京の田舎、具体的にいうと丹波・丹後地方に都市から移住した「新田舎人」たちのライフスタイルを、田舎暮らしに関心を持ち、自らも関わっている五人の執筆者が紹介した本。
新田舎人たちは、農をベースとしながら、エコロジー、食の問題、スローライフなどの価値観に裏打ちされた生き方を実践、発信し、文化創造の担い手にもなっています。京都周辺の田舎は、長い間、都との関係によって形成されてきた文化的土壌があるとともに、今も都市に近い田舎としてのポジションから、文化的な(風雅な)田舎暮らしに適した土地柄であるようです。また、田舎と言えば閉鎖的な地域社会との関わりが厄介と思われがちですが、昔と違うのは、高齢化・過疎化が進む中、若さと様々なスキルを持った新田舎人たちは即戦力として活躍を求められていることで、田舎の伝統を継承しつつ自分たちでどんどん機会を切り開いていく余地が大きいのも、今の田舎暮らしの魅力でしょう。
南丹市からは、日吉町の音楽家で「かやぶき音楽堂」のザイラー夫妻、美山町のネイチャーガイドで「田歌舎」の藤原誉さん、美山町の陶芸家で「厨房ゆるり」の梅棹マヤオさん、美山町の観光農園「江和ランド」の鹿取悦子さん、美山町の一日一組の宿「美山粋仙庵」の山田夫妻の5組が紹介されています。
勿論、南丹市に暮らす「新田舎人」はこの5組だけではなく、何らかの考え方やヴィジョンを持ってこの地に暮らしている人は、Uターン組も含めてたくさんいますが、京の田舎での新しい生き方の一端を知ることができる一冊です。
更新日 平成21年11月16日
著者は昭和20年に京都府に生まれ、現在は大阪府能勢で農業・自営業をしながら作家活動をしている歴史小説家です。これまでに『摂丹の霧』『明智の娘ガラシア』と摂津や丹波に関係する作品を出版していて、これで3冊目になります。挿絵の山田啓治も郷土で活動する画家のようです。
明智光秀が丹波攻めを始めた頃から本能寺の変を起こして羽柴秀吉に敗れるまでの期間を、主に丹波を舞台に描いた歴史小説です。丹波の中でも亀岡市・南丹市・篠山市が中心になっていて、口丹波では八木の内藤氏、園部の荒木氏、亀岡・南丹にまたがる本梅の野々口氏などの戦国時代の武将たちが登場しています。
丹波攻めは光秀側からのエピソードとして触れられることはあっても、丹波攻めそのものを丹波の土豪からの視点も含めて描いた歴史小説は少なく、郷土史的な興味を持って読める作品です。
更新日 平成22年12月9日
著者は昭和18年に園部町に生まれ、園部高校を卒業後、会社員として定年まで勤務、その後先祖に当たる幕末維新期の国学者岡田惟平の事跡を調査し、平成20年にそれを一冊にまとめた(本書)。翌々年平成22年に亡くなっている。
岡田惟平は文政5年(1822)に現兵庫県宝塚市に生まれた本居末流の国学者・歌人で、園部に滞在していた時に若き日の出口王仁三郎に国学や和歌を教えたことで知られる。惟平の次男は縁あって園部町美園町の曹洞宗寺院南陽寺の住職となった。惟平は孫が住職をしていた園部町黒田の曹洞宗観景寺で、明治42年(1909)に没している。
著者は先代の南陽寺住職の弟で、惟平のひ孫になる。本書は惟平の足跡を辿った伝記や逸話の部分と和歌などの作品の紹介から成り、惟平を漂白の乞食坊主扱いするなど飾らない書き方がされている。
現在、惟平の碑が故郷宝塚市大原野の阿弥陀寺に顕彰碑が、園部の南陽寺に歌碑が建てられている。また、惟平が国学を教える際に使っていたと思われる動詞活用表「詞の玉度」が南丹市文化博物館に所蔵されている。
更新日 平成23年2月25日
昭和41年に結成した園部町美園町の老人会「園壽会」が、平成11年から行なってきた「美園いきいき短歌会」の開催百回を記念して刊行した歌集。平成11年12月14日の第一回から平成22年9月28日の第百回までに詠まれた短歌792首が収められています。
平成14年7月17日の第二十四回までは匿名で掲載されており、それ以降は作者の名前が記されています。日々の暮らしの中で目に留まった事象や経験したことをありのままに報告した作品、老いの心境を語った作品が多くを占めていますが、回を重ねるごとに文芸としてのレベルが上がっていることがわかります。土地との結びつきを詠んだふるさとの歌というところにこの歌集の大きな魅力があります。また、ふるさとに生きる一人一人の思い、歩んできた歴史の跡が、短歌を通して直接に身近に伝わってきます。地元らしい歌をいくつか挙げておきましょう。
春浅き 馳走の蕗みそ 味わいて 囲む夕べを 友と和めり/詠み人知らず
小旗ふり 渡り初めより 幾星霜 古希を迎えし 園部大橋/詠み人知らず
日吉ダムの 湖底に沈める 長き道 牛を診んとて 自転車こぎし/諏訪新
一目でも さくら花咲く 故郷を 凍土に眠る 戦友(とも)に見せたや/下西啓祐
会員の一人でもある西浦汀さんが講師として歌の指導をして来られたようですが、西浦さんの短歌は平成21年3月24日の第八十七回から特に深まっているように思いました。それまでも巧みに詠まれていますが、この時期から世界を寿ぐような、楽しく、軽やかな、自在な境地に入られたように感じます。西浦作品を何首か挙げておきます。
白梅の 蕾一気に 散りそめり 苔庭の一隅 花あかりして
花の精 虫の精たち 飛びかえる うるはし入場券(キップ) 植物園はまねく
ちろちろと 夕陽煌く 園部川 まどいゆたかに あかりつきゆく
亡き夫の 遺歌集くりつつ 過ぎし日を 静かにいとしむ 秋海棠の赤
陶工の 心捉えし 赤き柿 入り陽に映えて いよよ輝く
うす紅の 花を抱ける 雪割草 孫等と登りし 白馬のうかぶ
巻頭に西山繁園壽会会長の発刊の辞、そのあとに佐々木稔納南丹市長、森榮一南丹市教育委員会教育長、田中博南丹市福祉協議会会長、広瀬強美園町区長・自治会長が発刊を祝する文を寄せています。
更新日 平成23年8月24日
「淡交ムックゆうシリーズ」から出ている京都・滋賀の隠れ里と言われるような山里を探訪するムック本です。美しい写真とともに里にまつわる歴史・伝承・文学などを解説し、京都からは小野・山国・畑野・花背・大原・笠置など、滋賀からは油日・政所・醒井・菅浦・朽木など、併せて約40箇所の里が紹介されています。
南丹市域からは、八木町から木喰仏の諸畑、大送神社の綱引き神事の日置、氷室があった氷所、日吉町から丹波猿楽の殿田、松明行事の牧山、美山町からかやぶきの里と芦生原生林が取り上げられています。
必ずしも観光地ではない隠れた山里を歩く楽しみを教えてくれるガイドです。
更新日 平成23年12月14日
園部町宮町にある「くりや」は、地元園部はいうまでもなく、亀岡市や京都市、また全国的にも知られている和菓子の名店です。本書は、その四代目主人によるエッセイ集です。
くりやは安政2年(1855)に園部の地に石川旭泉堂として開店し、三代目が丹波名産の栗を使った栗納豆を考案したのをきっかけに大正14年(1925)に店名をくりやと改め、現在は園部町宮町の園部本店の他、亀岡市内に亀岡店(安町)と亀岡駅前店、京都市内に桂店(千代原口)と丸太町店(丸太町堀川東入ル)の5店舗を持つ和菓子屋です。商品としては、三代目考案の栗納豆「金の実」が有名でしょう。
著者の山名長雄さんは、大正12年に園部町に生まれ、立命館大学法文学部を卒業したあと製パンの道に入り、昭和26年、28歳の時にくりやの四代目社長に就任。園部町商工会会長を務めるなど地域経済の活動にも尽力し、平成19年には京都府産業功労者の表彰を受けています。
本書は、和菓子にまつわる話を書いた6編のエッセイ「一菓万韻」、「座談・対談」2編、中国旅行を扱った7編のエッセイ「中国を訪ねて」の3部から構成されています。
「一菓万韻」では、和菓子の歴史を紐解き、和菓子の心を語り、丹波の栗やくりやの歴史を綴っています。「座談・対談」は、「おしん」の女優で著者の大学の後輩にも当たる小林綾子さんと四代目をはじめとするくりやスタッフとの座談会と、園部町教育長だった高木茂氏との対談を収めています。高木氏との対談は丹波祭り囃子の復活を論じているのですが、園部中心部の町衆の歴史が伺え、興味深いものでした。「中国を訪ねて」所収のエッセイでは、高度成長を遂げる直前の中国の状況が報告されています。著者が中国を訪ねるようになったのは昭和60年頃から。日中関係が良好であった時代の話です。中国旅行記の中でも少数民族の地域への探訪記が特に興味深く、「日本人のルーツは我らだ!」と言っているサニ族(文化的に似ており、言語の構造も日本に近い)との出会いや、象形文字のトンパ文字を持つナシ族の村に行き、黄粉と小豆を練り合わせた二百年の歴史を有する「煎餅まんじゅう」に出会ってその菓子型を手に入れる話など、とても面白いものでした。
菓子作りに専念していてこれまでものを書くようなことはなかったということですが、著者の文章の腕前は見事であり、魅力的なエッセイ集になっています。和菓子が好きな人にも楽しめる一冊です。
更新日 平成25年6月27日
著者は昭和34年大阪府生まれ、静岡大学農学部林学部を卒業し、出版社・新聞社を経て、森林ジャーナリストになり、日本の森林に関する多数の著書を持つ人です。
本書は日本の森林の現状に異変が起こっていて、危機的な状態にあることを報告した本です。戦後、国策として植林をした日本の山林は、高度成長期には産業として活況を呈しますが、外材に押されて衰退し、放置された森林の問題が指摘されてきました。しかし、21世紀になってから国際的な木材取引の環境が変化し、国産の木材のシェアがアップしているのです。日本林業の復活の兆しかと思いきや、需要が発生したから森林を伐採するという現象はじつは危険であると著者は指摘しています。
林業は大きなスパンで森と人との循環を見なければならず、森林と人間社会の間に資源と資金をスムースに流し、木材を消費する都市と森林を担う山村地域が持続的に共存できる循環型社会を目指さなければならないと著者は言います。そうした根本的な体制を再構築しないままに国産材の需要が高まると、乱伐ということも起こり、いずれ森林の崩壊へと向かいかねません。国土の荒廃や災害の原因ともなる森林の放置も問題ですが、産業体制の構築がない状態で需要が高まるのも問題なのです。
何と言っても山村地域の現状が問題です。林業というものはマクロな日本林業の再生だけではなく、ミクロの地域社会のことも考えなければならないのであり、山村地域の疲弊は全く改善されていません。一番深刻なのは、林業から撤退していた山主が将来にわたって林業をやることに意欲を失っていること、何よりも後継者がいなくなっていることです。企業、森林組合、NPO、行政などが各地で新しい試みをしており、成功している例も少なくなく、それらは本書で紹介されていますが、林業全体の再構築にまでは行っていないというのが現状です。南丹市は林業で存立していた日吉町や美山町をはじめとして、大きく森林を擁する地域です。特に山主の問題は、身につまされる事柄でしょう。
さて、本書には南丹市日吉町の日吉町森林組合が成功例としてかなりのスペースを割いて取り上げられています。日吉町森林組合は林業の世界では有名な湯浅勲氏の改革によって成功したものですが、本書の記事は日吉町森林組合の活動内容がよくまとまっているので、本書全体と併せて読むと、日本の林業と山村地域の置かれている問題、そしてその解決の方向の一つが身近なものとして理解できるでしょう。記事は92〜101ページにあり、129〜130ページでもふれられています。湯浅勲氏に関しては、本書評でもその著書『山も人もいきいき 日吉町森林組合の痛快経営術』を取り上げています。
著者は景観と経済的功利性と生態系維持の三者が対立することなく並存できることが必要だと述べていますが、まさにそれはこれからの日本の理想でしょう。じつは可能性のかたまりである山村地域の再生を考えるのに必読の書です。
更新日 平成26年8月8日
著者は慶應義塾大学大学院でドイツ語を専攻し、外務省に入省後、ドイツ・チュービンゲン大学に留学、その後、日興リサーチセンター・ロンドン・フランクフルトに勤務、富士通総研を経て、平成21年11月より、民主党政権の内閣官房国家戦略室内閣審議官を務めていた人。平成13年に富士通総研より経済同友会に出向し、環境問題を担当して以降、ヨーロッパの気候変動政策に関する調査研究、森林・林業再生のための研究および実践を行なってきた森林・林業再生のエキスパートです。現在は富士通総研に戻り、上席主任研究員として活動しています。元々経済アナリストであったようで、著書に『マルクのユーロ戦略と円の無策〜通貨国際化・資本市場活性化の条件』(ダイヤモンド社、平成11年)があります。
本書は内閣官房国家戦略室内閣審議官だったときに書かれたもので、ヨーロッパと比較しながらの日本林業の現状分析とビジネスモデルを提示しています。植物学・生態学、再生エネルギーとしての木質バイオマスや住宅の木材利用をどのように伸ばすかなど産業としての日本林業の構想、作業に必要な林道の路網をどのように作るか、林業従事者の安全管理や労務管理をどうするかまで、トータルに日本林業の実践マニュアルとしてのノウハウが書かれています。外材犯人説などを検討して、日本林業が自助努力を怠っている面を指摘し、具体的な再生への道筋を示しているのが特徴です。
森林の維持を公共事業のみでまかなうことは財政負担が大き過ぎ、また長期的な国のヴィジョンとしても森林を活用することが重要になるので、当然、林業を産業として再生させなければなりません。森林の維持を林業が担うことは財政の問題のみならず、林業振興は山村地域の再生にもなります。著者は日本林業の担い手として、森林組合を考えています。林業の衰退によって山主は林業から離れてしまっていることが多く、林業を森林組合が担うのは必然的なことでしょう。本書では、森林組合の成功例として、著者も関わりのある南丹市日吉町の日吉町森林組合が取り上げられており、第7章「待ったなし 森林組合の再生」のほとんどが日吉町森林組合の紹介に当てられています。
林業再生には何よりも林業のプロフェッショナルの養成が不可欠になります。第9章「『保育から利用』への転換を実現する予算」にも、林野庁の「森林施業プランナー育成研修事業」に関連して日吉町森林組合が取り上げられています。引用しましょう。「これは、森林組合の所有者サポート能力を高め、施業集約化を促進するため、その担い手としてのプランナーを育成することを目的に、2007年より始まった林野庁事業である。先述の日吉町森林組合を研修会場とし、全国の森林組合を主たる対象として行なわれている。/筆者も、研修のプログラム開発や研修講師を務めるなど、このプロジェクトに深くかかわってきた。当初は手探りで始めたものの、徐々に体系的なテキストもでき、研修自体は相当に形が整ってきた。」(P178)
本書は一般向けの啓蒙書というより、具体的な内容中心の実務者向けの本で、楽しんで読むというタイプのものではありませんが、森林との関係を持続可能なものにすることが国家の根幹の一つになるこれからの日本にとって確実に必要な日本林業の再生に関心のある人には必読です。
更新日 平成26年8月19日
著者は京都市左京区出身の国語学者で、京都府立大学の教授であった人。国語学関連の他に、京都の本も何冊か出している。父はダンテ『神曲』の名訳や柳宗悦の民芸運動に参加したことでも知られる英文学者寿岳文章である。
本書は草思社から出ている『京都町なかの暮らし』『京に暮らすよろこび』に続く京都町歩き三部作の完結篇で、周山街道・鞍馬街道・敦賀街道・丹波街道・国道一号線・西国街道・奈良街道という京都の七つの街道周辺を歩いた紀行である。著者の美しい文章とともに、画家の沢田重隆の味わい深いスケッチがたくさん入っている。
著者は僧侶でもあった父の関係なのか東山の南禅寺の山内で生まれ、昭和8年、9歳の時に洛西の向日町に移った。今は向日市となり、密集した住宅地になっているが、かつて長岡京が置かれた地とは言え、当時の向日町はまだまだ京都近郊の農村だった。西山に抱かれた地で思春期を過ごした著者は、京の町とその周辺部の田舎の両方を愛するようになる。
学者の傍ら、憲法を守る活動をしていた著者は、ふるさとである京都市内や向日町を含む乙訓地域だけではなく、丹波や南山城などの町や村も講演などで頻繁に訪れるようになった。府立大学退官後に、それらの京都の七つの街道周辺の愛すべき町や村の自然、史跡、美味しいもの、そして人との出会いなどについて記したものが本書である。南丹市域では、周山街道の章では美山町を、丹波街道の章では園部町や八木町を紹介している。
都の雅を持つと同時に、田舎の魅力をよく知る人の文章である。
更新日 平成27年11月5日
著者は昭和27年、亀岡市生まれ。第1回月桂冠日本の美花鳥風月フォトコンテスト大賞や数々の個展などの経歴を持つカメラマンである。
本書は著者の初めての写真集で、故郷とその周辺の地域、具体的には旧南桑田郡・旧北桑田群・旧船井郡のいわゆる口丹波を撮影地にした風景写真を収録している。あとがきに「故郷の風景の中で暮らす人々、京の田舎のたたずまいを愛して頂ける皆様にこの写真集をご覧頂ければ嬉しく思います」と書いている。
南丹市域では、旧船井郡園部町・八木町・日吉町と旧北桑田群美山町の写真が37枚収められている。全部で94枚の写真が掲載されているので、南丹市域からかなり多くが採られていることがわかる。まず表紙が美山町野添の芒の夕景であり、巻頭は生身天満宮の梅から始まる。
南丹市に限らず、いずれもこの地域に暮らしている者にとって見慣れた、懐かしい風景ばかりである。この風景のほとんどがきっと目にしたことがあるものだろうが、写真家の感性によって、もっとも美しい一瞬が捉えられている。それぞれの写真に、短文が添えられているのもいい。たとえば美山町鶴ヶ岡の法明寺の写真(9ページ)には「古寺へと向かう心を見守る満開の桜」という風に。
私たちは四季折々の美しさを持つ風景に囲まれて毎日を生活しているが、著者は「そんな京の田舎で暮らして来られたことが、幸せにまた有り難くさえ思える」と記している。
口丹波で風景写真を撮ってみたいと思っている人の見本にもなると思う。
更新日 平成27年11月11日
南丹ゆかりの人物を紹介
南丹市に関する本を紹介
随筆家上野道雄の連載エッセー
京の名工廣野文男のふるさと画集
歌人石川路子の南丹吟行
墨絵で綴る南丹の風景
南丹の名木を訪ねて
児童文学者広瀬寿子の作品を紹介
南丹の観音霊場を歩く
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