山里の農家は、たいていが農業と林業の兼業だった。どの家庭でも、男親は山仕事が主力である。終戦後の復興期には材木が必要だった。山深い場所で伐採した杉や桧を、木馬(きんま)に乗せて下まで運ぶ。過酷な作業は、油断をすれば大事故につながる。細い桟橋の上をまるで軽業師のように歩く父親を、子供らは尊敬の眼差しで見守っていたものだ。やがて外材に押されて、材木は売れなくなる。手入れが行き届かなくなった山は荒れ、花粉症の元凶にもなっている。壊れた桟橋の残骸は雑草に被われて人の目に触れることもないが、内材の利用が増え古里に生き返ってほしい。
更新日 平成20年4月7日
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