園部町新町の園部川沿いにあるカトリック丹波教会園部聖堂。地元では新町カトリック教会と呼んでいます。敗戦後のまだ日本が連合国の占領下にあった昭和25年(1950)、エドワード・バロン神父が園部に教会を開きました。聖堂は昭和28年(1953)に建設されたもので、落ち着いた重厚な雰囲気を持っています。
聖堂内部には高さ約7メートルのモザイク画「聖家族」像があります。赤黄白緑青5色のモザイク片は清水焼の窯元から貰ってきた破片で、リチャード・エドワード神父が下絵を描き、信者たちがその上に張った手作りの壁画です。
大きな円窓がある正面も風格がありますが、園部川対岸から見た鐘楼が園部川の水面に映る姿も美しいです。このまま大切に残されて行けば、将来は文化財になるのではないかと思います。
更新日 平成20年7月14日
園部町小山東町にある徳雲寺。南北朝時代の至徳2年(1385)に、地元の豪族荘林氏の開基、道元九世の法孫希曇の開山によって建立された曹洞宗の寺院です。末寺34ヶ寺(かつては48ヶ寺)を擁し、京丹波町の玉雲寺、園部町仁江の龍穏寺とともに、「船井の三うん寺」と呼ばれている口丹波地方の曹洞宗の名刹です。
江戸時代には園部藩主代々の菩提寺となっていました。代々の藩主の肖像画が現存し、初代小出吉親公像は狩野探幽作として知られています。現在の伽藍は江戸後期のもので、明治初めの建立になる竜宮造りの唐門が特徴的です。
更新日 平成20年9月20日
園部町仁江にある龍穏寺。京丹波町の玉雲寺、園部町の徳雲寺とともに「船井の三うん寺」と呼ばれる、末寺32ヶ寺を数える曹洞宗の名刹です。永正6年(1509)に仁江の土豪足立氏の金幡宗全を開祖とし、玉雲寺19世の月山禅宗和尚を開山(初代住持)として建立されました。園部藩主の菩提寺が徳雲寺であるのに対して、こちらは園部藩家老太田氏の菩提寺です。
龍穏寺は隠れた紅葉の名所としても知られ、紅葉の季節には境内全体が美しく染め上げられ、地元の人の目を楽しませています。最近は遠くから写真を撮りに来る人なども増えているようです。
更新日 平成19年9月25日
八木町船枝に鎮座する船井神社。古くから大堰川の守り神の住吉神社として祀られていましたが、慶雲2年(705)に現在地に遷宮した由緒ある神社です。本殿は天保6年(1835)に再建されたものです。
船井神社の名称は大堰川の停泊地「船居」に由来し、住吉神社から船井神社となったのはいつかはわかりませんが、船井郡という地名もこの神社に由来します。保延年間(12世紀前半)に国司藤原家保が春日神社四座を合祀してから春日神社になっていましたが、明治維新後に船井神社に復しました。延喜式内社にして旧郷社です。新庄小学校のグランド隣りです。
更新日 平成20年9月26日
八木町屋賀に鎮座する宗神社。創建年代は不詳ですが、丹波国の総社であったとされる神社です。総社(惣社)とはその地域内の神社の神を集めて祀った神社のことで、国・郡・郷などの総社があり、国の総社は国府の近くに置かれました。屋賀近辺は平安中期から鎌倉時代にかけて丹波国の国府があったとされる場所で、宗神社はかつて宗社大明神と称していたことからも、丹波国の総社であったと考えられます。延喜式内社の三縣(みあかたの)神社に比定する説もありますが、いずれにしても口丹波有数の古社であることには間違いありません。今では集落の中にひっそりと佇む小さな神社ですが、かつて亀岡市から南丹市八木町にかけてに存在した丹波国の中心地域の歴史を偲ぶことができる神社です。
本殿は寛永15年(1638)に建立されたものを改修してきたもののようです。北面神社としても知られています。
更新日 平成20年9月29日
南丹ゆかりの人物を紹介
南丹市に関する本を紹介
随筆家上野道雄の連載エッセー
京の名工廣野文男のふるさと画集
歌人石川路子の南丹吟行
墨絵で綴る南丹の風景
南丹の名木を訪ねて
児童文学者広瀬寿子の作品を紹介
南丹の観音霊場を歩く
Copyright(c) H19〜 TANBA RAKUICHI. All rights reserved.