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垣内古墳

垣内古墳址 八幡神社

園部町内林町にある垣内(かいち)古墳。自然丘陵と思われていた八幡神社が鎮座する丘から大量の鉄滓が出土し、重要遺跡ではないかとのことから、昭和47年(1972)に同志社大考古学研究室と園部町教育委員会が発掘調査を実施したところ、全長84メートル(周濠を含めると107メートル)に及ぶ古墳時代前期のものとしては口丹波最大の前方後円墳であることが判明、考古学史上の大発見となりました。この地方を治めた王の墓と思われますが、埋葬施設から三角縁神獣鏡などの鏡や勾玉、武器などが大量に発見され、出土遺物は国の重要文化財に指定されました。出土遺物は南丹市立文化博物館に常設展示されていて、見学することができます。

長らく自然丘陵と思われていたためもあって、残念ながら現在墳丘は跡形もなく、古墳の痕跡は八幡神社の境内に小さな塚と石碑が残るのみですが、当地を訪れる考古学ファンが必ず足を運ぶ場所です。ちなみに八幡神社は「内林の厄神さん」として園部で最も知られた厄除けの神社。創建年代は不詳ですが、王の墓を畏れる記憶からここに祠が建てられたのが始まりなのかもしれません。

map南丹市園部町内林町

更新日 平成20年9月30日

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黒田古墳

黒田古墳 頂上部

園部町黒田と船阪の境界にある黒田古墳。平成2年(1990)、船阪・黒田工業団地の造成に伴って発見され、園部町教育委員会が発掘したところ、全長52メートルの前方後円墳であることがわかりました。発掘調査の結果、古墳時代初期の最古級のもので、口丹波地域で確認される古墳としては最古のものであることが明らかになりました。後円部中央に埋葬施設が見つかり、中国大陸で作られた舶載鏡である龍鳳文鏡や鉄鏃、管玉などが出土しています。黒田古墳は京都府指定史跡になっています。出土遺物は南丹市立文化博物館に常設展示されていて、見学することができます。

古墳は公園として整備されています。黒田の集落側の入口から頂上まで登ることができますが、ふだんは草が茂っていることも多いです。すぐ隣りに太陽機械工業の園部工場があります。

map南丹市園部町黒田

更新日 平成20年10月17日

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幡日佐氷室両神社

幡日佐氷室両神社

八木町氷所に鎮座する幡日佐氷室両神社。長い神社名ですが、氷所の地に古くより鎮座する幡日佐神社に、寛文9年(1669)、八木町神吉に鎮座していた氷室神社を合祀し、幡日佐氷室両神社となったものです。

幡日佐神社は和銅元年(708)創建の古社で、延喜式内社です。氷室神社は氷所にあった冬期の氷を夏まで貯蔵する氷室にちなむ神社です。宮中で「氷の朔日」と呼ばれる旧暦6月1日に氷を食べる「氷室の節会」という行事があり、氷室神社は仙洞御所に氷を献上していました。

社殿は大正10年に焼失し、大正13年に復元したもので、式内社らしく立派な建築です。幡日佐神社は毎年10月21日に八木町日置の大送神社との間で行なわれる夫婦神事でも知られています。同日、流鏑馬神事も行なわれます。また氷室神社では、毎年7月1日に氷献上の故事に由来する氷室祭が行なわれます。

web夫婦神事

web氷室祭

map南丹市八木町氷所

更新日 平成20年10月21日

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大送神社

大送神社

八木町日置に鎮座する大送神社。創建は和銅元年(708)という古社です。

毎年1月17日に行なわれる「大送神社の綱引き」は、大蛇退治の伝説に基づき、氏子が綱引きをしてその勝敗でその年の豊凶を占うという民俗行事で、京都府登録無形民俗文化財になっています。また、毎年10月21日に氷所の幡日佐神社との間に行なわれる夫婦神事でも知られています。

社殿は嘉永3年(1850)、鳥居は安政年間のものです。

web綱引神事

web夫婦神事

map南丹市八木町日置

更新日 平成20年10月22日

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住吉神社

住吉神社

八木町西田に鎮座する住吉神社。創建年代は不明ですが、天平6年(734)に地震で社殿が破損したと伝えられていますので、それ以前に存在していたことがわかります。古くは神功皇后の三韓征伐の故例に従った祭があり、室町時代の応永年中(1394〜1427)まではすぐそばを流れる三俣川から大堰川堤防の黒住の大欅がある八木町鹿ノ草の御旅所まで甲胄を身に着けた武者たちを舟に乗せて運ぶ祭事があったそうです。

本殿は室町末期の永禄10年(1567)に建立されたもので、京都府登録文化財になっています。

map南丹市八木町西田

更新日 平成20年10月28日

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