岡神社本殿

創祀は不詳。旧村社。

御祭神は事代主命。

境内神社は春日神社・住吉神社・厳島神社。

中将姫の信仰篤く、同姫製作と伝へる蓮糸紙十六善神絵像が現存する。弘安四年七月の元冠襲来に当たり、村人一週間に亘つて来敵殲滅祈願をし絵像を奉祀し寺僧に大般若経の読経を願つて悪疫予防・国敵退治の祈祷を行つたところ、八月朔日、大風来襲して敵船全滅した故実に従ひ、八月一日に神祭を執行する。江戸時代は大将軍大明神と呼ばれてゐた。


岡神社全景

■探訪記

中世に広瀬城(広瀬氏)のあつた宮山の麓に鎮座します。南北両広瀬村の氏神です。亀山藩・山家藩の信仰篤く、社頭の鳥居は山家藩の寄進です。鎌倉時代作と鑑定される十六善神像を祀り、七月二十一日には夏祈祷と称して悪疫封じ・延命祈願の祈祷をしてきました。爾来氏子には長寿の人が多いと言はれてゐます。

H16.6.23記

厳島神社本殿

創祀は不祥。

御祭神は市杵嶋姫命。

境内神社はいくつかあつたが、詳細はわからない。


厳島神社全景

■探訪記

岡神社の横で地元の親切な方に厳島神社の場所を教へてもらひました。北廣瀬の東の外れ、家がなくなつたところから宮山を少し入つたところに鎮座します。鳥居から森の中の参道を行くと石段があり、それを登つたところに本殿と境内神社と、かなり古い社務所があります。静寂の中、鳥たちの鳴き声が響く境内でした。

H16.6.23記

八幡神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。

境内神社は白山神社・天満宮・稲荷神社。


八幡神社全景

■探訪記

府道亀岡園部線に沿つてある池上の集落から筏森山の方に入り、その山麓にあります。周囲は田んぼばかりで、人家はありません。間違つて近くの谷に入り、草刈機を使つて作業をしてゐた人に八幡神社の場所を教はりました。森の中にありますが、参道の奥行きはなく、道から本殿まですぐです。本殿の前に注連縄をめぐらせた蛇のやうに捩れた御神木がありました。

H16.6.23記

八幡宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は誉田別命。

境内神社は小宮一社あり、石造春日作り灯籠には宝暦十二年八月(一七六二)の刻銘あり、また石造鳥居には天保十一年八月(一八四〇)とある。


八幡宮全景

■探訪記

府道亀岡園部線に沿つてある野条の集落の北の外れの山麓に鎮座します。鬱蒼たる森に囲まれ、一歩鳥居をくぐると昼なほ暗い境内は異空間です。

隣りにオレンジ色の煉瓦造りの洋館があります。エントランスから都会風で、山の中にあるとは思へない意想外の洋館です。

H16.6.23記

妙見宮本殿

創祀は不詳。

御祭神は妙見様。


妙見宮全景

■探訪記

諸畑は諸木村と畑中村が合併してできた集落です。妙見宮は旧畑中の公民館(現後町集会所)横の藪の中に鎮座します。ここは仏教系の妙見宗の末寺ではなく、昔ながらの妙見宮であるやうです。旧畑中村は木喰上人が文化三年(一八〇六)に訪れて二十八躯の仏像を彫つたことで知られてゐます。そのうちの二十二躯(町指定文化財)が村北端の清源寺にあります。

H16.6.23記

八幡宮本殿

創祀は天正六年(一五七九)。

御祭神は誉田別命。境内社に厄神社(素戔鳥尊、大己貴命)。

西方約三百メートルにかけて小字天王ヶ谷と称し、元の鎮座地と言ふ。ここには昔、天王様といふ社が鎮座し、園部藩主小出侯の参拝や相撲の奉納等があり、賑はつたといふ。天王様とは境内社に祀られてゐる素戔鳥尊のことであらう。八幡宮と天王ヶ谷との間に前方後円墳うさの古墳があり、その一部は削られて地元の墓地になつてゐる。旧村社。


八幡宮参道口

■探訪記

国道9号線沿ひのガソリンスタンドの横から畦道に入り、JRの線路を越えて(踏切りはないので要注意)、山中に数百メートル入つたところに鎮座します。後方の腹が谷(原ヶ谷)は、天正七年(一五七九)に八木城の内藤国貞が城を明智光秀に攻め落とされて園部町の徳雲寺へ逃げる途中に切腹した場所で、その付近にある巨石が今でも時々唸ると伝へます。徳雲寺には国貞以下重臣の墓があります。

H16.12.19記

八幡神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は応神天皇・神功皇后・竹内宿禰。

建久年間に山城国の梅ヶ畑村より勧請されたと伝へる。延宝六年以後(一六七八)は神吉下村の神護寺末の氷室山阿祇園寺の守護社となつたが、神仏分離により現在の形となつた。境内社は、大神宮・蛭児社・武内臣社・氷室社・天満宮・稲荷社・大原社・熊野社・若官八幡社・聖宮(聖宮は当村を開墾したつんぼの神様を祀る)の十社。社殿は江戸中期再建のもの。都の乾三八幡宮の一つ。


八幡神社全景

■探訪記

神吉は八木町東部の山間にある集落です。明治七年(一八七四)に神吉上村・神吉和田村・神吉下村の三村が合併して北桑田郡神吉村になり、昭和三十年に船井郡八木町に編入されました。八幡神社は神吉下村の山麓に鎮座します。神仏習合時代には近くの阿祇園寺が管理してゐました。かつては広い社域に拝殿・供御所・丁屋以下多数の建物があり、八月の祭礼には流鏑馬や能楽の奉納もあつたさうです。

H17.1.14記

八幡神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は、大山咋命・国常立尊・天忍穂命・伊弊諾尊・瓊瓊杵尊・国狭槌尊・煌根尊。

境内社は、事代主命社・熊野社・八幡宮社・大神宮社・春日社。

近江国の日吉大社を勧請し、祀つた。現本殿は寛保二年(一七四二)に再建されたもの。神鐘・灯籠は貞享・元禄・宝永・明和・天明・寛政年中にそれぞれ寄進された刻銘がある。


八幡神社全景

■探訪記

神吉小学校の右隣りに鎮座します。現鎮座地は下村ですが、神吉上村の氏神様です。上村に下村のための中の池を作つたために、そこに鎮座してゐた日吉神社の代地として現鎮座地に遷座したと伝へます。以前は禰宜家と言つて二十五軒の宮座組織が交代で神主を奉仕してゐましたが、現在は氏子全員で宮役を務めてゐます。境内には口丹波一とも言はれる大杉が聳えてゐます(左写真の杉)。

H17.1.16記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

神吉下村の府道477号線沿ひの千歳川の畔、民家のそばに鎮座します。

稲内さんといふ家が数軒ある地区で、個人(ないし稲内株内)で祀られてゐるやうでした。覆屋も自前で建てられてゐるやうな建物でした。

H17.1.17記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

府道50号線(愛宕殿田線)沿ひ、神吉上村の南側の龍王ヶ岳に連なる丘の頂上に鎮座します。神吉上区公民館の向かひ側です。

参道の登り口に中の池といふ小さな溜池があり、そこから丘の上へ竹薮の中を登つて行きます。途中に不動明王と寿老人らしき石像が祀られてゐました。境内は整備されてゐて、社務所などもあり、上村の崇敬社と思はれます。

H17.1.18記