春日神社本殿

創祀は元亀二年(一五七一)。旧村社。

御祭神は天児屋根命。

八木嶋の春日神社は八木の春日神社から天児屋根命を分霊し、遷し祀つた。元は八木嶋森の口ノ宮に鎮座してゐたのを、天文元年(一五三二)に建立された久昌寺に近い坊ノ谷に、元亀二年(一五七一)、神仏混合の考へに基づいて遷座した。

本殿は府指定文化財。

旧八木嶋・大藪両村の氏神。


春日神社全景

■探訪記

八木嶋の坊ノ谷に鎮座します。坊ノ谷には朝倉明神を祀る宮寺が営まれてゐましたが、文亀二年(一五〇二)に口ノ宮から春日神社を合祀しました。その後、宮寺は廃絶して久昌寺が建立され、久昌寺と春日神社が村の寺と氏神になつたといふことのやうです。文亀二年は合祀の年で、元亀二年は朝倉明神の廃絶とともに春日神社が正式に氏神になつた年といふことでせう。鳥居には寛政十年とありました。

H18.8.7記

三輪神社本殿

創祀は承応三年(一六五四)。旧村社。

御祭神は大物主命。

春日神社の氏地であつたが、承応年間(一六五二~五四)に隣村八木嶋村との間に山論があり、柴山村は春日の氏子を脱した。この時、氏神として三輪神社を勧請したものと思はれる。

境内には、凶作と悪疫で村人が困窮するのを見かねて私財を投げ打ち、さらに宝暦五年(一七五五)十二月二十九日、領主に嘆願書を認めて五十四歳で自害した庄屋八木利右衛門義永を祀る柴興神がある。


三輪神社全景

■探訪記

柴山の集落から少し離れた山麓に鎮座します。京都府立丹波養護学校のすぐそばです。元は集落に接して鎮座してゐましたが、昭和三十五年の山津波で境内が流されたのを、村人の努力で復興し、現在地に再建しました。柴興神は現在地に移されたかどうかはわかりませんが、利右衛門の義挙に深く感動した領主が十年間毎年三十石を柴山村に下され、村が甦生したといふ言ひ伝へがあります。

H18.8.15記

山神神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大山祇命。


山神神社全景

■探訪記

室橋の美津谷川といふ谷川を遡つた美津谷といふ谷の山中に鎮座します。室橋の氏神様です。

谷川の石橋を渡ると鳥居があり、扁額には「山の神社」とあります。地元では昔から「山の神さん」と呼んでゐます。境内には明治四十一年の石標がありました。

H20.7.7記

金刀比羅神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大物主命。


金刀比羅神社参道

■探訪記

木喰物で知られる清源寺の近くの西山中腹に鎮座します。

諸畑は畑中村と諸木村が合併してできた村で、金刀比羅神社は旧畑中村の村社です。左側の小さい祠が金刀比羅さんで、右の祠には愛宕さんとお稲荷さんが祀られてゐます。昭和初期までは境内に講社十二戸の籠堂があつたさうです。境内に地元の明田氏が寄進した天保期の手水鉢があります。

H20.7.16記

熊野神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は熊野大権現(家津美御子大神)。


熊野神社全景

■探訪記

諸畑の大谷池に流れ込む小川を溯つたところ、人家の途切れる山中に鎮座します。

かなり古い木製の扁額に熊野大権現とありました。同じ場所に薬師堂や諸畑の明田一族の墓所などがあります。熊野神社も明田一族の崇敬社ではないかと思はれます。

H20.7.24記

稲荷神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は倉稲魂命。


稲荷神社全景

■探訪記

大堰川北岸の道路沿ひに鎮座します。亀岡市馬路町との境界付近です。

民家の裏(隣り)にあり、谷尻さんといふ家が祀つてをられるやうです。

H20.7.27記

金刀比羅神社本殿

創祀は不詳。

御祭神は大物主命。


金刀比羅神社全景

■探訪記

府道25号亀岡園部線に沿つてある室橋の集落の西側の山中、白子谷に鎮座します。祠には愛宕・秋葉神社が合祀されてゐます。祠の中には狐が置かれてゐるので、お稲荷さんも祀られてゐるのかもしれません。周辺には天保六年(一八三五)の手水鉢があります。少し下に若宮稲荷神社が鎮座してゐます。

H21.2.27記