御詠歌 旅人の目を驚ろかす蛇が谷の 滝のひびきも寺のいりあひ
最福寺は園部町埴生にある曹洞宗寺院。園部町小山東町の徳雲寺の末寺で、本尊は釈迦如来ですが、観音霊場として蛇ヶ谷聖観音とも呼ばれていました。観音像は本尊や祖師像などとともに本堂に安置されています。最福寺の近くには中世の豪族野々口氏の埴生城跡があり、最福寺の山門は江戸初期に中世埴生城の城門を移築したものと伝えられていましたが、平成7年の改修時に元禄14年(1701)に再建されたものと判明しました。
埴生は江戸時代には宿場町として栄え、造り酒屋の蔵などの古い町並が残っています。
更新日 平成21年4月16日
御詠歌 春ごとに藤咲きにほふ御寺の のりのみわざにまたもあひなん
曹源寺は園部町南八田にある曹洞宗寺院。応永3年(1396)に摂津国能勢月峯(剣尾山)にあった地蔵菩薩・聖像を迎え、一宇を建立したのが始まりと伝えられています。
曹源寺は府道453号大河内口八田線の西本梅駐在所からるり渓の方に少し行った右側山麓にあり、観音堂は裏山に広がる墓園の一角にあります。
更新日 平成21年4月23日
御詠歌 護国山慈悲満行のあかりある ほとけののりの神護寺かな
神護寺は園部町半田にあった曹洞宗寺院。八文字屋四郎太夫を開基、龍穏寺九世月心和尚を勧請開山とする龍穏寺の末寺です。明治時代の廃仏毀釈の統廃合で、同じ半田に曹洞宗元興寺があったため、廃寺となりましたが、観音堂は地元の人々が護持し、地名を取って奥西観音堂として崇敬されてきました。現在は半田の奥西観音堂保存会が維持管理しています。十一面観音立像は南丹市指定文化財です。
奥西観音堂は高山の山麓にあり、半田の一本杉の近くから山道を分け入って行きます。船井ごおり三十三ヶ所観音霊場の中でも所在地がわかりにくい札所の一つです。
更新日 平成21年4月25日
御詠歌 ながきとて寺にのこりて行すゑも うごかぬみ代の石のみほとけ
長徳寺は園部町口人にある日蓮宗寺院。現住職の直接の系統は4代目で、初代は聖護院に属した山伏であったそうですが、2代目から日蓮宗となったとのことです。現住職の直接の系統より以前、船井ごおり三十三ヶ所観音霊場が形成された江戸時代に長徳寺がどのようなものであったかは不明ですが、創建当初は真言宗であったようです。口人では火伏せの不動と呼ばれる不動尊の信仰が古くからあり、長徳寺が現在に到るまでこれを祀っています。現住職の4代前が山伏であったというのは、それまでから火伏せの不動の関係で山伏が来ていたのが縁で住職になったのかもしれません。日蓮宗になってからは大黒天信仰が中心となり、今も年に6回の縁日があります。
長徳寺には観音菩薩を祀る祠が二つあり、三十三ヶ所観音霊場の観音様は御詠歌にあるように石仏です。
更新日 平成21年5月2日
御詠歌 ともゑ寺松の林の山風に 払ひ果てたる三重の雲
福安寺は八木町室橋にある臨済宗寺院。同じく室橋にある臨済宗妙心寺派の如城寺の末寺で、如城寺の上寺あるいは行者堂と言われていましたが、廃寺となり、現在では観音堂を残すのみとなっています。ちなみに如城寺は、源平争乱時の女武者で木曾義仲の愛妾巴御前ゆかりの寺として知られる古刹です。巴御前の名前は福安寺の御詠歌にも詠み込まれています。
福安寺は如城寺から200メートルほど離れたところ、府道25号亀岡園部線から少し入った山麓にあります。観音堂の前は室橋区コミュニティ広場になっていて、金刀比羅神社の参道口もあります。
更新日 平成21年5月4日
御詠歌 のりをえて急ぐ心のふな枝や まどかにかよふ山の葉の月
観音寺は八木町船枝にある船井神社の神宮寺。船井神社は船井郡の名称の由来ともなった口丹波有数の古社で、神宮寺は元は安城寺と言いましたが、宝暦年間(1751〜1763)に寺号を廃して、以後氏子から一年交代で守護人を置いて献供献灯を行なっていました。船井ごおり三十三ヶ所観音霊場では観音寺と言っていますが、安城寺の寺号を廃してからこのように呼ばれるようになったのかもしれません。
明治維新後の神仏分離で船井神社の神宮寺はなくなり、仏像は氏子各村に分配されました。現在、観音寺の後身である観音堂は同じ船枝の京都帝釈天境内にあり、恐らく廃仏毀釈の時にここに移されたのでしょう。京都帝釈天は宝亀11年(780)に和気清麻呂が開創したとされている古刹で、多くの文化財を有しています。観音堂は京都帝釈天の参道の途中にあります。
更新日 平成21年5月7日
御詠歌 ひさかたの月もくまなき熊原や なもふかく入ぼだい山かな
円福寺は園部町熊原にある太神宮社の神宮寺。太神宮社(現大神神社)は室町時代の文明年間(1469〜1487)に創建された熊原の鎮守です。神宮寺の円福寺は神仏分離後に廃寺となり、観音堂のみが大神神社の裏山の岩が山に残り、観音像と弘法大師を祀っています。
観音堂は大神神社から少し離れたところ、八木町の方にしばらく行った山麓の杉木立の中にあります。
更新日 平成21年5月11日
御詠歌 もろひともきくや心ののりきよき やまに松風たきつせの音
泉福寺は園部町大戸にあった寺院です。早くに廃寺となっており、創建年代や由緒などは不詳ですが、廃寺となって後も薬師堂として残り、観音講中によって維持されてきました。現在は大戸の会所と並んで建っています。本尊は薬師如来で、観音菩薩は脇仏です。応永15年(1480)の銘がある園部町で最も古い鰐口が残り、これは若狭の遠敷郡から来たものであるそうです。
薬師堂の右隣りに地蔵尊が祀られていて、こちらには地蔵信仰の御詠歌も掲示されています。
更新日 平成21年5月13日
御詠歌 誓願をあふげばいとぞ高屋山 たえぬひよりは世の人のため
禅福寺は園部町高屋にある曹洞宗寺院。創建は延宝7年(1679)、開基は来観和尚で、園部町仁江にある龍穏寺の末寺です。本尊の阿弥陀如来座像は南丹市指定文化財になっています。
禅福寺は大堰川(桂川)沿いの府道25号亀岡園部線から高屋の集落の方に入った山麓にあり、観音堂は本堂の右側にあります。すぐそばには創建当時の本殿が京都府登録文化財になっている武尾神社が鎮座します。
更新日 平成21年5月17日
御詠歌 むらさきのひかりに雲の山てらす 西の林のてらもとふとき
西林寺は園部町越方にあった臨済宗寺院。創建は明暦2年(1656)、開基は黙禅和尚で、すでに廃寺となっているようですが、地蔵信仰の場および観音霊場として現在も維持されています。西林寺は地蔵院とも言い、今も参道に地蔵尊が祀られ、建物には地蔵院の額が掛かっています。
越方はJRの駅がある船岡から大堰川(桂川)を渡った対岸にある集落で、西林寺は集落の裏山の山麓にあります。地元には観音霊場としての意識が残っているようで、「臨済宗妙心寺派地蔵院船井三十二番観音霊場西林寺おまいり御杖」と書かれた杖立てがあります。船井ごおり三十三ヶ所観音霊場で巡礼者のための御杖を提供しているのは西林寺だけです。
更新日 平成21年5月20日
御詠歌 かげきよき玉のいづみの寺なれば ぼさつもここにありあけの月
玉泉寺は園部町佐切にある寺院。口丹波地域でも有数の古刹で、奈良時代に小野胤世という猟師が山中で三寸三分の光り輝く仏像を発見し、それを伝え聞いた国司の藤原定房が金堂を建立し、仏像を安置したのが始まりという縁起を持っています。その後、昌泰元年(898)に興福寺の覚如上人が住居にし、延喜9年(909)に講堂を落慶、翌年、定朝に観音像を彫らせて、前述の仏像を体内仏として納めたと言います。その後、天台宗を経て禅宗となり、江戸時代は黄檗宗(臨済宗黄檗派)の寺となりましたが、近代のどこかで単立寺院になったようです。昭和までは住職もいましたが、現在は廃寺になっているようです。本堂脇に代々の住職の墓所があり、昭和後期の墓もあります。本堂が貞享5年(1688)に改築されたという記録がありますが、現在の御堂がそれであるかはわかりません。
玉泉寺は佐切公民館の近くから集落背後の谷川沿いの道を奥へ行ったところにある参道口から山中に入り、5分ほど登った鬱蒼とした森の中にあります。隣りには佐切の鎮守の春日神社が鎮座し、参道の途中にはかつての住職の住居跡と思われる廃屋もあります。
第33番札所玉泉寺には、西国三十三所観音霊場と同じように、船井ごおり三十三ヶ所観音霊場版の御燈明の御詠歌と笈摺の御詠歌が付いています。
世をてらす仏のちかひありければ まだともしみもきえぬなりけり
ふたよまでひとへにたのむおひずるを 船井ごほりをめぐりをさむる
以上で、船井ごおり三十三ヶ所観音霊場札所のすべてを紹介しました。ほとんどの札所に観光地の派手さはなく、山里や山中にひっそりとある小堂に過ぎませんが、地域の歴史や民俗を辿る小さな旅として、一度歩かれてみてはいかがでしょうか。
更新日 平成21年5月21日
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