南丹生活

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村山隆『たにし学校〜ふるさとづくりと教育の再生を求めて』

たにし学校

著者は昭和21年に長野県上田市に生まれ、上田高校・宇都宮大学農学部・同大学院(植物病理学)を修了し、化学系企業・私立高校勤務を経て、昭和50年に職業科昼間定時制の京都府立北桑田高校美山分校に赴任、同61年に全日制本校に配転するまで、美山分校で地域との交流と科学的知識を活かした教育と地域づくりに尽力した先生です。本書は著者が主導的に関わった美山分校の実践の記録です。

美山分校は過疎地に分校建設を要求してきた地元住民の7年間の運動の結果、昭和50年に新校舎が建設され、本格的に地域の教育を担うことになった学校です。昼間定時制とは、週4日昼間学び、週2日社会労働をし、4年で卒業する高校のことで、美山分校は過疎に悩む地域づくりと後継者養成と地域再生のセンターとしての役割を担い、生徒は労働と地域社会との交流を通じて実践的に学んでいました。また、一般的・画一的な教育ではなく、生徒の個性と置かれた立場などの現実を踏まえた教育であるのも特徴でした。

本書には、休耕田でのタニシ養殖やスイレン栽培、伝統野菜の大内カブラの復活など、地域づくりに直結する学習の実践が紹介され、卒業生の進路も追跡されています。もちろん農林業の衰退と過疎化という現実は厳としてあり、学校ができたからと言ってそれだけで状況が良くなったわけではありませんが、住民が一体になって主体的に地域を守り育ててきた美山ならではの教育の姿が描かれています。

あゆみ出版/昭和61年初版

更新日 平成19年12月10日

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本庄豊『ポランの広場〜瓦解した「宮沢賢治の理想郷」』

ポランの広場

美山町佐々里の山中に京都美山高等学校という私立高校があります。周囲にはほとんど人家もなく、一般社会から隔絶した感がある学校ですが、全寮制全日制普通科とインターネット通信制というユニークな内容を持ち、不登校・引きこもりの復学支援をしている高校です。本書は、京都美山高校の前身であるポランの広場の歴史と創立者末吉耕造の人間像を描いたノンフィクションです。

末吉耕造は昭和19年に長崎に生まれ、京都の立命館大学を卒業し、兵庫や京都で教師を務める傍ら、新進気鋭の宮沢賢治研究者として知られた人物。賢治のヴィジョンにインスパイアされたコミューンと教育の理想を掲げ、美山にポランの広場という教育施設を作りました。ポランの広場は昭和56年に塾として出発、問題児の面倒を見る学校として世間や親たちから注目を浴び、京都府に認可を受けてポランの広場高校になります。しかし、高校になった直後に体罰や生徒の集団脱走、末吉校長と教職員との対立などの問題が起きて学校は組織として瓦解し、末吉は排除されて、数年後に京都美山高等学校として再生することになったという歴史を持っています。

著者は群馬県出身で京都で長らく教員生活を送りながら社会運動史を研究している人で、本書では主に末吉耕造の人物に焦点を当てて、ポランの広場の興亡を描いています。著者の描く末吉像は極めて特異なもので、この本だけでは末吉耕造の実像であるかどうかは判断できませんが、ポランの広場をめぐる出来事や人物群像は、南丹市の歴史の一齣として非常に興味深いものがあります。

かもがわ出版/平成19年初版

更新日 平成19年12月13日

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中西鋼二・中西文彦『我が少年記』

我が少年記

中西鋼二は大正5年に園部に生まれ、園部小・旧制園部中学校から京都師範学校を卒業し、南丹地域で長く教師生活を送った教育者。中西文彦はその次男で、昭和21年に園部で生まれ、京都教育大学を卒業後、美術教師をしながら画家としても活躍している人です。本書は鋼二の回想記を中心に、末尾に文彦の「少年時代」という回想記が付録されている父子共著のエッセイ集です。

「あとがき」にこのように述べられています。「私は園部に生まれ、育ち、学び、勤め、老い、眠る。こんな幸福な事はない。誇りに思う。その園部での子ども時代の、素朴なその儘の暮らしぶりを、書き残したいと何時からか思うようになった。」

鋼二の大正から昭和初期の少年時代の回想や、昭和10年に教師となってからの戦前・戦中・戦後の南丹地域の社会状況や学校の様子を記した文章は、史料として大変貴重なものであるとともに、園部の変遷を記して興味の尽きないものです。本書を読んでいると、様々な行事や習俗や子供の遊びがあった戦前の園部が(その時代を全然知らないのに)懐かしく感じられます。

中西鋼二・中西文彦/平成10年初版

更新日 平成19年12月14日

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谷口哲『ふるさと教育』

ふるさと教育

著者は大正8年に日吉町四ツ谷に生まれ、京都師範学校を卒業後、戦前から船井郡などで教員生活を送り、京北町立弓削小学校長・胡麻郷小学校長や日吉町教育長を務めた人。郷土史家でもあり、町史編纂にも関わっています。本書は胡麻郷小学校長を退職するに当たり、教員生活41年の記念出版として刊行した本です。

タイトルにあるように、著者はふるさとの生活の中で真に個性的・主体的な人間として自己形成する支援をするのが教育であるという信念のもとに、教育に携わってきました。「現在社会は近代合理主義と独占経済体制によって、人間が分解、分断されている。この中にあって生きることを自覚し、生きている喜びを感じる人間を育てること。/教育の中に“ふるさと”をとりもどさねばならない。地域的色彩のこいものに目を向け、自然の中で子どもを育てる工夫をしなければならない。/「ふるさとを守る教育」これこそ校長に課せられた重要な教育課題である。」

本書には、子供が地域の労働へ参加し、郷土史や文化財にふれ、それらの体験を作文に綴ることによって地域の人間としての自覚を深めるという教育実践の記録を中心に、挨拶・座談会・エッセイ・子供の作文・新聞記事などが雑然と集められていますが、地域においてまさに小学校が「公」を担っていた時代の香りがする本です。

日本出版/昭和56年初版

更新日 平成19年12月16日

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内田嘉弘『京都丹波の山』(上下巻)

京都丹波の山・上

著者は京都市出身で現在城陽市に在住の登山家。本書は平成5年の元旦から平成7年8月にかけて、百山を越える京都丹波の山々を歩いた記録である。そのうち南丹市については、上巻に八木町(諸木山等)と園部町(高山等)の山が、下巻に日吉町(砂迫等)と美山町(白尾山等)の山が取り上げられている。

著者は丹波の郷土史や地誌類にも仔細に目を通している。本書にも随所に土地の伝承や社寺の由来などが散りばめられ、引用も豊富にされていて、登山の本にとどまらず、丹波の本として大変面白く読める。

ちなみに著者の奥さんは、女性として世界で初めてマナスルに登頂したメンバーの一人である著名な登山家内田昌子。本書で取り上げられている山の大半に彼女も同行しているという。

ナカニシヤ出版/上・平成7年初版、下・平成9年初版

更新日 平成19年12月20日

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広谷良韶『深山・芦生・越美 低山趣味』

深山・芦生・越美 低山趣味

著者は兵庫県在住の登山家で、特に低山歩きを趣味にしている人。本書は3部から成り、第1部は南丹市園部町と兵庫県篠山市・大阪府能勢町の県境に当たる深山、第2部は美山町の芦生の森と、南丹市域の山に割かれ、第3部は福井と岐阜の県境の越美国境に当てられています。

基本は淡々たる山歩きの記録ですが、時折り聞き書きが差し挟まれ、ことに天引奥山の地主である深山翁の昔語りは興味深いものがあります。また、山の地名が事細かに記されているのも特徴で、地名がないところは著者が命名するなど、山の地名に対する関心も著者の山歩きの楽しみ方の一つであるようです。

ナカニシヤ出版/平成12年初版

更新日 平成19年12月21日

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池水清愁『熟年てくてく歩き帳 気ままにゆったり丹波200山』

気ままにゆったり丹波200山

丹波は京都府と兵庫県にまたがっているが、本書は京都丹波の76山と兵庫丹波の124山の登山を記録した本である。京都丹波の76山のうち、南丹市の山は筏森山(八木)・胎金寺山(園部)・胡麻妙見山(日吉)など十数山。

著者は西宮市在住の登山家で、定年後に山登りを始め、70歳の時に慶左次盛一の著書『兵庫丹波の山』(ナカニシヤ出版、平成4年)に出会ったのをきっかけに、毎週のように丹波の山に登山するようになり、200山目の長老ヶ岳(京丹波町和知と南丹市美山の境界)まで、わずか4年で丹波の200山を登ったという。しかも、現地への行き帰りにはJRや本数の少ないバスを利用している。その行動力も凄いが、一人称俺で書かれているハードボイルドタッチの文章も若々しい。

著者は丹波の山々を歩いてみて、逆賊足利尊氏に対して敬意が持たれていることに驚き、一方、丹波を征服した明智光秀に対する恨みが残っているように感じた、と述べている。

文芸社/平成15年初版

更新日 平成19年12月22日

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田島征彦『新編 くちたんばのんのんき〜口丹波呑呑記』

新編 くちたんばのんのんき

口丹波を舞台にした田島征彦のエッセイ集、晶文社版『くちたんばのんのんき〜口丹波呑呑記』とその新潮文庫版、晶文社版『王さまが裸で歩いとるわ〜続・口丹波呑呑記』は現在入手不可能になっているが、本書は正続2冊からエッセイをピックアップして新たに一冊にまとめたもの。正編は「くちたんばのんのんき」と「くちたんばの子守唄」という二章編成になっていたが、そこから「くちたんばのんのんき」のエッセイを全編収録し、続編から8編を選んで再編集している。

飛鳥出版室/平成18年初版

更新日 平成19年12月23日

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福田晃・小林幸夫『京都の伝説 丹波を歩く』

京都の伝説 丹波を歩く

立命館大学の福田晃教授と東海学園女子短期大学の小林幸夫助教授(当時)による『京都の伝説』シリーズの丹波(京都丹波)編である。様々な書物から伝承を引用し、その伝承の地を実際に探訪した紀行文から成っている。

南丹市では、日吉から天若神社・笛吹神社、美山から佐々里の甲賀三郎、八木から文覚池・如城寺・安養寺の伝説、園部から生身天満宮・大塚大蛇権現・南陽寺鐘撞山の計9編が取られている。民俗学者らしく、新たに作られたり民話として脚色されたりしたものではない、古くから伝えられ、今も生きている本物の伝承とその意義をテーマに、本を編んでいる。

淡交社/平成6年初版

更新日 平成19年12月24日

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湯浅貞夫『丹波風物誌』

丹波風物誌

日本共産党京都府委員会の機関紙的新聞『京都民報』に1年間連載された「丹波風物誌」に、書き下ろしの「丹波社会歳時記」を加えた本。都に近く、都にとっての田舎と言えば丹波であったがゆえに田舎の代名詞ともなってきた丹波だが、政治の中心部に接しているために当然ながら日本史の舞台にしばしば登場する。本書はそうした丹波のトピックスを時代の流れに沿って紹介したものである。本書における丹波の範囲は、口丹波を中心に、綾部・福知山・天田郡や兵庫丹波の多紀郡今田町(現篠山市)までを含む。

記事は著者ならではの民衆史を中心に据えたトピックの選択と切り口で、万延の一揆、和知町の藤田おこん、丹波町の岩崎革也、美山町の宮内清兵衛などの義民やプロレタリアが多く取り上げられている。「丹波風物誌」という書名から一般的に想像されるものからはかなり偏った内容だが(風物詩ではなく誌という字が使われているが)、他では読めない郷土史の隠れたエピソードにふれることができる。

文理閣/昭和57年初版

更新日 平成19年12月26日

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