南丹生活

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廣瀬幸雄『いま蘇えるジョアン内藤』

いま蘇えるジョアン内藤

昭和55〜60年頃、八木町で日本では忘れられていた内藤ジョアンの歴史発掘とジョアンゆかりの地フィリピンのマニラとの文化交流が行なわれ、それに伴って全国的にもジョアン・ブームが起こりました。本書は、当時ようやく少しずつ知られるようになっていた内藤ジョアンの生涯を、八木城研究会会長で当時ジョアンの顕彰に中心になって活動していた著者が小冊子にまとめたものです。

戦国武将として生まれ、戦いに明け暮れながらも、クリスチャンとして愛と平和の世界を希求したジョアンの人間像が描かれています。著者はそうしたジョアンの志を受け継ぐものとして、フィリピンの子供たちの就学支援をする里親運動も行なっていました。

八木城跡に残る史跡の写真が多数収録されていて、これも興味深く見ることができます。

廣瀬幸雄/昭和62年初版

更新日 平成20年1月18日

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小泉麟雄『丹波・八木の五郎丸物語』

丹波・八木の五郎丸物語

「丹波の伝承シリーズ4」です。この巻は小学生が読むには少し難しいということから、それまでの「子どもによませる丹波の伝承シリーズ」という副題が「よんできかせる丹波の伝承シリーズ」になっています。

八木の五郎丸とは、戦国時代の八木城主内藤氏の子として生まれたキリシタン武将内藤ジョアンのことです。ジョアンのキリスト教信仰の話を中心に、フロイスやオルガンチノなどのバテレン僧、ジョアンの伯父に当たる大和の戦国大名松永久秀、ジョアンが仕えた足利義昭などとの関わりや、キリスト教禁教令によって高山右近らと共にフィリピンのマニラに追放されるまでの生涯が描かれています。

小泉麟雄/昭和57年初版

更新日 平成20年1月19日

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各務英明『殉教〜戦国キリシタン武将内藤如安の生涯』

殉教

細川氏の守護代で八木城主の内藤氏に生まれた、キリシタン武将として知られる内藤如安(ジョアン)の伝記です。著者はサンケイ新聞大阪本社の記者で、執筆当時編集局整理部次長だった人。昭和58年に如安のことを知り、如安の事跡と丹波史・戦国史・キリシタン史に没入し、現南丹市内に残る内藤氏の末裔たちや口丹波の郷土史家たちの協力も得て、本書を執筆しました。

内藤如安については不明なことが多いのですが、これは江戸時代にキリスト教が禁教され、クリスチャンが激しい弾圧を受けたために、残された丹波内藤氏が一族の歴史から如安を抹殺したからです。しかし、子孫たちはクリスチャンとしての如安は抹殺しましたが、武将としての如安の事跡は架空の人物に仮託して残しています。本書はそうした地元に残る数少ない古文書や宣教師たちが残した史料から、内藤如安の生涯を明らかにしようとしたものです。史料が乏しいため推測も多いのですが、地政学的に都に近い地域の小大名として戦国の荒波に揉まれた時代、秀吉の朝鮮出兵の時の使節として和平工作に関わった時代、高山右近らとともにフィリピンのマニラに追放されて晩年を過ごした時代などを、如安の信仰を軸に描いています。

朝日ソノラマ/昭和63年初版

更新日 平成20年1月21日

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楠戸義昭『聖書武将の生々流転〜豊臣秀吉の朝鮮出兵と内藤如安』

聖書武将の生々流転

著者は毎日新聞記者で、本書執筆当時学芸部編集委員だった人。本書は平成8年4月から9年9月まで毎日新聞日曜版に連載された「新世紀をつかむ男〜内藤如安の歩いた道」を大幅に加筆した内藤如安の評伝です。著者は早くから如安に興味を持ち、すでに昭和58年には亀岡市・八木町地域で出されていたミニコミ紙「エクセラン亀岡」に32回にわたって如安論を連載していたそうです。

著者は国際政治の力学を冷徹に見極める史眼の持ち主で、それを駆使して大航海時代のヨーロッパの動向や東アジアの政治・軍事を分析し、豊臣秀吉の朝鮮出兵やキリシタン史などを中心に、世界における日本を描いています。如安の記録はそれほど多く残されていませんが、「この本はフィクションではない。頑固なまでに史料にこだわることにした」と言う著者は、如安が関与した出来事の周辺史料を徹底的に追求することで、如安の生涯を見事に描き出しています。歴史文学としても大変面白く、現時点までの内藤如安伝の決定版と言えるでしょう。

講談社/平成12年初版

更新日 平成20年1月22日

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船越昌『鳥ヶ岳〜丹波ヨブの生涯』

鳥ヶ岳

明治時代の胡麻村(現日吉町胡麻)の農家に生まれ、当時不治の業病として天刑病と言われたハンセン病に罹かり(現在では完治する病気です)、苦難の中でキリスト教の信仰に生き抜いた丹波ヨブこと野林格蔵(作中では野口勝造)の生涯を描いた小説です。鳥ヶ岳とは胡麻にある山で、裾野に晩年のヨブが庵を結んで暮らした場所。その他、日吉神社や竜沢(龍澤)寺など東胡麻が主な舞台になっています。丹波地方におけるキリスト教(丹波教会)の布教史とキリスト教徒への迫害の歴史も描いています。

著者は昭和6年に兵庫県に生まれ、苦労人として人生を歩む中でキリスト教に入信し、執筆当時は兵庫県氷上郡春日町黒井(現丹波市)で書店を経営する傍らキリスト教文学を発表していた人。本書でも、日本の伝統的な宗教や社会を批判しつつ、キリスト教の教義を説いています。

主婦の友社/昭和47年初版

更新日 平成20年1月25日

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田中宇『マンガンぱらだいす〜鉱山に生きた朝鮮人たち』

マンガンぱらだいす

著者は元共同通信社記者で現在フリーの国際情勢解説者・評論家として活躍している人。多くの読者を持つメールマガジン『田中宇の国際ニュース解説〜世界はどう動いているか』でも有名です。著者は昭和62年から平成2年まで共同通信社京都支局に勤めていましたが、その時に戦前から戦後にかけて口丹波のマンガン鉱山に労働者として多くの在日朝鮮人が来ていたことを知り、その後もそのまま口丹波に残って定住していた在日朝鮮人を中心に取材します。本書はその時の取材をもとに書かれたノンフィクションです。

丹波のマンガン鉱山は戦前から昭和50年代まで採掘されていましたが、そこに多くの朝鮮人が労働者や事業者として関わっていました。取材はマンガン鉱山の労働者だった在日朝鮮人が京北町に設立した丹波マンガン記念館から出発していますが、日吉町・美山町・園部町など現在の南丹市域が主な舞台です。口丹波のマンガン鉱山の歴史の上に去来した朝鮮人と日本人の群像をリアルに描き、この地域に暮らす者の生活実感にも合う同時代史になっています。口丹波の在日朝鮮人一世たちの記録として貴重な一冊です。

風媒社/平成7年初版

更新日 平成20年1月27日

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西村隆夫『旅する益軒『西北紀行』〜山城・丹波・丹後・若狭・近江を巡る』

旅する益軒『西北紀行』

江戸時代の本草学者・儒者の貝原益軒(1630〜1714)は旅好きとして知られ、いくつかの紀行文を残しています。その中に、元禄2年(1689)60歳の時に京都を出発して丹波・丹後・若狭・近江を巡った『西北紀行』があります。本書は名所旧跡の解説を含めた『西北紀行』の注釈本です。南丹市域では八木と園部についての記述がありますが、丹後・若狭に比して丹波は総じて良い扱いを受けていません。著者はこれについて、「こと丹波国についての益軒の叙述は冴えない。これも旅の目的・視点が丹後・若狭の名所旧跡自然美探勝にあったという理由を考えると視点の程が理解できる」と述べています。これは益軒にとって丹波という土地が名所的要素が乏しかったということですが、実はこれは丹波に名所になり得る場所がなかったということではなく、一般的に丹波があまり名所として見られていなかったということでしょう。これはこの地域が観光地というには都に近過ぎたこと、パノラマ的絶景ではなく里山や渓流のようなさり気なく可愛らしい自然を美と捉える視線が当時はまだそれほどなかったこと、丹波の方にも(名所と見做されていなかったがゆえに)観光地として受け容れ態勢を整備するという意識が乏しかったことなどによると思われます。

著者は高校の教諭を退職後、亀岡市文化財保護委員を務めていた国文学者。著者の注釈の部分はエッセイとしての興趣にも富み、非常に面白く読めます。

和泉書院/平成9年初版

更新日 平成20年2月3日

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奥谷高史『丹波古銘誌』

丹波古銘誌

著者は明治38年生まれ、逓信省の出身で、刊行時は氷上郡市島町文化財審議委員を務めていた人。歳月と共に失われてゆく古銘(金石文・石碑・梵鐘などに刻まれた文章)を残すという使命感によって調査研究したという。

本書は神仏像・鐘・鰐口・石塔などの古銘の紹介の他、「古銘探訪記」「丹波古銘年表」から成っているが、独力で収集しているため地域に偏りがあり、南丹市域では、日吉町は8銘文、美山町は2銘文収録されているが、園部町・八木町からは一つも収録されていない。

「古銘探訪記」は紀行文で、4編のうち2編は南丹市域への紀行である。「山奥に鰐口を訪ねる」は、日吉町四ッ谷海老坂の玉岩地蔵と生畑上稗生の如意寺の鰐口の銘文を収集しに行った時の紀行で、玉岩地蔵の鰐口は元は棚野村一宮大森大明神(美山町の諏訪神社)の鰐口だったことや、如意寺の鰐口は明徳2年(1391)のもので、丹波では兵庫県氷上郡山南町石龕寺の建武4年(1337)に次いで2番目に古いことなどが書かれている。「北桑田紀行」は、美山町の知井八幡宮の鰐口を見せてもらおうとしたがすでに紛失していたことや、知見峠の石標を探しに行ったが見つけられなかったなどのエピソードが収められている。いずれも、紀行ならでは面白さがある文章である。

綜芸舎/昭和50年初版

更新日 平成20年2月7日

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谷口哲『ひよし昔ばなし』

ひよし昔ばなし

三年間38回にわたって日吉町の「広報ひよし」に連載したものに、資料を付け加え、5編の文章と町指定文化財一覧を追録したものです。

昔ばなしというタイトルですが、伝説・民話だけではなく歴史的事実の記録も多く含んでいます。昔ばなしの採録は日吉町全域をフォローしており、郷土愛に裏打ちされているからだろうと思いますが、一つ一つの文章が躍動していてとても面白く、著者の代表作と言えるものに仕上がっています。「発刊のことば」を寄せている当時の湯浅宏町長が「角度を変えたミニ日吉町史といえるのではないか」と記していますが、そういう趣もある一冊です。

日吉町/昭和61年初版

更新日 平成20年2月11日

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谷口哲『ひよしの碑』

ひよしの碑

昭和63年3月から平成2年3月まで「広報ひよし」に連載された日吉町の碑(いしぶみ)を紹介するコラムに加筆したもの、京都府が選定した「丹波散策の道」のコースを解説したもの、同じく「広報ひよし」に連載されていたもので『ひよし昔ばなし』の姉妹編とも言える日吉町の民俗行事を紹介したコラムなどから成る本。日吉町の碑としては先人碑・忠魂碑・記念碑・社寺碑などが取り上げられている。

日吉町合併三十五周年記念として刊行されたもので、当時の湯浅宏町長が発刊のことばを寄稿している。

日吉町/平成2年初版

更新日 平成20年2月14日

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