南丹生活

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船井ごおり三十三ヶ所観音霊場

観音霊場と言えば、西国三十三所観音霊場が本家であり、最も有名です。口丹波にも亀岡市に西国三十三所の第21番札所の穴太寺があります。西国三十三所は平安時代の成立ですが、その後、秩父三十三所や坂東三十三所をはじめとして、全国各地に三十三所観音霊場が形成されました。三十三というのは『法華経』のなかで観世音菩薩は三十三の姿に化身して衆生を救うという記述に由来し、三十三所の観音霊場を巡拝すると、現世で犯したすべての罪業は消滅し極楽往生できると信仰されています。

三十三所観音霊場は南丹市エリアにも存在し、船井ごおり三十三ヶ所観音霊場があります。「船井ごおり」とあるように、旧船井郡の範囲、すなわち南丹市の園部町・八木町・日吉町、および現船井郡京丹波町になっている旧丹波町に分布しています。詳しいことはわからないようですが、歴史学者の吉田清花園大学元教授が「広報そのべ」に連載していた「ふるさと探訪」41回・43回によると、弘化3年(1846)に書かれた『郡西国三拾三所』という書物に船井郡の観音霊場が紹介されており、西国三十三所観音霊場を巡礼する代わりに船井郡内の霊場を回って代替するものであったそうです。

船井ごおり三十三ヶ所観音霊場は、園部町の22ヶ寺をはじめとして、八木町4ヶ寺、日吉町2ヶ寺、丹波町5ヶ寺という分布になっていますが、廃寺になっているものも少なくなく、地元南丹でも今ではほとんど忘れられており、歴史に埋もれた三十三所観音霊場と言えるでしょう。それでも、歴史の変遷のなかで姿を変えているものもありますが、何らかの形で三十三ヶ所すべての現存が確認でき、昭和63年には園部町美園町の園寿会が『丹波船井ごおり西国三十三ヶ所霊場』という本を出版し、平成5年には奉賛会が各札所の境内に木碑を建てるなど、細々とながら三十三所観音霊場としての実態は消滅してはいないようです。

観音霊場を巡っていると、かつて神宮寺であった御堂が神社の境内に残っていたり、あるいは廃寺になって観音堂だけがひっそりと山中に佇んでいることもあります。人気のない山道を踏み入って、そうした御堂を訪ねるのも船井ごおり三十三ヶ所観音霊場の魅力です。なかには由緒のある寺院や文化財クラスの建物もあり、それらと出会うことの楽しみは言うまでもありません。

それでは、船井ごおり三十三ヶ所観音霊場を巡って参りましょう。

※注・御詠歌について

各札所の御詠歌を掲載していますが、これは確定版ではありません。上述したように園寿会は昭和63年に『丹波船井ごおり西国三十三ヶ所霊場』という本を出版していますが、これは御詠歌のみを掲載したものです。このコーナーに掲載した御詠歌は基本的にこの本に依拠していますが、この園寿会版、吉田清「ふるさと探訪」に掲載されている御詠歌、一部の札所に掲げられている和歌額の御詠歌、寺院の発行物に記載されている御詠歌、教育委員会が掲示している案内板に記載されている御詠歌などで表現・表記などに少しずつ異なる場合があり、本コーナーではそれらを参照しつつ表現・表記に不自然のない形のものに調整して掲載しています。

※注・その他の観音霊場

南丹市内の札所を含む観音霊場は他にもあります。現在も実態の明確なものとして近畿楽寿観音霊場があり、第24番大乗山教伝寺(園部町新町)と第26番日谷山成就院(日吉町殿田)が入っています。それ以外に、観音霊場の全貌が定かでないものもあり、たとえば園部町横田温井の浄香寺には判読できない観音霊場の第5番と中筋西国第16番という和歌額(御詠歌)が掲げられていますが、詳細は不明です。このような例は他にもあるかもしれません。

更新日 平成21年1月21日

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