南丹生活

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第61回 送辞指導

 卒業式を控えて、国語科には答辞と送辞の指導が依頼される。赴任して、それも4、5ヶ月と言うのに、早速送辞が当たった。随分責任を感じたのだろう。2月24日の日記に、指導案らしいメモがある。

 「この天地に陽光が輝いています。去年の落葉の下には、もう命にはち切れそうな新芽が準備されています。社会を底から盛り上げる力として、今日巣立たれる皆様方の抱負はいかばかりでしょう。私達在校生はただただお喜び申し上げるばかりでございます。皆様の聡明さと溢れる若さを、社会は諸手を挙げて歓迎することでしょう。古いもの、みにくいものに同化されないで下さい。

 停滞した社会に一筋の清冷の気をお流し下さい。『過去は過去として死なしめよ』精いっぱい忠実な1日を終わられ、ほっと安息の世界に入られる時のみ、母校はこよなき命の泉となることでしょう。」などと、繋がりにくいフレーズがメモ風に記してある。

 読み手は2年生の男子生徒であったが、彼の文章はしっかりしていて魅力的だったようだ。私のこのメモ書はどのように役に立ったのかは覚えていない。読み方も堂々としていて申し分なく、感動を呼んだ。

 式が終るや、数学のN先生が、「送辞、あんたの指導やったんか。良かったなぁ。」と、わざわざ言いに来て下さり、若手の生物のN先生、食物のN子先生まで感動を伝えてくれた。

 そして新任の私は持ち上げられていい気分だったのだが、肝心の読み手は誰だったのだろう。第6回卒業生名簿を繰って、たしか「西」が付く姓だったなあ。と捜すのだが50年前のこと、雲の中を手さぐりしているようなものだ。

 同じ2年生の学年にお菓子屋の息子Y君が居たことを思い出し、亀岡に電話した。声は昔のままのY君と私は、すぐに17歳と23歳になって喋った。

 残念なことにY君は、大学の受験日で東京に行っていて、卒業式は出なかったので、その名を覚えていないという。

  • 蜜味の栗菓子食べつつさぐる過去わたしの花は真盛りだった

更新日 平成23年8月25日

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第62回 千のこころ

 T.Iさんは園部高校の第8回卒業生、真面目で一途な生徒だった。平成10年頃のガレリオ亀岡での「あすなろ会」にも常連。先日、『千のこころ』という珠玉のような歌集を送ってくれた。あとがきに、「千妻(せんづま)に生まれ、千代川町を終(つい)の住家とし、主人の戒名が千智院、そしてわたくしに生前賜った戒名が千慈院。千との縁(えにし)深く」と題名の由来が記されている。

 平成11年には、創立された園部第2小学校の校歌にも応募、入選して、この12年を唱い継がれているという。土地に根付いて文学を追い求めてきた人だ。園部町文化教室や、如月短歌会に所属しているらしい。

 73歳の今も私の生徒でいてくれる優しい律儀な人柄で、「あすなろ会」の頃、揃ってわが郡山市の城まつりの花を見に来てくれ、藍染体験で染めた思い出の歌もちゃんとある。

  • 手創りの藍染ショール彩冴えて吾が宝物ひとつ増えたり

 さらに特記したいのは、安森敏彦が選者の、第1回介護百人一種に、優秀賞で入選した。

  • 呆けゆく母を叱りて立つ夫のしづ心なき母恋ひのこゑ

 制服にあどけない顔で、皆一様であった高校の教室の顔々も、50数年間に、それぞれの生き方が鮮やかになり、そろそろ終着点も近付こうとしている。T.Iさんでしかあり得なかった生き様に、深く心を打たれる1冊であった。

  • 蔵の中夭逝の子を探す母 痴呆というはあまりに哀し
  • 病む夫に「お前が神様」と拝まれてとうとう神になってしまった
  • お前誰?わたしあなたのお嫁さん「そうか」「そうや」と続く問答
  • 青蚊帳の中で逆立ちせしことも蛍はなちしこともまぼろし
  • 宅急便で届きし西瓜ポンポンと叩けば姉の声の聞こゆる
  • 乱れ髪フェリー着くとき手で梳いて伊予から安芸の旅人となる

更新日 平成23年9月10日

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第63回 真夏に煌めくガラスたち

 「真夏に煌めくガラスたち」という案内が届いた。とんぼ玉。ガラス工芸作品展が、亀岡のガレリアである。「あすなろの会」で何回も通(かよ)った場所である。

 太陽の煌めく8月2日の初日に行った。昨秋以来の保津峡を越える。トンネルの暗さを四つ抜ける。抜けるたびに保津の急流が真下に煌めく。過去のトンネルは七つだったと思うが、上下に複線化されて数が減っていた。水の煌めきが、これから見るガラスの煌めきへと誘(いざな)う。

 若い時代の同僚が、今はガラスに魅せられ、特にとんぼ玉に夢中である。馬堀に篠瑠璃という工房があって、四季の保津峡の景とともに、作品を作る難しさを溜息まじりに知らせてくれる。そこに学ぶ26名が、ひとり30センチ四方ぐらいのスペースで、それぞれの意匠を工夫して、とんぼ玉を並べてあった。

 学んだ年数によって巧拙もあるのだろうが、素人の私には全く区別が付かない。口に放り込みたい飴玉のようなものから、楕円筒形の帯留風のものもあるが、どれも製作者の個性があふれた色彩と模様である。拡大鏡で覗き込みたい複雑な胸像模様のものなど、どのように作るのだろう。一玉一玉が宝石そのものである。

 ビデオで製作の実演が放映されている。右手に材料になる細いガラス棒を持ち、バーナーで溶かしながら、左手の芯棒に巻き付けてゆく。地になるガラスは、コテで成形したり均したりして望む形にするようであるが、その上に均等に花柄などの模様を入れるのは、至難の技である。何しろどろどろ溶けるのがガラスであるから、冷まし加減が大変なのも分かる。

 「やってみたいですか?」「はい、勿論。だけどもう少うし若くないのが残念です。」「体験学習もありますよ。」と顔を覗き込んでくれた。園部高校第8回卒業生の二人も誘って見に来た。彼女らは私より9歳下なのだが、やはり作りたくもためらいは同じ様子。

 とんぼ玉の起源は古く、約3500年前の古代メソポタミアとも言われ、交易や文化交流を経て世界の隅々に広がり、その時代の美意識や民族の嗜好を反映、様々な文様や技法が作り出されたと言う。日本にも弥生時代から古墳時代に伝わり、江戸時代中期に、とんぼ玉の呼称が一般化した。トンボの複眼に似ているかららしい。

 帰りの保津峡は暮れ色の深みを増し、23歳に通勤した頃の憂鬱を思い起こさせた。

  • 驚嘆の目玉くるくる動かす癖「ミストンボ」と笑ひし同僚ありき
  • とんぼ玉のやうに光れる咽喉仏 あぢさゐの花分けて現はる
  • 清らかな真白(ましろ)の玉三つ金鎖に繋ぎし飾り友より貰ふ

更新日 平成23年9月25日

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第64回 額髪吹き分けられて

 昨夏の八桜会(園部高校第8回卒業生同窓会)の折、小柄で活発な女性が寄って来て、「E.Tです。私、先生の顧問だった文芸クラブにいたのですよ。」と言い、分厚い『関西文学』という雑誌を手渡してくれた。兵庫ブロックとか、京都ブロックとかの合評会もある、大きな組織の団体のようだった。小説、詩、評論、座談会と多彩な内容で活動している様子。

 E.Tさんも「埋み火」という短編小説を載せていた。それともう1冊『紡夢』(ぼうむ)という同人誌も渡された。6号とあり、これは彼女が中心に編集している雑誌、帰ってゆっくり読ませてもらった。E.Tさんが「文芸クラブにいたのです」と言った言葉をたどり、朧ろげにその頃の顔が重なってきた。アルバムの心当たりの写真はすぐ見付かった。

 昭和30年3月28日、文芸クラブの送別会の写真で、テニスコートの後ろだろうか、温室のような三角屋根の、傷んだ建物が見える。倉庫かもしれない。前に芝生があって、座っている4人が卒業生、後ろに立て膝の4人は1年生、一番後ろの2年生の真ん中に私は笑っている。

 その左側に立っているのがE.Tさんだ。少し癖毛のようで、ふんわりして、広い額に短い前髪が掛かっている。小柄で可愛く笑っている。あの頃もぴちぴち元気な子だった。

 それにしても、短歌や詩とは異なる小説。登場人物の設定から筋の展開、心理や風景描写も詳細でなければならない。いい加減にごまかすことは許されぬ。よっぽど文学好きでなければ続かないはずだ。

 今年(平成23年)の7月にも、『紡夢』第7号を送ってくれた。「柔らかい魂」という短編小説を最後に載せている。ミツル君という多動児を2年間世話する男性教員の体験を通して書かれたものだ。

 トイレに行ったミツル君が居なくなる。学校中大騒動になり、手分けして捜す。田んぼの中で裸になって遊んでいるのを発見する。彼は、「緑の稲やぬるんだ水や土、風と空を一体化した命がきらきら輝いているみたいだ。」と言う部分がクライマックスで、「なにものにも捕らわれず野原を駆け回る美しい馬。その柔らかな魂は誰の束縛も拒否している」という主題には、ミツル君を肯定する作者の、あたたかい人間性が出ていた。

 描写は実に詳細で、養護学校に勤めたことがあるに違いない確かさであった。わが文芸クラブが輩出した人材に拍手を贈り、これからの活躍を祈りたい。

  • 病める子も今は亡き子も寄り合つて笑へる写真 春の芝生に
  • 額髪吹き分けられてあどけなき その子寄り来る半世紀経て

更新日 平成23年10月10日

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第65回 『うさぎの庭』―人生の深まり

 H.Kさんは文才豊かな少女だった。園部高校の年刊誌『公孫樹』には、毎号作品が出た。1年では創作「蜘蛛」、2年では「短歌研究と俳句10句」、3年では創作「泥の底」と、多彩である。

 俳句一つ取り上げても、「積分のひとつ解けたり鐘冴ゆる」と斬新な感覚。「短歌研究」は、伊藤左千夫の1首を、語学的に分析し、さらに文学的視点を加えたもので、とても高校生のものと思えぬ質の高さ、国語のM先生の示唆が生かされている。幸いにも、私が国語を担当したことはない。かりに担当していたら、自分より優れたH.Kさんの指導は無理であっただろう。天賦の才があった。

 私が教えたことがあるH君と結婚、H.Hになって童話作家の道をひたすら進んでいた。同級生のU君のブログ、『軟淡今昔』に作品のすべてが紹介されていた。一度読んでみようと、わが町郡山市の図書館に行き、児童書の受付で、「H.Hさんの童話あります? 何処の棚ですか。」と聞いたら、事もなげに、「は行の棚、見て下さい。並んでます。」と指さされた。何と、この小さな図書館にも、幾冊もあるではないか。『風になった忍者』『まぼろしの忍者』『ぼくはにんじゃのあやし丸』を借りて、その展開の面白さに魅せられた。

 私が最初に赴任した鳥取の高校、下宿させていただいた校長の奥様は百歳になった。なおも矍鑠として知識欲がある。ここ2年ほど、折ごとに本を送っているのだが、童話もいいかもしれないと、『きつねの手袋』『三月ひなの月』『百万回生きた猫』などを選んだ。この秋は何がいいかしら……と本屋で捜していたら、グレーっぽい詩情のある1冊が目に留まった。白いブランコの木で花が咲き、少年が腕を垂れて立ち、薄茶のうさぎが描いてある。『うさぎの庭』、H.Hさんが著者だった。「私が勤めていた園部高校の生徒が童話作家になって書きました。」と説明して送ろうと、買い求めた。

 「修(おさむ)は、自分の気持ちがうまく話せない。心をうちあけられるのは飼っているうさぎのチイ子だけ。そんな修は、古い洋館に住むおばあさんに出会い、少しずつ自分の思いを話しはじめた……。勇気とは、反省とは、自信とは――? 修の心の成長を繊細に描く物語」と解説にある。洋館に住むおばあさんは、裏側のカバーに、細っそりとした肩にストールを掛けて描かれている。小さなアクセサリーや飾り物を、気の向くままに作り、店に出してもらっている。昔は絵を描き、子供らにも教えていたので、あかり先生――と呼ばれている。

 私が本を送る老女は明里(あかり)先生の奥さまだ。不思議な名の合致、きっと喜んでくれるだろう。童話のあかり先生は90歳を越えて、病身である。もう絵も教えていない。老いに見合った自然な生活をしている。自分を偽って無理を重ねる私とは違う。登場人物のすべて、そしてうさぎのチイ子などの動物も、ありのままを肯定している。安らかである。

 忍者シリーズの頃にはないH.Hさんの人生の深まりを感じた。子供もぐいぐい引かれて読み進むであろうが、老いた私も、それとなく深く感じることがあった。明里のおば様もきっと喜んでくれる。

  • 畳にもウサギは何時か穴を掘る 裡(うち)なる声のままに生きたし
  • 百歳の老女に贈る『うさぎの庭』生きるだけ生きむ死は自(をの)づから

更新日 平成23年10月26日

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第66回 「陽だまり」の会 その1

 ここ3年ほど、亀岡までは何回か行き、駅裏一面に広がるコスモス畑ともお馴染みになった。10月21日も、紅、白、ピンクの混じり合った柔らかい色が、低く這うように美しかった。今日は園部まで行く。やはり此処を越えてからの15分ほどが、過去への入り口になる。レール脇の雑草も、平凡な稔り田も、左右に分かれてゆく径(こみち)も、3年半の通勤の往復に見たはずの景色だ。車中で八木あたりから乗り込んで来た生徒らのざわめき、京都から座って他愛もない雑談を交わした同僚。だが、今日は老いた自分がいるばかりである。懐かしさでもない、空しさでもない、じんじんしたもので胸が一杯になった。

 園部駅は、あまりにも新しく変わっているが、そこに、過去の生徒らが待っていてくれる。本町に続く城下町の通りは、道幅が少し広くなったと思うほど人気(ひとけ)がない。もっとごちゃごちゃとしていて、生活感のある町だった。八百屋も文具店も魚屋も、そして食堂もあって、いずれも教え子の家だった。その本町の中心地と言えば、料亭三亀楼と、その向かいの、旅館合羽屋あたりだったろうか。その三亀楼の手前、昔は自転車店があったあたり、そこに「陽だまり」と言う、町営のホールが出来ている。正式には、「園部真心ステーション」と言うそうだ。

 さあ、どうぞ……と開かれた1間半ばかりの入り口、お土産ものがこまごまと並ぶ。左半分が喫茶コーナー、奧がホールでピアノが見える。右半分は古い民家の座敷で、鰻の寝床、奧へ奧へと三間(みま)ほどが続く。突き当たりに中庭が明るむ。今日の小短会(小さな短歌会)の会場である。

 上がり口に会計や世話役が屯ろしている。園部高校第8回卒業生がほとんどだが、他にも短歌に興味を持った人達を交え22名も集まってくれた。思い出の町に来ただけでも幸せであるのに、20余名の教え子が揃った。これ以上の幸せがあるとは思えない。

  • 道路工事の四つ角白く浮き上がりしんしんと昔 本町筋は
  • 本陣の旗ひるがへる城下町秋陽明るくどの家も留守
  • 今は昔、昔は今の陽溜りに声あふれたり死者も混らむ
  • 先生と今も呼ばれてゐる不思議 白髪混る生徒らの輪に

更新日 平成23年11月8日

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第67回 「陽だまり」の会 その2

 遅れてしまい済みません、という声が何回かする。農繁期でもある。家事にも忙しいし、遠く大阪、神戸在住の人もいる。「小短会」と名付けた小さな短歌会は、去年に続いて2回目。詠草集は既に印刷され送付済み、各自3点の選歌票も送られて、結果が楽しみ。

 欠席者の分も入れて23首、昨年は会場が亀岡だったが、今年は園部、顔ぶれも少し変わった。園部には、「潮音」関係の短歌グループがあり、老人会の大きな歌の輪もある。何派とか何結社とかの違いなど問題ではない。57577に何ら変わりはないのだから。

 司会はU君、手なれたものである。指名された者の発言も活発。途中、昼食の幕の内弁当は、彩りも美しく三亀楼のものだった。懐かしい三つの亀甲のマークが、弁当箱にも、箸袋にもある。土地の菓子、綾部からの土産のお菓子も配られ、誰かの庭の柚子の実も1個ずつ。和やかな会食だった。しかし、歌評の残りもあり先が急がれた。

 終わりに作者名と得点の発表。T.Iさんの和紙の小箱が賞品だった。それに、西宮から駆け付けたK君が、額付きの写真を全員に用意してくれていた。早いもの勝ちで、てんでに好きなものを貰った。コスモス、彼岸花、水仙と、旧蹟・名所のあちこちの風景を撮り溜めてあったもの。自筆の短歌は、文字が風雅で、思わず私が貰ってしまった。「鍵閉めた閉めない忘れ引き返す白きコスモス揺れて微笑む」と、優しい取り合わせの歌だった。今も家の玄関に飾ってある。

 得点の多かった人は素直に声をはずませて喜んだ。しかし、少ないものにもいいのがあった。感嘆の声、しばらくのざわめきも気持ちが良かった。いい会だった。

  • 鹿よけの柵にからまる仙人草刈り残したは白きゆえにか
  • 兄弟(はらから)をつづき送りし我が胸も満ちかけのあり月の如くに

 その時の作品の中から、しみじみした2首を挙げてみた。

更新日 平成23年11月25日

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第68回 「陽だまり」の会 その3

 10月21日の小短会の、最大の楽しみは、午後からの音楽会だった。T.Iさんのご夫君が弾いてくれるピアノに乗って、懐かしのメロディを歌う。ご夫君は若くから音楽の先生で、校長も何年か務め、退職後も引っ張り凧。

 「楽しく唄って心豊かに」をキャッチフレーズに、「思い出のうた」、忘れ去られそうな童謡や唱歌を唄う会を自ら買って出ている。現在は、毎木曜日の1、3週は公民館で、2、4週は文化センターで、約60名参加して熱心に唄っているとか。昔の歌と言っても軍歌は絶対唄わさない。厳然とした方である。

 昨年、亀岡の市民ホールガレリアで、亀岡祭に合わせて100曲も皆で唄ったろうか。大胆で力強い演奏、少しの音の迷いや、拍数の数え違いなど気にしなくても、押して押して引っ張って下さる。合い間に作曲家のエピソードも入り、そんなことがあったのか、と勉強できる。

 「夏の思い出」「野菊」「赤とんぼ」と続き、胸に溜まっていた切なさが、快く外へ流れ出した。「さよならと言ったら、こだまがさよならと呼んでいた」など、昔は自然も優しかった。「さよなら」を歌って締めくくり、1時間。最後に「乙女の祈り」の独奏を聴かせてもらい、さらにリクエストで、私は「エリーゼのために」を弾いていただいた。

 毎週でも参加したい会である。T.Iさんは幸せな奥さんだった。

 その石川久先生の、小短会協賛の短歌を最後に記す。

  • 「小短会」我も真似して数首詠む指折り数えて語呂合わせなり
  • 秋風にさそわれ出(いで)し庭の虫我等の歌と相和しており

更新日 平成23年12月9日

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第69回 半世紀の繋がり―「八桜会」その1

 この11月8日、園部高校第8回卒業生の同窓会「八桜会」の招待があった。いつもの、京都駅の中央、ホテルグランヴィアである。

 私が出席させていただくのは4回目であろうか。1度目は私がまだ西京商業に勤めていた頃だったから50歳代。同僚の先生方もお元気で、副校長のY先生、生徒指導部長の国語のK先生を始め、担任団の先生方も揃っていた。ただ、数学のN先生のみは自宅の火災という不慮の災害で亡くなったのが残念だった。そんな中で私は一番の若手で、同窓生と完全に同格だった。

 「何組のどなたでした?」と問われ、得意であった。東京のK.H君、同姓の愛知のK.H君も来ていて、「先生も来てはるやろと思って、楽しみにしていた。」と話し掛けてくれた。この二人はいつもセットで、山道を帰りながら話した思い出がある。この折の同窓会は関係した先生のすべてを招待してあり、壇上に一列に並ぶと、私は末席。賑やかな催しだった。

 今回は、療養中だった3組のY先生も亡くなり、1組のM先生、2組のS先生、そして担任でもないのに幸運にも生きていて呼んでいただける私、の3名だった。M先生は、前回22年6月の会にもお会いでき、全く変わらない83歳。S先生は88歳、前々回の20年11月の会にお会いし、その後、体調が悪いとお聞きしていたのに、思いがけないお元気さ、夢のようであった。恒例の数学の宿題をプリントして持って来られた。

 「私の徒然草」と題して、「0~9のすべてを使って計算してみようと考えました」とあり、最後に、「表記の7個の7以外には7を使用しないで計算を完成して下さい。」という割り算の問題1枚が付加されていた。私には聞くだけ、見るだけで頭が痛い、そして関係のない世界である。この頭脳の明晰さ、奥様を亡くされて、老人ホームに居られると聞いたが、頭は鍛えておけば衰えぬものなのだ。北大で数学を専攻している孫に渡してやろう。けれど、きっと出来ないだろうと、大切に持ち帰った。

 M先生は今回は軽いお話。最後の私は、つい先日の「小短会」。園部で22名が集まって開いてくれた小さな短歌会の、名歌を披露させていただき、半世紀にわたるこの会の生徒たちとのご縁に、ただただ感謝だった。80名余の出席の盛会だったが、その中に小短会の名歌の作者もいた。小短会当日たまたま出席出来なかったM君に、当日の最高得点歌としてこの会で発表でき、嬉しそうな顔を見られたのが何よりであった。この稿にそれらの歌を紹介しよう。

  • 鹿よけの柵にからまる仙人草刈り残したは白きゆえにか      (F.H)
  • 嵯峨菊の手入れ誇れる妻の声聞き流しつつ吾駒いじり       (K.M)
  • たまさかの鈍雲(にびぐも)嬉し蝉たちも今朝は静かに萩咲き初める (H.S)
  • 震災も台風被害少なくて感謝を込めてコシヒカリ刈る       (H.K)
  • 所帯持つ記念にもらひし百日紅義父亡き今も満開に咲く      (M.U)
  • 限りなき原子の力の代償は今 わだつみの声ともなりて      (F.N)

更新日 平成23年12月27日

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第70回 半世紀の繋がり―「八桜会」その2

 「八桜会」にはいつも、亡くなった先生や同級生の冥福を祈り黙祷が捧げられる。今年も5名の名が追加され会員名簿にあって淋しい。そして、校歌斉唱が必ずある。壇上に立ち、美しく豊かな声量でリードしてくれるのは、M.Nさんだ。在学の頃の音楽のI先生のことを懐かしく話してくれる。私にも忘れることの出来ない方である。

 黒っぽいドレスに身を包んだ豊かな老婦人が浮かぶ。京都市の北区から通っておられたが、東京音楽学校出身の優れた芸術家で、包容力があったから、M.Nさんが語らずにいられない気持ちがよく分かる。

 校歌の歌詞は、京都大学の英文学の教授中西信太郎先生によるものである。「緑濃き古城のほとり……」と唱い出されると、ついつい、「雲白く遊子悲しむ」と藤村の「千曲川旅情の歌」に私はなってしまう。「うるわしきわが学び舎に」と続けなれればいけないのだが。

 その歌詞で一番胸に迫るのは、1番の「ああ われら共に励まむ若き日を 心豊かに」であり、2番の「ああ われら共に進まむ若き日を 思ひけ高く」の部分である。「若き日を」の語がこんなに重く、強いのは、もう過ぎ去ってもどって来ない日々であるからなのだろう。M.Nさんの振る手の表情も、特に心が込められているように思われる。

 どの卒業年度の同窓会にも、何人かの立役者が居るのであろうが、私は「八桜会」にしか、まだ出席させていただいていない。「八桜会」の会長は、ずっとN君である。東京方面の大学を出たと聞くが、卒業後、その名も懐かしい丸物百貨店に現れ、その続きでそこが近鉄百貨店になってからも勤めていた。

 細っそりした青年であったが、だんだん恰幅が出来、外商の部長だった折は、店内のあちこちで出会い、そのたびにこやかなお辞儀をしてくれた。お洒落でも贅沢でもない私は、あまりいいお客でもなかったが、娘の結婚の時は万端お世話になり、サービスをしてもらった。

 「八桜会」の次回の幹事は、万年会長のN君が発表する。皆忙しい人だが、そして地元の京都在住者は当たりがいいようだが、万障繰り合わせて引き受けているようである。お互いが譲り合い助け合わなければ、半世紀も盛大に続くはずがないのである。

 次回は平成25年6月11日――と発表された。幹事に任命されたひとり、T.Kさんは、「田植えの最中なんやけど、どうしよう。お父ちゃんにうまく頼まんならん。」と、今から秘策を練っている様子。私も生きて出られるようにしなければならない。

  • 「緑濃き」と始まる校歌 タクト揺れ胸詰まりくる「若き日を」の語に
  • 昔むかしが今ここにあり他界よりの声も集(つど)ひて校歌高まる

更新日 平成24年1月10日

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