園部町船阪にある鴫尾山九品寺。縁起によると、弘仁元年(810)、弘法大師の開基と伝えます。承暦3年(1079)に白河天皇が行幸され、船井郡十一郷に及ぶ広大な寺田を寄進された上、皇子の覚行親王を中興開山として復興されたと伝えられます。戦国時代に衰微しましたが、元和9年(1623)に園部藩主小出吉次の援助によって再興。しかし明治の神仏分離は九品寺にも荒廃をもたらし、第二次世界大戦後には仁王門を残すのみとなりました。
戦前戦後を通じて、多くの寺宝が流出してしまったそうです。その一部はアメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されていますが、九品寺が完全な形で残っており、寺宝も流出していなかったら、南丹市にとって素晴らしい歴史遺産になっていたことでしょう。唯一残った仁王門は鎌倉後期の建築で、重要文化財に指定されていて、九品寺の栄華の跡を語っています。
更新日 平成19年9月23日
園部町大河内の山中に鎮座する大山祗神社。天暦3年(949)に天慶の乱を起こした藤原純友の弟純索が、熊野三所権現を建立したのがはじまりとされる古い歴史を持っています。南北朝の戦いで敗れた楠正成の弟正末が敗れてこの村に落ち延びたとされる場所で、楠氏の子孫が住むようになりました。現在残っている本殿は、応永26年(1419)に楠氏の子孫の郷士下村義視・田井義高が再建したこけら葺きの建築で、重要文化財に指定されています。
周囲は自然以外に何もない山村で、現存する神社もごく小さなものですが、園部町の中心部から国の名勝地にも指定されている自然公園るり渓に上がって行く府道54号園部能勢線の途中にありますので、るり渓に行かれることがあれば歴史ファンは立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。
更新日 平成19年9月23日
園部町竹井に鎮座する摩気神社。8世紀には存在していた大変由緒がある神社で、延喜式内名神大社で旧府社です。境内は比較的良好に保存されていて、萱葺きの覆い屋や社殿が立ち並び、昔の世界にタイムスリップしたような雰囲気があります。本殿・東摂社・西摂社附覆屋は京都府文化財保護指定建造物、絵馬舎・神門・鳥居は京都府登録文化財、境内全域は京都府環境保全指定地区になっています。
摩気神社の参道も園部川に架かる摩気橋や古い民家など風情があり、この付近は皆さんもご存じの多くの時代劇のロケ地として使われています。南丹市に来られた際には訪れて損のないスポットです。
更新日 平成19年9月23日
園部町美園町の天神山山腹に鎮座する生身天満宮。日本最古の天神さんとして知られる旧府社です。園部は古く代々菅原家の荘園でした。延喜元年(901)、菅原道真が大宰府に流された時、家来の武部源蔵が道真の八男慶能を養育し、小麦山に祠を建てて祀ったのがはじまりと伝えられています。道真の生前に祀ったので、生身天満宮と言います。承応2年(1653)に園部藩に移封された小出吉親が小麦山に園部城を造営することになり、生身天満宮は現在の天神山に遷座しました。本殿はこの時(承応2年)のもので、愛宕神社・秋葉神社になっている旧聖天堂は宝永6年(1700)のものです。平成17年に本殿は京都府指定文化財に、旧聖天堂と拝殿は京都府登録文化財になっています。
祭礼には屋台なども出て、氏子に止まらない賑わいを見せます。学問の神様ということに関係があるのか、すぐ隣りには京都聖カタリナ高等学校が、天神山の裏側には京都医療科学大学があります。地元のみならず遠方からも受験生の参拝が絶えない神社です。
更新日 平成19年9月23日
美山町の由良川流域にあるダムです。ダム湖は虹の湖と言い、山々に囲まれた虹の湖とその両岸に点在する大野地区の村々の風景の美しさは格別です。
大野ダムは桜と紅葉の名所として知られ、それぞれの見頃にさくら祭りともみじ祭りを開催しています。特に昭和36年のダム完成当時から地元の人々によって植えられてきた約1000本の桜は見事で、南丹市を代表するお花見スポットになっています。虹の湖ではレンタルボートを利用してのバスフィッシングやパターゴルフを楽しむこともできます。
更新日 平成20年4月14日
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