弁財天が祀られてゐました。

H16.6.22記

無名社本殿

創祀は不詳。

御祭神は不詳。


無名社全景

■探訪記

住吉神社の鎮座する裏山の山裾を観音寺から西田に回つて行くと、住宅地の道の角に鎮座します。神社名・由緒・御祭神などは全くわかりません。祠は石膏を固めたやうな材質で造られてゐました。ごく最近のもののやうです。

H16.6.22記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

西田城のあつた南山(金比羅山)の麓、金刀比羅神社へ登る山道口に鎮座します。ここが西田城の正面の入口に相当するやうです。お稲荷さんの隣りにお堂がありました。

H16.6.22記

金刀比羅神社本殿

創祀は天保九年(一八三九)。

御祭神は大物主命。

南山(通称金比羅山)の頂上にあつた西田城の本丸跡に鎮座する。本丸跡は2メートルほど石積みによつて高く、正面に石の階段があり、後世に金刀比羅神社を祀つた時のものと推定されるが、階段左右の野面積みの石積みは築城当時の貴重な遺構。金刀比羅神社参道口には旧城時代の家臣団の集住跡や、前面の堀の名残りがある。彫刻として三匹の猿を踏む木製の毘沙門天像がある。


金刀比羅神社全景

■探訪記

南山の頂上に鎮座します。南山は西田城の城跡で、稲荷神社のある参道口から南山を登つて行くのですが、頂上は開けた広場になつてゐて、非常に清々しい空間です。頂上の金刀比羅神社の鎮座する場所が西田城の本丸跡です。西田城の年代や城主などについては不詳といふことです。現代風の建物の社務所はまだ新しく、一般民家のやうです。

H16.6.23記

八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇。


御神木

■探訪記

北廣瀬の一般のお屋敷の前に鎮座します。

境内の本殿の裏に注連縄をめぐらせた御神木があります。樹齢五百年以上、周囲約7メートル余、高さ12メートルほど、地上2メートル余りで幹が二つに分岐し、根元にうろがある鹿子の木です。八木町では太さ第一番の巨木ださうです。昔はこのうろに神饌を供へたと伝へられてゐます。

H16.6.23記