南丹生活

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松本貞輔『猟跡』

猟跡

著者は明治43年、富本村(現八木町氷所)出身の猟人。昭和5年、京都府師範学校を卒業して教師となり、昭和10年に園部町の松本家に入婿した(旧姓人見)。昭和16年に教師を辞め、満州に渡って実業の道に入った。子供の頃から銃を持ち、刊行時まで猟暦78年の現役の猟人として活動した狩猟界に知らぬ者のいない猟人であり、全日本狩猟倶楽部副会長も務めた。日本画家人見少華の実弟でもある。

本書は、全日本狩猟倶楽部の機関誌『全猟』を中心に、京都野鳥の会の機関誌『三光鳥』などに著者が寄稿したエッセイや短歌など約300稿の中から編集されたものである。昭和22年から平成7年の文章が収められている。

内容的には、愛犬・猟犬・猟銃猟友・名人や大物猟人・家族・野鳥・鹿猟・猪猟・トライアル(猟野競技)・戦前の満州での猟体験などについての随筆である。テッポイチと呼ばれた田中市太郎やトメヤンと呼ばれた田中留吉(北桑田郡長)などの歴史に残る丹波の名人、福井兵左衛門・吉田金治郎・横山信一など丹波の猟人たち、その他、全国の大物猟人たち、三橋美智也(歌手)・山階芳麿(山階鳥類研究所)・中西悟堂(日本野鳥の会の創立者)など著名人との交友が綴られている。

丹波は森深き山国であり、長い狩猟の伝統があった地域である。本書には丹波の狩猟史の最後の輝きが書き留められており、今は忘れられつつあるもう一つの丹波史として興味深い記録である。

松本貞輔/平成8年初版

更新日 平成20年9月13日

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松本貞輔『猟跡 続』

猟跡 続

狩猟界で好評を博した『猟跡』の続編。昭和4年から平成9年の文章が収められていて、前著に入れられなかったものを集めた本である。

内容的には、昭和49年の末に本町・宮町の商店街を猪が走り回った話などのエピソード、全猟顧問の八代尚二や宮内庁の鷹匠花見薫との対談、猟銃事故やマナーについてのエッセイなどで、前著と同時期の文章なので重複している部分も少なくない。愛弟子として現南丹市議会議員の森嘉三が登場している。

松本貞輔/平成9年初版

更新日 平成20年9月16日

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川島蓉子『虎屋ブランド物語〜和の世界を発信しつづける老舗の「変わらない心、あたらしい心」』

虎屋ブランド物語

虎屋は、室町時代に京都で創業し(それ以前にも前史があるようです)、明治時代に東京に移転、現在では国際的にも事業を展開している日本を代表する高級和菓子店です。ルーツである京都には今でも拠点を置いていて、市内に2軒の直営店があり、平成20年には南丹市の八木町北広瀬の山中に自然環境と調和する工場をコンセプトに餡から羊羹まで一貫して製造できる工場を竣工、ここには直売所もあります。

虎屋は、「和菓子を取り巻く文化」を伝えることを企業の一つの使命としています。早くに1980年にパリ店を、93年にはニューヨーク店を開店して積極的に和ブランドとしての情報発信を行ない、ここ数年は六本木ヒルズのトラヤカフェやとらや東京ミッドタウン店など従来の和菓子にはなかった新しいコンセプトの店を開き、現代文化と伝統文化を融合させて、日本の若い世代にも和を伝える事業展開を行なっています。

本書は、ファッションやデザインという視点からマーケティングを分析している著者が、虎屋のデザイン戦略を中心に、その魅力や発展の鍵を論じたものです。本書を読むと、虎屋の考える伝統とは革新の連続であり、本質を見失わずに常に新たに創造していくことであることがわかります。国際的に、そして日本の若い世代に対しても日本文化を発信している虎屋は、日本の企業が文化の力、ソフト力によって世界で競っていく時代にしっかり棹差しているということでしょう。その経営は、和ブランド、日本文化に関連する事業を行なう企業や自治体などにとっても参考になるものと思います。平成21年には御所のそばの京都店がリニューアルオープンし、ここでも新しいコンセプトが用意されているようなので、楽しみなところです。

東洋経済新報社/平成20年初版

更新日 平成20年9月24日

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八木町編『八木町誌』

八木町誌

昭和25年に初版が出ている『八木町誌』を、臨川書店から昭和62年に復刻したものです。編集は八木出身の神職・郷土史家で、奈良の官幣大社石上神宮宮司などを務めた八木豊太郎。

内容は神話・歴史・社寺・文化・産業・教育・生活・郷土の偉人など。文語調を交えた文体、随筆風の記述の仕方、正漢字に歴史的仮名遣など、現代的な郷土史誌に慣れた目からは古色蒼然たるものがありますが、現在までの唯一の『八木町誌』です。文献や古文書が多数収録されていて、引用のみの項目もあります。

復刻版には当時の細見健町長が言葉を寄せています。

臨川書店/昭和62年初版

更新日 平成20年10月1日

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梅木幸吉『詩人・教学の士 劉君鳳』

劉君鳳

劉君鳳は幕末維新期の豊後国戸畑村(現大分県玖珠町)出身の儒者である。君鳳は字(あざな)で、石秋と号した。園部では劉石秋として知られている。豊後の儒者広瀬淡窓の咸宜園に学び、淡窓門下十哲の一人として名が高かった。安政元年(1854)に園部藩の藩校教先館の教授となり、園部藩士の子弟教育に従事した。長男の冷窓も教先館の教授となっている。死後、その功績により藩主小出氏から園部内林に墓地を与えられ、墓所には石秋・冷窓父子のみならず、その後の子孫も含めて今も祀られている。

本書は、劉石秋に関して、劉家の歴史、石秋の学問や詩やその生涯、石秋の子孫の消息などをまとめた評伝である。石秋の年譜も付せられている。著者は大分県別府市の篤学の士のようであるが、詳細はわからない。劉石秋の伝記として貴重な一冊である。

梅木幸吉/昭和53年初版

更新日 平成20年10月15日

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ふるさと美山の学習資料編集委員会編『わたしたちの美山町』

わたしたちの美山町

昭和55年に作成された美山町の小学生向け学習資料。

「町のようす」「町のくらし」「すみよい町づくり」「町の歴史」の4部編成で、民俗・文化・産業・行政など美山町の歴史と現状が詳細に紹介されている。この種の社会科副読本の中では、これを読んだ小学生が自分たちの住んでいる美山町のことを愛着を持って理解・実感できるような内容になっている。当時から美山町の問題であった過疎化・高齢化はさらに進んでいることと、その後かやぶきの里を中心に急速に発展した観光の分野や道路整備などを除いて、昭和55年当時と美山町の状況がそれほど変わっていないことがわかる。

美山町教育委員会/昭和55年初版

更新日 平成20年10月24日

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船井郡小学校教育研究会編『わたしたちの船井』

わたしたちの船井

南丹市と京丹波町が誕生する直前に、園部・八木・日吉・丹波・瑞穂・和知6町が船井群であった頃に作成された小学校3・4年生用の社会科副読本。

6町の簡単な紹介、この地域の仕事や暮らし、消防・警察・ゴミ処理・浄水場、先人の足跡、京都府の概要など、小学生が郷土に対する知識と理解を深め、この地域に生活していく市民としての自覚を養うための目的で編集されている。

船井郡6町教育委員会/平成15年初版

更新日 平成20年10月29日

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南丹市小学校社会科副読本編集委員会編『わたしたちの南丹市』

わたしたちの南丹市

平成18年1月1日の南丹市の誕生を受け、小学校3・4年生用の社会科副読本『わたしたちの船井』を新市用に改訂したもの。当然ながら、船井郡にとどまって3町で合併した京丹波町(旧丹波町・瑞穂町・和知町)が分離し、新たに北桑田郡だった美山町が加わっている。

構成は『わたしたちの船井』とほとんど同じで、船井郡6町から南丹市4町に地域が変わったことによる情報の修正が加えられている。

南丹市教育委員会/平成18年初版

更新日 平成20年10月30日

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園部町教育委員会編『園部の歴史〜郷土史の資料』

園部の歴史

園部町で使われていた社会科副読本。小学4年生になると郷土の歴史を学ぶが、これはそのためのテキストとして作成されたものである。

古代・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・室町時代後期・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和戦前・昭和戦後という章分けで、平易に書かれてはいるが、大人向けの歴史読本と変わらないレベルの内容である。総説としての本文があり、それに資料を付すというスタイルになっている。

「発刊に寄せて」は野中一二三園部町長、「序」は高木茂教育長が寄せ、編集は教育委員会の西田信夫社会教育指導員が当たっている。

園部町/平成3年初版

更新日 平成20年10月31日

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園部町教育委員会編『園部の歴史〜郷土史の資料(新版)』

園部の歴史

平成3年版の社会科副読本の新版。旧版はハードカバーだったが、新版はソフトカバー本である。

構成が変わり、古代が旧石器・縄文時代、弥生時代、古墳時代の三章になり、鎌倉と室町が分かれていたのが鎌倉・室町時代の一章になり、室町時代後期と安土桃山時代分かれていたのが戦国・安土桃山時代の一章になり、昭和の戦前と戦後に分かれていたのが昭和の一章になっている。そして、通史的・概説的な本文と、欄外にエピソードや文化財の話などの豆コラムを付すというスタイルになっている。

「発刊にあたって」を当時の野中一二三園部町長が寄せている。

園部町/平成10年初版

更新日 平成20年11月2日

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