多治神社の多羅葉
日吉町田原の多治神社境内にある2本の多羅葉(たらよう)。樹齢などは不明だが、本殿の神門の前の左右に衛士のように2本並んでいる姿が珍しい。本殿に向かって右の方が幹が太く、樹高も高い。同じ時期に植えられたものと思われるが、日当たりなど条件の差かもしれない。
多羅葉は中部地方以西に分布するモチノキ科の常緑高木。葉の裏に傷をつけ、しばらくするとその部分が黒く変色するという性質がある。子供の頃に多羅葉の葉に釘などで字や絵を書いて遊んだ記憶がある人も多いだろう。多羅葉という名前は和名で、葉に物が書けるその性質から、インドで経文を書くのに使われたヤシ科の多羅樹の木に擬えて付けられたものという。
多治神社は、天智天皇の第三皇子施基親王が慶雲元年(704)に勧請したという由緒ある神社で、延喜式内社で旧郷社である。文化財も多く、2本の多羅葉に護られた本殿は安永2年(1773)に再建されたもので京都府登録文化財、御輿は南丹市指定文化財になっている。また、春の「田原の御田」は国の重要無形民俗文化財、秋の「田原の羯鼓(カッコ)すり」は京都府指定無形民俗文化財である。境内は京都府文化財環境保全地区に指定されていて、清流深山川が流れ、萱葺きの建物などもあって、心洗われる空間である。
もう1本、「田原の御田」が行なわれる拝殿の前に公孫樹(いちょう)があるが(下右の写真)、これは日露戦争の時に出征する人が植えたものであるという。まだ樹齢百年ほどの公孫樹であるが、地元の人々にとっては歴史を記録した碑のごとき木である。
多治神社は、府道19号園部平屋線沿いの田原の集落から500メートルほど離れた、人家があまりないところに鎮座する。府道19号線には南丹市営バスが通っている。神社の前にバス停はないが、市営バスの運転手さんに参拝の旨を伝えれば神社の前で停車してくれる。
廣野文男作品集〜思い出の中から・悠久の郷〜「秋祭り(多治神社)」
更新日 平成20年8月24日