南丹生活

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木霊巡礼〜Kodama Junrei〜2

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黒住の大欅

八木町八木の大堰川堤防にある欅(けやき)。推定樹齢500年以上はある古木で、平成3年に京都の自然200選にも選ばれている。

黒住の大欅

明治時代から昭和のある時期まで、ここには黒住教会堂が建っていた。黒住の大欅という名称はこれに由来する。黒住の大欅は根っこが岩を抱いている特異な形状をしているが、この岩はこの場所が八木町西田にある住吉神社の御旅所であった頃に神様が毎年鎮座された磐座であった。祭礼では、甲胄を身に着けた武者たちを舟に乗せてこの御旅所まで運んだという。ここは今は小さな児童公園になっていて、大欅が子供たちを見守っている。公園内には稲荷神社も祀られている。

黒住の大欅 磐座

黒住の大欅は、八木の町の中心部に架かる大堰橋から堤防沿いの道を200メートルほど上流に行ったところにある。JR嵯峨野線八木駅から徒歩で10分もかからない。

map南丹市八木町八木

更新日 平成20年4月22日

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欅に逢う〜軟淡今昔・番外編〜

上野 道雄

 私が黒住の欅(けやき)の大木に出会ったのは、中学3年生の夏だった。今から55年前の昭和27年(1952)のことで、やがて夏休みも終わろうとする頃である。私達一家4人は、それまで住んで居た北桑田郡宇津村の栃本(現右京区京北栃本町)から、トラック1台に家財道具を積んで大堰川畔の黒住教の会所へ引っ越して来た。父の知人が檀家総代だった縁だと聞いていた教会の会所は、八木大堰橋から堤防を右折して200メートルばかりの突端にあった。私はそれまでに、小学校6年生の遠足で八木町へ来たことが一度だけあり、空色に塗った大橋の下で担任の先生と同級生28名が弁当を広げた。その時は神吉の渋坂峠を歩いて越え、片道で3時間近くも掛かった。山間の小さい村に居た私にとっては、当時の八木の町はそれほどにも遠い存在だったのである。

 八木町には、汽車の駅があり映画館があり本屋もあった。菓子屋も自転車屋も食堂もあった。そんな大きな町へ引っ越すと知って、7年間を住みなれた村里を離れる寂しさよりも期待感の方が私には大きかった。荷物と一緒に私は荷台に乗って移動しながら、山稜や田園の風景から遠ざかり町並みに近付くに連れて胸が高鳴った。記憶していた空色の大橋を渡って、引越しのトラックは目的地へ1時間も掛からずに到着した。堤防の上の道などは、通常の道路ではないはずである。そんなことなど私は気がつかずに、トラックから降りて瓦屋根の上に覆い被さるばかりの大木に目を奪われたのだった。

 建物の裏側に接近して長い枝が屋根の半分以上を覆っている。1本の木なのに、まるで森の中に家が立っている様に見えた。会所は岩盤の上に建てられているため、井戸が掘れないと聞いていた。建物のすぐ後ろは岸壁になって直下に川が流れている。私が7年間を遊んだ川の下流になるのだ。大木の根は岩を包むかたちで盛り上がっていた。

 大川の堤防の突端に建つ会所に私は不安を覚えたが、その建物をまるで守る格好で聳える大木の姿に、私は少し安心したのだった。その大木が欅だと知ったのは、しばらくしてからである。川に接近した高台は冬は寒いが、夏は欅の葉が茂って川風が涼しかった。私はその太い幹にもたれて、足の下を流れる大堰川をぼんやり眺めるのが好きだった。はるか上流で雑魚釣りや水泳をしている、古里の旧友を思いやることもあった。よく見れば、欅の太い根の間からまるで子供の様に1本の椿(つばき)の木が生えていた。

 私が新しい学校へ初めて登校した日は、校門の前から会所の欅が盛り上るばかりに聳えているのが見えて、なぜか安心した気分になれたものだった。秋になれば欅の葉は褐色や黄色に色を染めた。小さな果実を付けた枝が枯葉と共に回りながら落下する光景は、いつまで見ていても飽きることはなかった。

 敷地の周りには銀杏(いちょう)や山紅葉(やまもみじ)もあって、紅色や濃い黄色の落葉が絨毯の様に敷き詰めた。冬を迎えると葉の落ちた欅の枝が見事なシルエットになり、離れていても見えるその姿がやはり私の登下校を慰めてくれたのだった。そして春になれば、黄色実を帯びた薄緑色の花芽が葉芽と共に開く。その可愛らしい花はまるでぼんぼりの様に固まりとなって垂れ下がり、やがて地上に落ちる頃は欅の木全体が、目が覚めるばかりの新緑で輝いていた。

 私達一家が会所に住んで居たのは2年ばかりだった。黒住教の関係者が住むからとのことで、我が家は駅前近くへ引っ越した。そして結婚と同時に、16年間を暮らした八木町から京都市内に居を構えたのである。会所が取り壊され、跡地が児童公園になっているのを知ったのはいつの頃だったのか。小学生になった次女を連れて、久し振りに訪れた大堰川畔を散歩したことがあった。大橋の上流へ向かったものの、見慣れた建物が無くなっていて私は愕然とした。長女が小さい頃は、住む人の無い空き家になっていてもまだ昔のままの会所が残っていたのだ。

 私の知らない間に建物は消えてしまった。会所が姿を消して、堤防の上からは欅の大木が根元まで全身が見通せた。そして、欅は「京都の自然200選」に選ばれていたのである。幹周りは4.4メートル、樹高は23メートルと解説にある。欅は私が住んでいた頃より、おそらく太く大きくなっているだろう。しかし、その下にあった建物は取り壊されて、私の住んでいた痕跡は完全に消滅してしまった。公園になっている場所に建物があったことを知る人も、今では少なくなっているだろう。

 欅の根元から生えていたあの子供の様な椿の木も、以前よりはかなり大きくなっている。欅に見とれることはあっても、そのことに気がついている人はいるだろうか。

web軟淡今昔

更新日 平成20年4月22日

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