南丹生活

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不知火京介『ただいま』

ただいま

南丹市ゆかりのミステリー作家不知火京介の初の短編集。純然たるミステリーではなく、ファンタジーやSFの要素が入った小説が6編収められている。

作者が土地勘を持っている南丹市から京都市の西京区・右京区辺りを舞台にしている作品が多い。南丹市域が登場すると思われる作品は「蛍」と「ただいま」の2編あり、「蛍」は園部や亀岡に近い山間部にあるという栃林という村を、「ただいま」は京都府の中山間部の小さな町にあるという滝本小学校の同窓会をきっかけにした話を描いている。いずれも実在の地名・学校名ではないが、南丹市の恐らく八木町をモデルにしていると思われる。

抒情的な恋愛小説が中心で、ミステリーファンではない人にも読みやすい短編集になっている。

光文社/平成20年初版

更新日 平成20年11月6日

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口丹波文化財保護行政関係者連絡協議会編『口丹波の民俗行事』

口丹波の民俗行事

口丹波一市八町(平成12年当時は、亀岡市、北桑田郡京北町・美山町、船井郡園部町・八木町・丹波町・瑞穂町・和知町があった)に継承されている民俗行事を紹介したもの。代表的な民俗行事は見出しを付けて解説し、それ以外は各章末に民俗行事一覧が付けられている。南丹市域では、美山町から道祖神楽など5件、園部町からお田植え祭など6件、八木町から六斎念仏など3件、日吉町から田原の多治神社の御田など5件が取り上げられている。

当時、亀岡市文化財保護委員会会長を務め、本冊子編集・発行の口丹波文化財保護行政関係者連絡協議会の会長永光尚を中心に、各市町教委の文化財担当者が執筆している。

口丹波文化財保護行政関係者連絡協議会/平成12年初版

更新日 平成20年12月21日

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森本安夫『ザ・ペーハー あなたのはいくつ?』

ザ・ペーハー あなたのはいくつ?

著者は園部町在住の学者(理学博士)で、南丹市にある明治国際医療大学の元教授。明治国際医療大学では教養科目として物理学を教えていた。理科系の大学とは言え、物理学は専門外でもあり、苦手な学生が多いということから、鍼灸師の卵たちにこれぐらいのことは学んでほしいという力学の基礎と、仕事にも役に立つであろう血液のペーハーの制御について、学生にもわかるように教えることにしたという。そのようにして試行錯誤しながら学生に教えてきた講義内容から、血液のペーハーの制御の部分をまとめたのが本書である。

ペーハーとは、簡単に言うと酸性・アルカリ性というあれである。人間の血液はホメオスタシスによって一定の範囲でバランスを保っているのだが、それが酸性やアルカリ性に偏ってしまうと、病気になったり死んだりしてしまう。本書は人間の身体がそのバランスをいかに保っているかということをテーマに、基礎的な科学知識が解説されている。

平易に解説したということであるが、難易度はかなり高い。理科系の高校生レベルの数学・物理学・化学の知識は必要な内容である。

新風社/平成15年初版

更新日 平成20年12月25日

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木村伸夫『ひだまりの樹陰〜戦前・戦中・戦後を生きたひとりの女性』

ひだまりの樹陰

サブタイトルにあるように、戦前・戦中・戦後を生きた一人の女性の生涯を軸に描かれた小説です。主人公は鈴子という女性で、大正2年に生まれ、84歳で亡くなったということになっているので、亡くなったのは平成9年頃でしょう。主な舞台は京都で、鈴子とその家族の歴史が淡々と語られています。平凡な庶民の一代記ですが、戦中戦後の体験を共有している世代ならば誰にでも共感を持って読むことができるものでしょうし、戦後世代でも、祖父母や両親の世代の記録として、興味深く読めると思います。第三章は「平屋村」というタイトルで、戦時中に北桑田郡平屋村(現南丹市美山町)に疎開した時期のことが描かれています。

著者については全然わからないので、実在のモデルが存在するのか、完全なフィクションなのかもわかりませんが、一庶民の生活を時代相と重ね合わせてドキュメンタリー的に描かれており、読んだ印象としては何らかの実話に基づいているのではないかと思われます。

MBC21京都支局・すばる出版/平成19年初版

更新日 平成21年1月5日

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水野丹石『渓流紀行〜京都・滋賀の釣り』

渓流紀行

著者は京都市在住のアートディレクター、フォトエッセイスト。20年以上に及ぶ渓流釣りのベテランで、本書は著者が愛する京都・滋賀の渓流とそこでの釣りの様子を紹介したものです。

京都府では美山町を中心に、京北町・亀岡市などの渓流を歩いています。「故郷がある人も、故郷がない人も、渓流に息吹くこの大いなる自然は、第二の故郷だと思って、いつくしみ愛してほしい。/そこには、美しい故郷の川を守り育んでいる里人のあることに感謝しつつ、里人との対話も大切にしてほしい」と「はじめに」にありますが、ここに本書のスタンスのすべてが語られています。美山町の芦生の森のような大自然の中での釣りから、里の人家のそばでの釣りまで、渓流釣りの楽しみと魅力が伝わってくる紀行です。

京都新聞出版センター/平成9年初版

更新日 平成21年1月13日

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谷本政春編集撮影・神山登監修『文化財 丹波の錦』

文化財 丹波の錦

京都府・兵庫県にまたがる丹波地方の古文化財を紹介した写真集です。監修は美術史学者で当時大阪市立博物館に勤務していた神山登、編集撮影は丹波出身・在住のカメラマン・印刷会社経営者の谷本政春。本書の前に『文化財 但馬の錦』を刊行しているコンビです。

仏像を中心に、建築・仏画・経巻・宝篋印塔・鰐口・燈篭・絵馬など丹波地方の古文化財が、カラー写真と解説を付して紹介されています。本書刊行当時は、圧倒的な文化財を誇る京都・奈良の影に隠れて等閑に付されていた丹波の歴史や文化財にようやくスポットライトが当て始められた時期でしたが、本書もそうした丹波ムーブメントの中で大きな役割を担いました。刊行後に国や府などの文化財に指定されたものも多く含まれています。

南丹市域では、美山町から西乗寺の阿弥陀如来坐像など10件、日吉町から楽河寺の薬師如来坐像など12件、園部町から大山祗神社本殿など10件、八木町から帝釈天堂毘沙門天立像など4件が取り上げられています。

丹波の美術品をヴィジュアルで知るのに無比の一冊です。

谷本紙業/昭和56年初版

更新日 平成21年1月25日

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三条杜夫『夢結び 宝の道七福神めぐり』

夢結び 宝の道七福神めぐり

宝の道七福神会とは、兵庫県篠山市の西方寺住職大槻義美師の呼びかけによって、「寺を開かれた存在にし、再び老若男女に親しんでもらおう」と、その趣旨に賛同した35の寺院が合同して平成7年に結成した霊場巡りである。35の寺院は、丹波寿七福神・丹波光七福神・但馬七福神・播磨七福神および番外(特別協賛)の七福神に分かれ、地域も京都・滋賀・兵庫・福井にまたがっている。南丹市域では、丹波寿七福神に八木町の京都帝釈天(毘沙門天)、園部町の南陽寺(布袋尊)、日吉町の龍澤寺(福禄寿)の3寺が入っている。

本書は宝の道七福神に参加している35の寺々の縁起・本尊・住職・年中行事を紹介するとともに、周辺の見所やグルメなども紹介し、旅行感覚で楽しみながら巡礼を行なえるように工夫した案内になっている。著者は放送作家・フリーアナウンサーで、宝の道七福神会の企画段階から協力した人である。

朱鷺書房/平成10年初版

更新日 平成21年2月8日

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園寿会編『丹波船井ごおり西国三十三ヶ所霊場』

丹波船井ごおり西国三十三ヶ所霊場

観音霊場と言えば平安時代に成立した西国三十三所観音霊場が本家ですが、南丹市エリアにも船井ごおり西国三十三ヶ所観音霊場があります。「船井ごおり」とあるように、旧船井郡の範囲、すなわち南丹市になっている旧船井郡の園部町・八木町・日吉町、および現船井郡京丹波町になっている旧丹波町に分布しています。

船井ごおり西国三十三ヶ所観音霊場は忘れられた三十三所観音霊場でしたが、昭和63年に園部町美園町の園寿会が地域史の掘り起こしとして船井ごおり西国三十三ヶ所観音霊場を回って木碑を建て、御詠歌を掲載した本を出したのが本書です。内容的には草書体で墨書した御詠歌のみが掲載されています。

園寿会/昭和63年初版

更新日 平成21年2月12日

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北桑災害誌刊行会編『北桑災害誌』

北桑災害誌

かつて伊勢湾台風や室戸台風など数千人の死者を出すこともあった台風災害。昭和20年代には南丹地域にもヘスター台風(昭和24年)・ジェーン台風(昭和25年)・台風十三号(昭和28年)と立て続けに襲来した。なかでも台風十三号は北桑田郡で死者12人(全国で死者393人、行方不明者85人)、総人口の約40パーセントに当たる罹災者8698人という大きな被害をもたらした。

本書は十三号台風被災の一周年記念として、台風十三号を中心に上記3台風が当時の北桑田郡1町11村にもたらした災害を、総論編・災害編・対策編・町村編・余録編に分けて、様々な角度から考察したものである。台風十三号は近代以降の京都府内最大の台風であり、古老でさえ経験したことのないものであったということで、記憶に新しい1年後に出版された本書からはその恐ろしさが伝わってくる。

北桑災害誌刊行会/昭和29年初版

更新日 平成21年2月16日

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北桑田近代教育誌刊行会編『北桑田近代教育誌』

北桑田近代教育誌

北桑田郡は美山町と京北町から成る郡でした。現在、美山町は園部・八木・日吉と合併して南丹市となり、京北町は京都市に編入され、北桑田郡は消滅しましたが、本書はその北桑田郡の近代教育の歴史を総説した本です。

黎明期の幕末の寺子屋から説き起こし、明治5年の学制頒布から徐々に近代教育体制が形成されて行く過程、戦時下の教育、戦後の新しい教育から現代の教育までを、学校教育と社会教育や文化活動までを含めて、様々な資料を駆使して詳説しています。

北桑田郡の土地柄として、僻村であるがゆえの自治水準の高さ、そして教育に対する意識の高さ、志の高さがあります。自分たちの活動が即地域の歴史となるので、教師や郷土史家、そして住民たちが自分たちの言葉で自分たちの歴史を語るのが北桑田の伝統文化ですが、本書にもその精神が脈打っています。

北桑田近代教育誌刊行会/平成3年初版

更新日 平成21年2月20日

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