南丹生活

これより本文

skip

は行

skip

秦宗巴(はたそうは)

天文19年(1550)〜慶長12年(1607)

安土桃山時代の医者。父は丹波の守護代から戦国大名となった内藤氏の一族内藤筑後守善秀で、宗巴は内藤氏の居城八木城内で生まれた。天正3年(1575)、26歳の時に医学の道を志し、吉田宗桂・曲直瀬道三に学んだ。秦氏の後裔ということから、医師になる際に秦姓を名乗った。豊臣秀次に仕え、前田利家の頭のできものを治療して名声を得た。秀次は奏上して、宗巴を法印に叙し、寿命院の号を与えた。その後、慶長5年(1600)には徳川家康に招かれ、侍医となった。数々の医学書を著した他に、古典に通暁した文人としても知られ、徒然草の注釈『徒然草抄』や枕草子を本歌取りした『犬枕』などを遺している。墓は嵯峨の鹿王院にある。

更新日 平成20年1月7日

skip

畑中健二(はたなかけんじ)

大正元年(1912)〜昭和20年(1945)

船井郡高原村(旧丹波町)出身の軍人。旧制園部中学校・陸軍士官学校を卒業し、陸軍少佐(旧日本軍大本営参謀)となった。敗戦の時に椎崎二郎中佐と共に宮城事件を主導した。宮城事件は、昭和20年8月14日・15日に、ポツダム宣言の受諾に反対する将校たちが近衛師団による宮城占拠と玉音放送(終戦の詔勅)阻止を試みた事件である。『日本のいちばん長い日』などの映画や小説の題材にもなっている。放送阻止に失敗した椎崎と畑中は、詔勅放送直前に、宮城正門前の松林で椎崎は切腹、畑中は拳銃で自決した。宮城事件で自決した4名(畑中・椎崎・古賀秀正・上原重太郎大尉)を偲び、東京港区の曹洞宗青松寺に「国体護持 孤忠留魂之碑」が建つ。

更新日 平成19年10月24日

skip

畠中徳三(はたなかとくぞう)

大正5年(1916)〜平成14年(2002)

平屋村(現美山町)出身の郷土史家。内久保尋常小学校・尋常高等小学校・内久保実業補習学校卒業。平屋村役場書記を経て、在満日本大使館嘱託兼満州国浜江省監督警尉に任ぜられ、満州で警察官として勤務、現地で結婚するが、敗戦後、妻子と離れ離れになり、ソ連に抑留される。昭和25年に帰国。帰国後は美山町議・美山遺族会会長・町文化財保護審議会会長などを務める。著書に『伝承野々村誌』『私の昭和史 前』『瀧見山光瑞寺誌』『紫摩城』。

更新日 平成20年7月11日

skip

原潔(はらきよし)

昭和13年(1938)〜

旧摩気村(現園部町口人)出身の学者。摩気小・園部中高・神戸商船大学を卒業し、渡米してスティーブンス工科大学院修士課程修了。神戸商船大学教授を経て、神戸商船大学学長。現在京都大学監事。専門は海上交通工学で、著書に『海上交通工学』がある。宝塚市在住。

更新日 平成19年9月23日

skip

原保太郎(はらやすたろう)

弘化4年(1847)〜昭和11年(1936)

園部藩出身の志士。脱藩後、京都で漢学を学ぶ。岩倉具視の食客となり、戊辰戦争に従軍、上野国巡察使兼軍監となる。山口県令・福島県知事・北海道庁長官・貴族院議員を歴任。剣豪としても知られ、斉藤弥九郎の錬兵館で神道無念流を学び、塾頭となる。小栗上野介の介錯人も務めた。園部町美園町にある南陽寺門前の「腹切石」は、天誅組の乱との関わりを疑われた保太郎が切腹しようとした場所だと伝えられる。

更新日 平成19年9月23日

skip

樋口勇吉(ひぐちゆうきち)

明治2年(1869)〜昭和13年(1938)

旧摩気村(現園部町)大西出身の実業家。上野盤山の私塾惜陰社に学ぶ。丁稚奉公から始めて帽子の製造輸出を行なう「樋口商店」を創業。日本帽子業界に君臨し、関西経済界の重鎮となった。故郷への貢献も行ない、船井郡郷学社という奨学金の財団を設立、元最高裁長官の藤林益三は財団の奨学生第1号。園部高校に顕彰碑が建つ。

更新日 平成19年9月23日

skip

人見少華(ひとみしょうか)

明治20年(1887)〜昭和43年(1968)

旧富本村(現八木町氷所)出身の日本画家。富本小・京都市立美術工芸学校・京都絵画専門学校卒業。明治42年に文展入選し、画家としての道を歩む。晩年は昭和25年に園部に転居し、京都府立園部高校美術講師や京都美術大学講師を務めた。南画を得意とした。池大雅の研究でも知られ、著書に『池大雅』がある。

更新日 平成19年9月23日

skip

廣瀬勉(ひろせつとむ)

昭和14年(1939)〜

旧吉富村(現八木町)生まれの学者。吉富小・八木中・園部高・京都大学を卒業。名古屋大学・九州大学を経て熊本大学で教える。専門は化学工学で吸着によるエネルギーの効率的な活用方法を研究。熊本市在住。

更新日 平成19年9月23日

skip

広瀬寿子(ひろせひさこ)

昭和12年(1937)〜

鎌倉市生まれの児童文学作家。旧丹波町の竹野小、園部中高卒業。京都大学職員を経て児童文学作家になる。亀岡を舞台にした『サムライでござる』など著書多数。平成15年に『まぼろしの忍者』で第27回日本児童文芸家協会賞、『そして、カエルはとぶ!』で第33回赤い鳥文学賞を受賞。千葉市在住。

更新日 平成19年9月23日

skip

廣瀬義彦(ひろせよしひこ)

昭和6年(1931)〜

八木町出身の合唱指揮者。京都市芸術大学を卒業。昭和50年に京都中央少年少女合唱隊を設立し、合唱指揮者として27年間活動した。平成4年には障害者と健常者が共に歌う「命輝け京都第九コンサート」発起人の一人となり、これまでに7回開催し、合唱指揮者を務めている。日本合唱指揮者協会会員・世界合唱指揮者協会会員。平成10年、財団法人オムロン地域協力基金の第14回ヒューマン大賞を受賞。宇治市の自宅にトルヴェール・サロン HIROSEを併設し、定期的に演奏会を開催している。

webトルヴェール・サロン

更新日 平成20年1月31日

skip

廣野文男(ひろのふみお)

昭和12年(1937)〜

日吉町出身の京友禅下絵職人、伝統工芸士。雅号は清波。五ヶ荘小・殿田中・園部高卒。平成12年に京都府伝統産業優秀技術者(京の名工)となり、平成16年に近畿伝統工芸士会功労者の表彰を受ける。彩芸展知事賞・通商産業局長賞など多数受賞。平成19年にはスプリングスひよしで「思い出の中から・悠久の郷〜廣野文男絵画展」が行なわれた。京都市在住。

更新日 平成20年1月17日

skip

藤田まこと(ふじたまこと)

昭和8年(1933)〜

東京都豊島区生まれ、京都市育ちの俳優。終戦間近の昭和20年8月8日、京都市立格致国民学校(現洛央小)6年生の時に宮島村(現美山町)に疎開、11月10日に京都市に戻るまで宿舎の長谷の泉竜寺から宮島国民学校(現宮島小)に通った。京都市立堀川高校卒業後、芸能界に入る。昭和37年の『てなもんや三度笠』に出演して一躍スターとなり、数多くのドラマ・映画・演劇・CMなどに出演。代表作にドラマ『必殺仕置人』の中村主水役、『はぐれ刑事純情派』の安浦刑事役など。

更新日 平成20年4月12日

skip

藤田元春(ふじたもとはる)

明治12年(1879)〜昭和33年(1958)

鶴ヶ岡(現美山町)出身の地理学者。京大助手を経て第三高等学校の教授となり、昭和18年に退職。戦後は山梨大・立命館大教授も務めた。地理学の知識を活かした邪馬台国の研究家としても知られる。大正12年に『北桑田郡誌』を編纂し、その他の著書に『日本民家史』『日支交通の研究中近世編』『伊能忠敬の測量日記』など多数。

更新日 平成20年5月14日

skip

藤林益三(ふじばやしえきぞう)

明治40年(1907)〜平成19年(2007)

旧五ヶ荘村(現日吉町田原)出身の法律家。園部尋常高等小学校・京都府立第三中学校(現府立山城高校)・旧制第三高等学校から東京帝国大学を卒業し、弁護士となる。昭和45年に最高裁判事、昭和51年には弁護士出身で初めての最高裁長官になる。熱心なクリスチャンでもあり、長官時代の津地鎮祭訴訟では、目的・効果基準によって地鎮祭合憲の立場を取る多数意見に対して反対意見を出したことで知られる。勲一等旭日大綬章受章。著書に『藤林益三著作集』全10巻など。

更新日 平成19年9月23日

skip

藤本守(ふじもとまもる)

昭和6年(1931)〜

園部町新町生まれの学者。園部高校・京都府立医科大学卒業。専門は生理学。京都府立医科大学講師、岐阜大助教授を経て、大阪医科大学の教授・同学長。現在は安田記念医学財団理事。高槻市在住。

更新日 平成19年9月23日

skip

細川勝元(ほそかわかつもと)

永享2年(1430)〜文明5年(1473)

室町幕府の守護大名。嘉吉2年(1442)、13歳で父の後を次いで丹波・摂津・讃岐・土佐の守護職となり、文安2年(1445)16歳で幕府の管領職に就任、その後三度に渡り通算23年間、管領職を務めた。応仁元年(1467)から文明9年(1477)まで10年間続いた応仁の乱では、総大将として東軍を率い、西軍の山名宗全らと戦った。臨済宗への信仰が厚く、京都衣笠にある世界遺産の龍安寺や南丹市八木町八木の龍興寺を建立した。龍興寺は勝元が自らの香華寺(位牌を祀る寺)として享徳元年(1452)に建立した臨済宗妙心寺派の寺で、開山は義天玄承、瓦には細川氏の家紋である二つ引両が刻まれている。龍興寺は、龍安寺、亀岡の龍潭寺と並んで、京都三龍の一と称される。八木城に本拠を置いた内藤氏(キリシタン大名の内藤ジョアンで知られる)は細川氏の家臣で、丹波守護代であった。

更新日 平成20年5月23日

このページの上へ▲

Copyright(c) H19〜 TANBA RAKUICHI. All rights reserved.

アクセスカウンタ