薬売りと言っても振り売りするのではなく「置き薬」屋さんで、赤い薬箱に各戸に合わせて必要な薬を置いておき、次回の訪問時にその使用分を清算し、また新しい薬と入れ替えをする。我が家は廣貫堂と言いましたね。
なんでも、富山では農家で田植え時期だけ土地にいてあとは家族にまかせ、各地の得意先を訪問する生活だったようです。日々旅の暮らしで、我が家も時に宿を貸すこともありました。近郷の村々も廻るので、時に婿さがし・嫁さがしを依頼されそのキューピッド役をする、村々には重要な存在でもありました。
旅の楽しい話題。薬屋さんのあの何段にも積み重ねられた柳行李。だら助、ケロリン、傷薬、神薬、六神丸、万金膏、色とりどりの薬が一杯、オモチャ箱のような感覚で見ていましたし、何より小さく折りたたんだ薬の宣伝入りの“紙ふうせん”これが一番の楽しみでした。
更新日 平成22年9月19日
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