丹波の里は、四方を山に囲まれた、農地の少ない土地柄です。専業農家は少なく、半農半林業の家庭が多かった。我が家も同様、父は農業のかたわら、木材の伐採を主に山に入った。大戦後の復興期、建築材として需要も多く、盛んに木材の伐採が進んだ。次々と四方の山が裸山に変わっていった。裸山はすぐに植林され、炊木用の雑木林も、杉や檜の苗木が植えられ変わっていった。
夏休みや冬休みに入ると、よく山に連れて行かれたものだ。杉や檜の樹皮をはぎとるのが子供達の仕事。樹皮は屋根葺きの材料になるのです。杉や檜、松は樹脂が多く、手や服に付くとなかなかとれない。“やに”の付いた手を友達に見られ恥ずかしい思いをしたものです。
その後国産建築材は、輸入材に押され需要が減っている。杉や檜の花粉が、花粉症の元凶になっているのは、さびしい限りです。
更新日 平成21年11月11日
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