園部川は、元は園部大橋上流からほぼ今の国道9号線沿いに東へ流れていた。しかし、園部藩の経済活動を支える城下町を拡大する際に川の付け替え工事が行われ、現在の様な弓状に北へ迂回させるコースになって家並みも枡形になった。
工事では、堤防には多くの巨石を敷き詰め、堤上には竹や樹木を植えて堤防を補強した。この堤防を、藩主吉親公の号から「意閑堤(いかんつつみ)」と呼ぶようになる。大橋の南詰に生身天満宮神輿渡御の御旅所があり、町の守護神である稲荷神社が祭られている。
対岸の「石川楼」はかつては“楽志亭”と呼ばれ、代々の園部城主が舟遊びをした場所である。また、大橋上流の半田川と園部川が合流する地点には、「運上(うじょう)」と呼ぶ船着場があった。水量豊富な園部川は江戸時代を通じて水運に利用され、年貢米などを積んだ船がここで陸揚げされた。この運上には汲水口があり、そこから取り入れた水は城下町の道の両側を流れ、町の隅々まで潤す役目を担っていた。
10年ばかり前までは、大橋から祇園行きの京都バスが運行されていたが、現在は廃止されている。
更新日 平成22年6月18日
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