南丹生活

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渡辺弘之『増補版 京都の秘境・芦生〜原生林への招待』

京都の秘境・芦生

京都大学名誉教授の渡辺弘之博士が、昭和41年に美山町芦生の京大演習林に赴任し、研究者として長らく芦生に暮らしていた時期の見聞や体験を書いた本です。芦生の動植物の紹介とその生態、村の生活・廃村の様子・フォークロアなどの民俗誌を記しています。今も決して交通の便はよくありませんが、道路も整備され、インターネットで都市部ともつながり、芦生の里や森は山歩きや自然を愛する人々が頻繁に訪れるようになっています。しかし、この本を読むと、当時の芦生は本当の秘境であったことがわかります。

この本に紹介されている森や渓流や湿地帯に棲む生き物の多くは、2〜30年前には園部や八木の市街地の近くにも結構棲息していました。しかし、園部・八木ではその相当の部分が絶滅したか希少になっているように思います。自然破壊の恐さを実感すると共に、この本の初版が書かれてから30年以上経った今でも多くの動植物が生存していて生態系が維持されている芦生の森の大切さを改めて感じさせられる一冊です。

ナカニシヤ出版/昭和45年初版・昭和55年増補版

更新日 平成19年9月27日

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草川啓三『芦生の森を歩く』

芦生の森を歩く

著者は京都山の会に所属し、近畿の山々を中心に歩いている登山家・カメラマン。この本は芦生の森の「谷を遡り、尾根の樹林を分け、古い峠路を登り詰め、あきることなく歩き続けた」記録です。

フォト&エッセイ、フィールドノート、エッセイの3部構成で、フォト&エッセイは森の一瞬の表情を捉えた美しいカラー写真と抒情的な文章、フィールドノートは微細な山のレポートと山歩きガイド、エッセイは木地屋と巨樹の話が収められています。樹木と水がこの本の主人公ですが、自然だけではなく森に残る山の民の生活の痕も辿っています。エッセイ「山の民 木地屋のこと〜江若丹国境付近の木地屋と峠路」は、山歩きの視点から木地師の歴史を振り返った興味深い一文です。

芦生の森を一つのミクロコスモスとして描いた、愛にあふれた一冊。

青山舎/平成13年(限定500部)

更新日 平成19年9月29日

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森茂明『晴れて丹波の村人に〜京育ち一家の村入り記』

晴れて丹波の村人に

著者は美山町内久保の民宿「もりしげ」の主人にして名エッセイストとして知られる人です。この本は著者が京都の花街の一つ宮川町に生まれ、政治の季節に学生運動よりも釣りを愛する青年時代を過ごし、大学を出てからも勤め人にならず釣具屋の主人となり、田舎暮らしへの憧れが昂じて紆余曲折の末に35歳の時に妻と二人の子供を連れて美山町肱谷の萱葺き民家に移住、百姓と民宿を営みながら、徐々にムラに土着して行く(受け容れられて行く)過程を描いたエッセイです。

最初は自然との調和の中で渾然一体に暮らす夢を抱いていた著者ですが、いざ実際に百姓として暮らすとなると、関心の中心は具体的な現実に注がれて行きます。ムラの人々の生き方(意識と行動形態)、そして日々の労働が仔細に描かれますが、そこが本書でいちばん面白いところでもあります。著者は中世以来の伝統(権利関係と民俗宗教)の中に暮らしているムラの人々の本当の仲間にはなかなか入れてもらえませんが、土地での人間関係や信用ができてきて、美山町内久保に萱葺き民家の持ち家を手に入れた辺りから、ムラの人間として認められて行きます。遂に土着の人となった著者が、大状況から世界を見るよりもムラの視点から世界を見る境地に達した箇所は感動的です。

著者の観察眼と名文によって、田舎暮らしの面白さ辛さが身につまされて読める本です。観光の美山ではなく、生活の美山を知るのに絶好の入門書です。と言っても、著者が土着化して行く時代は、主に外部から嫁が多数来ることによってムラ社会が近代化されて行く時代でもありました。ほんの少し前なのに、今ではここに描き止められたようなムラの秩序はもうありません。南丹市の山間部に暮らしていても、今の若者にはもはや想像のつかない世界でしょう。この時代の空気を知る人は懐かしくもほろ苦い思い出として、知らない人はかつて現実に存在したこの地域の記録として振り返ってみるのもいいでしょう。

クロスロード/昭和61年初版

更新日 平成19年10月2日

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『図説 園部の歴史〜園部町史通史編』

図説 園部の歴史

旧園部町時代に町史刊行事業が始められ、1巻目の資料編第4巻が出たのが昭和50年、昭和56年に資料編第2巻が出たが、それ以後町史編纂事業は長らく停滞していた。合併が決まり、全巻を完結させることはできなかったが、旧園部町が消滅する前に通史編だけは出しておこうと作られたのが本書である。奥付の日付けは旧町時代になっているが、一般に頒布されるようになったのは平成19年夏頃からである。

重厚な箱入り本であった既刊2巻とは異なり、通史編は版形も大きくなり、ソフトカバーで全ページカラーという歴史ムックの体裁である。豊富な写真・図版と見やすい紙面構成、エピソードごとに区切られていて、文章も平易で、非常に解りやすく実用的な本である。すでに自治体としての園部町はないが、市町村史としては画期的なものではないかと思う。

園部の歴史・文化・民俗・建築・自然・地理などあらゆる切り口から解説されていて、ところどころに挿入されているコラムも興味深く、大変面白い郷土史ムックに仕上がっている。旧園部町時代に出せなかった事情は詳らかではないが、こんな本に化けたのなら、結果として良かったと思うほどだ。園部町地域に止まらず、広く南丹市民に読んでもらいたい本である。

※現在、南丹市立文化博物館で購入できる。

園部町・園部町教育委員会/平成17年初版

更新日 平成19年10月4日

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上野道雄『冬の実』

冬の実

著者は昭和13年に京都の西陣に生まれ、戦況も押し迫った昭和20年6月に北桑田郡周山町(現京都市右京区京北町)に疎開、翌月に宇津村(現京北町栃本町)に移ってそこで少年時代を過ごし、昭和27年からは二十年近くの歳月を八木町(現南丹市)で過ごした随筆家です。

引越しを繰り返した人ならではの漂泊感が感じられる随筆集です。著者の故郷は畢竟西陣なのでしょう(それも今はもうない在りし日の西陣)。丹波の村の生活の描写には、土着の人ではない寂しさが漂っています。そしてその寂しさは、敗戦から戦後の貧しい時代の寂しさでもあるのかもしれません。それでも、通過して行ったそれぞれの土地での出来事が、懐かしく、昨日のことのようにありありと回顧されています。

著者は八木町在住時代に園部高校・立命館大学で学び、就職して結婚生活を送っていますが、本書では幼児期を過ごした西陣時代と、宇津村の栃本八幡宮の社務所に仮寓した少年時代のことが中心に綴られていて、八木町時代の回想はごく一部ですが、当時の丹波の村や町の空気は伝わってきます。

日本随筆家協会/平成17年初版

更新日 平成19年10月5日

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芦生の自然を守り生かす会『関西の秘境 芦生の森から』

芦生の森から

昭和42年に関西電力が芦生に揚水式発電ダム建設を計画して以来、美山町では(本書刊行まで)三十年間にわたってダム建設派と反対派の対立が続いてきました。本書は、芦生の貴重な自然を破壊することなく自然を生かした地域振興をすべきとしてダム反対の住民運動を行なってきた「芦生の自然を守り生かす会」による芦生の森のガイドブックです。

山歩きのガイドブックであるだけではなく、芦生の森から環境問題を問うている本ですが、それにとどまらず、山村がいかにして自然と共生しつつ採算の取れる生活基盤を確立し、暮らしを持続して行くかという切実なテーマに取り組み、実践している芦生の里の人々の記録でもあります。

自然を守る運動は、究極のところ現代文明の形をどうしていくのか、自然をどう守りどう開発するのか等の根本的な問題にもつながっていくものです。芦生の自然を守り生かす会の実践は、地に足の着いた村おこしの上に環境運動を展開した先駆的な実例として、色々学ぶところや考えさせられるところの多い本です。

かもがわ出版/平成8年初版

更新日 平成19年10月7日

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森茂明『芦生奥山炉辺がたり』

芦生奥山炉辺がたり

美山町にある民宿「もりしげ」の主人である著者が、「芦生の自然を守り生かす会」のメンバーとして活動しながら、月刊「つりのとも」に平成7年10月号から11年2月号まで連載していたエッセイを集めた本です。

前近代的な遺風を色濃く残すムラ社会と余所者である自身との関係を綴った前著『晴れて丹波の村人に〜京育ち一家の村入り記』とはスタンスが異なり、本書では、著者は美山という大地に根を張って暮らし芦生の森を愛する知識人として、さながら芦生の語り部の如く熱く語っています。

本書は「わさび祭り」「芦生という地名」「ダム騒動記」の3章から成っていますが、話題の中心は芦生の民俗と生活です。土地と人との結びつきに関しては、柳田民俗学を下敷きにして、墳墓の地を守ってきた村人のカミ信仰を語っています。ダム反対の住民運動に関わった時期の文章なので、当時の美山町長をはじめとするダム推進派との経緯も書かれていて、戦闘的なトーンの文章もあります。

森を守ることの意味、そのためにはどうすればいいかという政策提言も含まれていて、芦生をめぐる話題の集大成とも言うべきエッセイ集です。

※立命館大学哲学科時代の著者の恩師である梅原猛が序文を寄せています。

かもがわ出版/平成11年初版

更新日 平成19年10月9日

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草川啓三『芦生の森案内』

芦生の森案内

平成13年刊の『芦生の森を歩く』に引き続いて出された登山家草川啓三による芦生の森のガイドブック。

カラーページが少なかった『芦生の森を歩く』に比べて、本書はオールカラーページで、写真をメインにした芦生の森のフォトガイドになっています。

一般コースと経験者コースの2部構成で、地図と写真に加えて簡潔な文章で具体的な山歩きのアドバイスがされており、芦生の森を歩くのに必携の一冊です。

青山舎/平成14年初版

更新日 平成19年10月10日

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水口純一『帝国陸軍砲熕学開祖陸軍大将田中弘太郎と船井郡偉人の群像』

陸軍大将田中弘太郎と船井郡偉人の群像

田中弘太郎は園部町美園町に生まれた軍人である。近代日本陸軍の歴史において、陸軍大将は全国でも134人しかおらず、京都府出身の陸軍大将になると田中弘太郎と後宮淳の二人のみである。さらに技術畑出身で大将になったのは、陸海軍を通じて田中弘太郎ただ一人であるという。

田中弘太郎は本書が執筆された時点で忘れられた存在になっていたが、もともと奇人変人的な人物としてフィクションの逸話が数多く作られた人物だった。これは、軍服を脱げば一私人だとして晩年を一田夫として生きたことによるところが大きい。著者の水口純一は、そんな田中の実像を明らかにするためにこの評伝を執筆したという。水口は日吉町出身の元海軍砲熕技術士官で、農林業の傍ら、エッセイスト・郷土史家としても業績を残した人物である。本書は旧制園部中学時代の友人が書こうと準備していたものを、その友人が倒れたために、水口が引き継いだものである。

軍人としての田中弘太郎は、弾道学・陸軍砲熕学の専門家として当時の最先端の軍事技術者であり、近代日本の頭脳の一人だった。田中の生誕の地である美園町の生身天満宮の大鳥居の左側の公園に「陸軍大将田中弘太郎誕生之地」の碑が建ち、その手前に砲弾があるモニュメントがある。これは田中の偉業を顕彰したものだが、それが戦後すべて忘れられてしまったのである。

水口は、当時刊行されていた『京都府百年の資料』や『園部町史・資料編』に田中弘太郎のことが全く触れられていないことを本書で憂えているが、最近出た『図説 園部の歴史〜園部町史通史編』では1ページのコラムが田中弘太郎に割かれている。これは本書の存在も寄与したと思われる。

※本書では、もう一人、同じく園部の教育者上野盤山に薫陶を受けた樋口勇吉の事跡も併せて紹介されている。樋口は船井郡郷学社を設立し、第1号の藤林益三最高裁長官から73名に上る給費生を世に送り出した郷土の偉人である。ちなみに、水口純一自身も14人目の給費生だった。

水口純一/昭和60年初版

更新日 平成19年10月11日

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エルンスト&和子ザイラー『ザイラー夫妻の晴耕雨奏〜田んぼの中から世界を見て』

ザイラー夫妻の晴耕雨奏

日吉町胡麻のかやぶき音楽堂を拠点に活動しているピアノデュオ、ザイラー夫妻(ドイツ人のエルンスト・ザイラーと日本人のカズコ・ザイラー)のエッセイ集。

エルンスト・ザイラーの来日から、自然豊かな環境を求めて胡麻に移住し、福井県の禅寺禅應寺の本堂を胡麻に移築してかやぶき音楽堂を建て、農業や子育てをやりながらかやぶき音楽堂を拠点に音楽活動を展開するまでの経緯が書かれています。丹波の自然、農業のこと、食べ物、コミュニティの人間づきあい、丹波で暮らす芸術家たちとの交流、子供たちの成長や教育などの話題の節々に、エルンスト・ザイラーの自伝的な回想やピアノデュオのことなど音楽の話が綴られています。

立風書房/平成4年初版

更新日 平成19年10月13日

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