南丹生活

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玉岩地蔵堂大祭/日吉町四ツ谷・玉岩地蔵堂

日吉町四ツ谷の海老谷(えびたん)にある玉岩地蔵堂で、秋彼岸(秋分)に行なわれる大祭。玉岩地蔵堂はかつて日吉町から美山町を通って福井県に抜ける道であった海老坂峠にあり、本尊の地蔵は、若狭の国に生まれ、18歳の時に人魚の肉を食べて不老不死となったという伝説で知られる八百比丘尼(はっぴゃくびくに・やおびくに)が安置したものと伝えられ、比丘尼にあやかって長寿や安産の地蔵尊として信仰されている。本堂とつながる庫裡には舞台・楽屋と桟敷縁があり、大祭には舞台で奉納演奏などが行なわれる。また、大祭には地元だけではなく、比丘尼ゆかりの若狭からの信者も訪れるという。

web玉岩地蔵堂

更新日 平成20年8月20日

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神行/園部町新堂・大国玉神社

園部町新堂の大国玉神社で、毎年神無月(10月)の初めに行なわれる神事。神無月とは八百万の神々が出雲に集まり、各地で神様が留守になる月のことを言う(逆に神々が集まる出雲では神在月と言う)。大国玉神社の神行(かみゆき)は出雲に行かれる神様を子供たちがお送りする神事で、榊の葉にそれぞれの家から持ち寄った赤飯を乗せ、神殿に備えた後、子供たちが拝殿で烏の鳴き声を真似て「カァーッカァーッ」と鳴き、赤飯を食べる。この所作は神様は烏に乗って出雲に行かれるからと伝える。神無月の終わる31日には出雲からお帰りになる神様を迎える神帰(かみかえり)の行事を行なう。

更新日 平成20年8月30日

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棚野の千両祭/美山町鶴ヶ岡・諏訪神社

美山町鶴ヶ岡の諏訪神社で、10月初旬の日曜日(かつては10月5日であったが、現在は初旬の日曜日に統一)の例祭の、30年ごとの大祭と15年ごとの中祭で伝統芸能を奉納する祭(通常の年は普通の例祭を行なう)。高野・鶴ヶ岡・豊郷・盛郷・福居5地区の氏子によって、地域ごとに伝わる伝統芸が奉納される。盛郷・福居からは太刀振り、豊郷からは姫踊り、高野からは太鼓中心の神楽、鶴ヶ岡からは神楽と俵振りが奉納される。棚野は鶴ヶ岡の地名で、千両祭という呼び名は奉納芸の華麗さや多くの日数や費用をかけることに由来する。京都府の無形民俗文化財に指定されている。最近では、平成17年(2005)に大祭が行なわれている。

更新日 平成20年9月4日

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道相神楽/美山町宮脇・道相神社

美山町宮脇の道相神社に伝わる伝統行事。道相神社では古くから25年に一度本殿の屋根を葺き替える慣わしがあり、その際に御神体を仮遷宮に移して完成時に元に戻す正遷宮祭を大祭としていた。大祭には宮元4集落(原・板橋・宮脇・下吉田)から神楽が奉納され、道相神楽と呼ばれてきた。道相神楽は、道化芸と大太鼓が一体となった曳山、恵比寿大黒に引かれる幟差し、俵振りという構成の行列で、原や板橋から出発し、芸を披露しながら移動して行って神社に練り込み、奉納する。道相神楽は昭和53年に屋根を銅版葺きに葺き替えたを最後に、周期を変更し、平成元年から3年ごとの例祭(10月初旬)に奉納されるようになった。平成16年の台風などでしばらく中止されていたが、道相神楽は平成20年10月12日に7年ぶりに奉納されることになった。道相神楽は京都府の無形民俗文化財に登録されている。なお、平成4年の「野々宮御所創建二千年記念大々祭」から、道相神楽に天田郡三和町(現福知山市三和町)の梅田神社の獅子舞いを取り入れた。

web道相神社

更新日 平成20年9月8日

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川辺四社神幸祭/園部町川辺地域の村社4社

園部町川辺の村社4社、月読神社(船岡)・春日神社(高屋)・武尾神社(大戸)・若宮八幡宮(越方)で、毎年10月第2日曜日(かつては15日)に行なわれている神事。各社の例祭が終わった後、正午になると春日神社より七道半の使と称する御幣持と紋付袴の正副使3名が月読神社に参拝し、祭始めの礼を述べて神輿のお迎えを告げる。武尾・春日・月読3社の神輿がそれぞれ新庄堰下流の御旅所へ向かい、途中3社が揃ったところでそれぞれの神輿を頭上まで3回差し上げ、神輿を揺らし歓声を上げて、出会いの挨拶を交わす。御旅所へ付くと、対岸の若宮神社の神輿と出会いの挨拶を交わす。古くは4社の神輿が大堰川を御旅所まで船で渡御し、4社合同で行なわれていたが、大堰川が改修されたため、現在は3社と1社に別れて神事が執り行われている。3社の祝詞奏上と直会の後、角力と射礼がそれぞれ7回半行なわれる。神事が終わると別れの挨拶を交わし、還御する。

web春日神社

web武尾神社

更新日 平成20年9月11日

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からす田楽/美山町樫原・川上神社

美山町樫原の川上神社(大原神社の摂社)で、毎年10月の第2日曜か体育の日(かつては10日)に行なわれる伝統行事。からす田楽という名称は、田畑を荒らすカラスを追い払って五穀豊穣を祈るところに由来する。田楽を演じるのは九人衆と呼ばれる講中の氏子で、長男が結婚すると講に入り、古い者から抜けていく。九人衆は太鼓4人・笛方1人・ピンササラ4人で構成され、新人(ピンササラの1人)がカラス役を演じ、「カァ、カァ」と鳴きながら両足を揃えて飛び跳ねる。山の神の祭場では狼煙を上げて洗米を食し、山での安全を祈願する。最後に、宮司が弓で的を射て吉凶を占い、五穀豊穣を祈願する。鯖鮨を用意することからかつては鯖講とも呼ばれていた。京都府の無形民俗文化財に指定されている。

web大原神社

更新日 平成20年9月22日

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馬馳け/日吉町胡麻・日吉神社

日吉町胡麻の日吉神社で、毎年10月中旬の日曜日(かつては15日)の秋祭で行なわれる伝統行事。馬馳け(うまがけ)とは馬で馬場を駆ける神事で、祭の一部である馬馳けが祭全体を指す言葉になっている。役者と呼ばれる参加者らが祭礼前夜に宮籠りして「七色の膳」を食べ、祭礼当日零時を過ぎると、役者の一人である馬場量が東胡麻で祀られている神社や地蔵などの聖地を11ヶ所を巡拝して御幣(シトギ)を奉納する。夜が明けると、役者らは岩上池で身を清め、朝食を摂った後、背広姿の道案内と各々の扮装をした馬場量・矢取り(稚児助)・射手(女形)・騎手(衣)・神馬(鎧武者)・警護(裃姿)が、上胡麻・西胡麻で祀られている聖地10ヶ所を巡拝して御幣を奉納して行く。途中、大戸の八幡宮参拝後に近くの馬場で射手が流鏑馬を行なう。巡拝終了後は、午後2時頃より日吉神社の前の道で馬馳けが始まる。役者が神社に参拝した後、馬場量が馬場を禊め、騎手の馬馳けが3回、射手の流鏑馬が5回行なわれた後、再び馬場量によって馬場が禊められ、鎧武者による馬馳けが1回行なわれる。馬馳けは南丹市の無形民俗文化財に指定されている。

更新日 平成20年9月27日

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田原のかっこすり/日吉町田原・多治神社

日吉町田原の多治神社で、毎年10月中旬の日曜日(かつては15日)の秋祭で行なわれる伝統行事。中世の風流囃子物の流れを汲むもので、京都府の無形民俗文化財に指定されている。かっこすり(羯鼓という鼓の一種の楽器を持った踊り手)4人、締め太鼓を打つ者と持つ者各6人、笛6人、さんやれ4人、歌を謡う踊り衆大勢が、4人の稚児を囲んで輪を作り、演奏に合わせて足を動かして踊る。踊りに合わせて謡われる一ノ宮の歌と二ノ宮の歌には、中世歌謡の様式が残っているという。かっこすりは多治神社で行なわれた後、天狗、裃姿の氏子たち、花傘と鉾、南丹市の文化財に指定されている神輿2基などの行列で移動し、同じく田原の小多治神社と御旅所でも行なわれる。

web多治神社

web廣野文男作品集〜思い出の中から・悠久の郷〜「秋祭り(多治神社)」

web田原の御田

web多治神社の多羅葉

更新日 平成20年10月2日

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摩気神社神幸祭/園部町竹井・摩気神社

園部町竹井の摩気神社で、毎年10月14・15日の秋祭に行なわれる神事。現在は摩気地区の中の竹井・仁江・船阪・宍人・大西・半田の氏子によって行なわれている。まず14日の早朝に宍人献饌の儀、その後10時より祭典が行なわれ、午後2時になると神輿が仁江の蛭子神社を経て船阪の御旅所まで渡御する。途中で仁江の稚児行列と合流し、船阪の稚児らが出迎える。15日の午前2時前になると当番が御旅所に参集し、祭礼を行なう。直会の後、練り(泥鰌取り)・角力・半角力(一人角力)が行なわれ、再び練りが行なわれる。午後2時になると、仁江の稚児・当番と宮司当、宮司を含んだ船阪の稚児行列が参集し、献饌・祝詞奏上・お千度・流鏑馬を行ない、摩気神社に戻る。

web摩気神社

webお田植え祭

web口の天狗杉

web奥の天狗杉

更新日 平成20年10月5日

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丹波祭り囃子/園部町美園町・生身天満宮

園部町美園町の生身天満宮で、毎年10月第3日曜(かつては15日)の秋祭の宵宮に行なわれる伝統行事。宝暦元年(1751)、園部藩主の命で生身天満宮の例祭に、城下の裏町(現若松町)・上本町・新町・本町・宮町の5町が鳴り物入りの曳山・屋台の巡行を行なったのが始まりとされる。昭和初期に一旦途絶えたが、昭和42年に有志により復活し、現在は園部町宮町の丹波祭り囃子保存会が継承している。保管されていた屋台に扁額と見送り幕を取り付けて曳山のように仕立て、屋台の上に太鼓・三味線・鉦・篠笛が座り、囃子を奏でながら宮町から新町の岩波橋までを巡行(往復)する。

web生身天満宮

web梅花祭

web弁天祭

web別当延命院

更新日 平成20年10月13日

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夫婦神事/八木町日置・大送神社、八木町氷所・幡日佐神社

八木町日置の大送神社と同町氷所の幡日佐神社で、毎年10月21日に行われる神事。日置と氷所の間で水争いが絶えなかったことから、仲違いをやめ、両村が協力しようと始まったものと伝えられ、戦国時代の天正年間(1573〜85)から行なわれていると言われている。まず、男神である幡日佐神社から女神である大送神社へ3回半(本来は7回半)使いが送られる。儀式が行なわれ、婚姻が成立すると、直会(なおらい)の後、女神たちが馬と徒歩でゆっくり幡日佐神社へ向かう。到着すると再び儀式が行なわれ、男神(行列に随行した射手)が流鏑馬を行なって来年の稲の収穫を占う。

web幡日佐氷室両神社

web大送神社

更新日 平成20年10月16日

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亥の子/園部町の天引・大河内・船岡の3区

園部町の天引・大河内・船岡の3区で、毎年11月の第2の亥の日に一年の豊作を祝って行われる伝統行事。当日は、牡丹餅を作って神様にお供えした後、牡丹餅を食べて豊作と一家繁盛を祈る。この日に餅を食べると万病を除くと言われる。夕方になると地区の子供たちが集まって、地区内の民家を回り、「亥の子の牡丹餅祝いましょう。この家繁盛するように…」などと歌いながら亥の子づち(稲藁を束ねて作った棒)で地面を叩いて、その家の繁盛を祈る。歌は地区によって少しづつ異なる。

更新日 平成20年10月26日

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